岡山県女性が長寿日本一になった 女性長寿ベストファイブ府県の共通点はあるのか 

寒波襲来


正月4日の朝日新聞地方版に女性の寿命全国1位という記事が載った。

2020年の都道府県別の平均寿命が発表され、岡山県の女性は88.29歳と全国1位になった。

首位になるのは1970年以来、半世紀ぶりとあった。

岡山県に住んで私も半世紀を少し過ぎたが、まったく知らなかった。

誰からも聞いたことのないニュースだったので目に留まった。

こういうことを「寡聞にして知らない」というのだろうか。

 

記事には平均寿命は厚生労働省が5年に1回発表しているとあった。

岡山の女性は統計が始まった1965年から11回連続でトップテンに入り続けてきたという。

こういう名誉ある記録があったことをこれまで全く知らずに過ごしてきたことに、岡山県の女性の皆さんに申し訳ない気持ちとともに、なぜ関心を示されなかったのか、行政や男性の無関心によるものかなど大いに気になった。

今回は2位だった2015年に比べて0.72歳延び、全国平均を0.69歳上回ったとあった。

 

女性の平均寿命は岡山に次いで、②滋賀県③京都府④長野県⑤熊本県と続いた。前回のトップは今回4位の長野県だったとあった。

ちなみに岡山県の男性は81.90歳で10位に入った。

男性の上位3県は滋賀県、長野県、奈良県。

逆に短かったのは男女とも青森県で女性86.33歳、男性79.27歳ということだった。

 

久しぶりの雪景色


女性の寿命ランキングベスト5に入った府県の特徴や共通性は何があるのか。

無視してきたお詫びの印と言っては弁解が過ぎるかもしれないが、少し追究してみたくなった。

 

まず、長寿ランキングベストファイブに入る、生活環境の共通性はどんなところだろうと、様々な統計ランキングを見比べながら近似性や共通性を探してみた。

 

一般的に長生きができるという環境とは何かということを考えてみた。

それは一つに争いがない環境にあるかということを思い立った。

それで、都道府県離婚率ランキングを調べてみた。

 

離婚率の低い県ベストファイブは

  • 新潟県
  • ②富山県
  • ③秋田県
  • ④山形県
  • ⑤石川県といわゆる日本海側に集中していた。
  • 離婚率の高い県ベストファイブは
  • ①高知県
  • ②沖縄県
  • ③和歌山県
  • ④宮崎県
  • ⑤北海道(2018年)
  • 北海道を除いて太平洋側の西日本の県が並び、気候風土が大きく影響しているように思った。
  • つまり裏日本(こういういい方は今はしなくなったが)は地味で耐える女性像を思い浮かべた。
  • そして表日本は陽気で活発な女性像だ。
  • 北海道は日本各地から集まった他人の目を気にしない北海道人気質を形成した結果のような気がする。
  •  
  • 因みに長寿女性率1位の岡山県の離婚率は31位、
  • 2位の滋賀県は44位、
  • 3位の京都府は37位、
  • 4位の長野県は38位、
  • 5位の熊本県は18位だった。
  •  
  • 肥後もっこすの熊本の女性像からは十分謙虚だと思った。
  • 他の4府県からは争いを好まない優しい女性像が浮かんだ。

歩道を歩くのに難渋した



ただ、離婚に至る大きな原因は貧困によることが多い。

貧困率という統計指標がある。

貧困率とは国民全体のうち、所得が低く経済的に貧しい状態にある世帯の割合を示す指標と説明される。

 

その貧困率都道府県ランキングではワーストファイブは

  • 沖縄県

②高知県

  • 鹿児島県
  • 大阪府
  • ⑤宮崎県(2022)である。
  •  
  • 因みに岡山県24位、滋賀県43位、京都府10位、長野県36位、熊本県は11位となっており、貧困率と府県民の長寿との関係は明白ではない。
  •  
  • 高齢者の貧困率の違いを見る必要があるのかもしれない。

