毎日午後3時過ぎお茶の時間に、録画したNHK朝の連続ドラマを夫婦で楽しむ。
数年前に、常勤職を退職してからの日課となった。
今は、「ちむどんどん」が午前8時15分から、その前、午前7時15分からはBSで「芋たこなんきん」がある。
そして午後4時30分から5時まで、不定期で「ひまわり」が放映されている。
私的には「ひまわり」が大変面白い。
そして今年の「ちむどんどん」の評判が誠に悪い。
ご都合主義な展開の数々、現実にあり得ないような振る舞い、脚本が悪いのか、役者が下手過ぎるのか、製作費をケチりすぎているのか、確かに見続けることがしんどくなる、連ドラだ。
連ドラ愛好者として、今日は比嘉家の人々をできるだけ客観的に見つめてみようとブログのテーマに取り上げた。
比嘉家のファミリーは父・比嘉賢三(大森南朋)、母・比嘉優子(仲間由紀恵)、長男・賢秀(竜星涼)、長女・良子(川口春奈)、次女・暢子(黒島結菜)、三女・歌子(上白石萌歌)、の6人家族で始まる。
しかし、父賢三はヒロイン暢子が11歳の時に心臓発作で急死してしまった。
父親が死んでしまったことで物語が動いていくのだが、大森南朋の落ち着いた演技がバックにあれば、この物語に深みが出たのではないかなどと想像の翼を広げた。
母優子が特に残念だった。
仲間由紀恵の演技力がほとんど生かされていない。
コミカルな演技を求めたのであれば、仲間由紀恵でなくてよかったのではなかろうか。
「花子とアン」で葉山伯爵の娘として葉山蓮子や歌人白蓮役を演じた仲間由紀恵の、芯の強い気品ある美貌の女性が強く思い出された。
あれから8年後ではあるが、中年太りした沖縄のおばちゃん役をやらせてはいけないだろうと思った。
長男の賢秀は少年時代の沈着冷静な表情と、成長後のひょうきんでやりたい放題の問題児となった姿の落差になんだこれはと思わざるを得ない。
真面目で、温かい包容力で包む父と、愛情あふれる優しい母の子でなぜ、こんな問題児ができて来るのか、全く理解しがたいではないか。親の背を見て子は育つのだ。
母や妹のためにとはいうが、乱暴者で一攫千金や一発逆転にかける青年が生まれる素地がどこにあったのか。
そして、単純に騙されて大損をし、母や妹に負担をかけてしまう繰り返しなのだ。
それでもどこまで行ってもひたすら賢秀を愛し続ける家族愛が続く。
男はつらいよの寅さんも顔負けだ。
竜星涼君はよくぞ頑張って、演技者を続けていけるものだと思う。
同情を禁じ得ないが、役者を志すもの、こんなことでめげていたら役者などやってられないということなどだろうと理解している。
トラブルメーカーとして鼻つまみ者になっていく賢秀がどのように立ち直るのか、またご都合主義では興覚めになってしまうのだが。
物語の中でこうした青年にならざるを得ない背景が丁寧に説明されないと、視聴者は納得できない。
長女良子は努力の末、小学校教員になるが、前述した通り、父親の死後、500ドルの借金(1ドル360円時代、18万円の借金だ)を抱え、日雇いや工事現場の賄い婦をし、共同売店の店員となって働いた母優子のわずかな収入で、一家の生活は困窮していた。どのようにして学費をねん出することができたのか。
学生時代アルバイトに明け暮れた私は心配する。
同時に高校に通う次女暢子もいたのだけれど、3歳の年の差で大学に入学して卒業し教員になる年数と数字が合わないように思う。私の計算が間違っているのだろうか。
もしくは、短大なのか。
短大卒でストレートで教員試験の受験資格が得られるのか、沖縄的事情があったのなら、そういうことを丁寧に描かなくてはリアルが伝わってこない。
さらに、大学時代の友人で、教員仲間の石川博夫(山田祐貴)と結婚する。
石川家に嫁して、古い3世代同居の生活の中で、自己を貫く姿が描かれる。
良子の姿勢に反対を貫いていた石川家の男たちは、石川家の女たちが良子の側に付くと知るや突然、態度を変える。
ご都合主義の極致だ。もう喜劇の世界だ。
ただ、どちらかと言えば、この姉の方がヒロインの次女暢子よりも芯の強さや強情さが描かれて、しっかり者という印象を受けた。
学校給食に地場野菜をという取り組みは、やや強引な設定であり、仲間もつくらずに一人の教師がやり遂げられるのかと疑問を持った。
反対していた給食調理員も突然、協力するような姿勢をみせるところなどもご都合主義で展開的には面白くない。
末子の三女歌子にも視聴者の批判は多い。
病弱でワガママ、歌がうまいといっても、絶品の歌唱力があるわけではない。
自己満足の世界では足りずに歌手になりたいという内気な三女歌子の、役どころの乖離する表現を要求されて、上白石萌歌さんも役作りに迷っているさまが見て取れる。
それはそれで、脚本家が求めていた役作りかもしれないと思ったが、視聴者は見ていてイライラしっぱなしではないだろうか。
そしてヒロイン次女暢子だ。
父ゆずりの料理好き、学校対抗の料理大会で助っ人として参加した暢子はナポリタンを作って見事1等賞に輝く。
この経過も漫画チックだ。
1等賞の代表スピーチで暢子は「おいしいものを食べるのは最高だけれど、食べてもらうのも最高です!」と語る。
そして「ウチはレストランで働きたい!東京に行って、料理人になりたい!コックさんになりたい!やりたいこと見つかりました!たった今!」と宣言する。
筆先をちょちょいとなめながら、軽く書いた原稿といった感じ、軽すぎるのだ。
そして、家族で、たった1度だけ食べた西洋料理の魅力にあこがれ、料理人を目指して東京へと旅立ったけれども、行くあてがあったわけではない。
イタリアンレストランにたどり着き、さらに、子供の頃、東京から沖縄に来た青柳和彦に再会する。
作り物だからと言ってもなんでもありの展開に驚く。
そして、イタリアアンレストラン「フォンターナ」では6年目にして花形のストーブ前を任されるようになり、二ツ橋料理長の足の骨折でシェフ代行に指名されるまでに至ったのだが、この過程もあまりに短絡的で、暢子の努力も才能も技術も映像や物語からは実感として伝わってこないのだ。
だから視聴者は、共感できないのだ。
そして極めつけは、暢子が和彦の恋人から和彦を奪ったことだ。
もちろん、暢子だけの責任ではない。
和彦も暢子を選択したのだからといういい方は当然できる。
でも、NHK朝の連ドラで「これをやっちゃあおしまいよ」と後期高齢者になる退職老人は思わざるを得ない。
和彦と別れた愛さんの姿の方が強く記憶に残る。
朝の連ドラで、ヒロインの奪略愛は記憶にない。
暢子でなくてもアイヤー!、まさかやー!の連発だ。
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