 

次の指標は長生きできる環境とはストレスの少ない環境であるという視点で、ストレスと強い関係のある自殺率について調べた。

 

令和3年自殺率都道府県ワーストファイブは

  • 青森県①山梨県③新潟県④和歌山県⑤高知県だった。

 

因みに岡山県と滋賀県は同順位で26位、京都府は45位、長野県、熊本県は同順位の31位で、長寿女性ベストファイブの5県は半分以下の順位で、とりあえずストレスを上手に回避しているように思われた。

 

離婚率トップの新潟県が自殺率ワースト3位、貧困率2位の高知県が自殺率ワースト5位とは因果関係を想起させる。

 

そして、健康を維持し続けるための指標として病院数の都道府県ランキングを見てみた。人口当たり病院数のランキングは

①徳島県②佐賀県③島根県④高知県⑤長野県、因みに岡山県は12位、滋賀県は32位、京都府は27位、長野県は5位、熊本県は13位で、意外に地方が充実していることがわかった。

 

最後に都道府県美人ランキングベストファイブは

  • 秋田県②福岡県③東京都④北海道⑤埼玉県

 

岡山県39位、長野県28位、熊本県19位、京都府6位、滋賀県41位(2020)

 

この指標は突飛に見えるかもしれないけれど、美人県には美人県の様々な苦悩があり、それが健康や長寿などを阻害することは十分に考えられると思ったからだ。

 

結果は、美人県ナンバーワンの秋田県の離婚率3位ということも何か予感させる数字だ。

出る杭は打たれるの例えもある。

古都京都は別にして長寿女性ランキングベストファイブの各県は目立たぬように粘り強く生き抜くことで長寿を勝ち得たのではないかというのが私の勝手な結論になった。

 

それにしても岡山県女性は、わがカミさんの生き方によく似てるわいと思った次第です。

 

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エコキュートが壊れた ネットビジネス体験記

お正月を過ぎても元気な葉ボタン


昨年は物がよく壊れた年だった。

DVD録画機、テレビ、パソコン、エアコン、生ごみ処理機など修理に出したもの、買い替えたものといろいろだったが、何かに呪われたように続いた。

まあ、金婚式もとっくに通過した高齢者世帯の証でもあるのだろう。

そして極めつけは年末のエコキュートの故障だった。

それは、突然だった。

 

いつものように風呂蓋を取って入ろうと足を挙げた途端、気が付いた。

お湯ではない、水だった。

自動お湯張り、焚き上げ機能がダウンしている。

ただ、浴室内シャワー、給湯機能は生きていた。

これならお湯をためることができるので、短期間であればエコキュートを交換するまでは入浴できるだろうと思った。

 

翌日、地元の大手家電販売店に行き、現在使用しているエコキュートと同じ三菱製を希望し機器の交換工事について依頼をした。

次の日、担当者と技術者が来た。

10年以上使っており、修理は考えていなかった。

現場を確認し、とりあえず見積書を作成して持ってくるということだった。

翌日、見積書の提出があり、多分契約することになると伝えた。

数日後契約について連絡し契約日時を決めた。

契約前日に担当者から電話があって、明日は別件で外出しなければならなくなったといったが、買い物もあるので、こちらから出向いてもかまわないといって午前11時から12時までに行く旨伝えた。

彼は代わりの担当者の名前を挙げて、よく伝えておくということだった。

冬枯れの植え込みに、色を添えるオタフクナンテン



そして、当日11時30分頃店を訪ねた。

レジの女性職員に今日の担当者の名前を告げるとその職員は今接客中で、まだ二人待っているというので、先に買い物を済ませてから寄ることにした。

買い物を済ませて再度訪ねたが、まだ来客対応中という。

少し待っていたら、気を利かせてくれたのか、別の職員で対応すると言った。

その職員が出てきて面談することになった。

契約に至る前に、2,3気になっていることを聞いた。

私の質問の仕方にムッとしたようだった。

 

多分、元々の担当者が不在で、その代わりも接客中、その後を対応させられることに不満があったのかもしれないと後で思った。

 

そんな経過の中で、この担当者は「本来の担当者もあなたが11時から12時に来ると言うので、ぎりぎり12時まで待っていたんですよ」と言い放った。

私は瞬間湯沸かし器になった。

「馬鹿なことを言うな!私たちは11時30分にはここに来たんだ。

契約の話をした担当者は別件があって外出すると事前に聞いていた。

だから、別の職員が対応するということになっていたんだ。

その職員も接客中ということであなたが出てきたんだ。」

と恥ずかしながら大声を出してしまった。

するとその職員はすっかりしょげ返った。

私は即座に席を立って店を出た。

その男は車まで付いてきたが、流石に優しい言葉は出てこなかった。

 


ということで、これからエコキュートの業者を探さなくてはならなくなった。

あてもなく、インターネットでエコキュート業者を調べていたら、ホームページが派手でない、製品の仕様、機能などの説明が丁寧でしっかりして、製品価格や工事価格が比較的安いサイトが気に入った。

ただし、その業者は高知市のエコキュート専門業者だったので、最初は二の足を踏んだ。

少し悩んだが、とりあえず電話してみようと電話した。

高知の業者が岡山の工事をどうやって行うのかと聞いた。

工事エリアは四国四県と広島県・岡山県でそれぞれの県に設置工事会社があるという説明だった。

その後の業者とのやり取りの中で、多分、各県で信頼のできる設置工事業者と契約し、高知市の本社はメーカーからの製品の仕入れとともに工事依頼者(お客)への営業、契約を行い、設置業者への製品の納入、工事現場の状況把握、工事手順の指示などを行う方式なのだということが分かってきた。

こんな写真を、との見本も来た



また、こうした中で私が驚いたのは、すべてがメールと電話のやり取りで段取りを進めていくことだった。

従って、現場で工事施工業者が必要とするであろう点については、

見積もりとともにこんな依頼がきた。

例えば搬入経路の状況やエコキュートの接地面が土であるか、

それともコンクリート面であるか、

分電盤の全体写真や、ふたを開けた状態での中のブレーカーが全部写っている写真など

 

見積価格に関わる必要事項について細かく工事依頼者に写真を撮り、メールに添付して送るよう指示してきた。

そして、工事日までには、エコキュートが搬入しやすいように搬入通路をできるだけ広くとるように依頼され、狭い庭の我が家のこうした片づけは優に半日はかかった。

これも安く買うための協力なのだろうが、こうしたことでよいものが安く買えるのはうれしい限りだ。

 

事実こうしたことが工事価格に反映され、同じ機種が大手家電などの価格よりも40000円ほど安い価格を実現できた。

この価格が工事受注業者のリモートによる様々な工夫や購入者の協力により実現できたこと、こういうやり方もネットビジネスの分野に入るのだろうと思った。

 

結局私が業者に直接会ったのは、工事日当日、施工業者の若い技術者と中年の助手の二人が初めてやってきたときだった。

工事を請けた高知の受注業者とは一度も面と向かって会うことはなく、パソコンと電話だけだった。

新しいエコキュートのリモコン


もちろん、終わって暖かい湯に入るまでは少し不安ではあったが、それは杞憂だった。

若い技術者は午前9時から午後4時ころまで、真面目にしっかり働いてくれた。

そうした働きぶりに信頼を増して、リモコンが壊れていたトイレ工事もお願いすることにした。

高知の業者から電話がかかってきた。

振り込み金額を収納したということの電話だったが、「トイレの工事がいただけたと岡山の業者が喜んでいました」とお礼を言われた。

新しいトイレ。我が家にはもったいないほど快適です。

アマゾンや楽天などのネットショッピングは頻繁に利用しているが、工事を伴うネットビジネスの利用は初めてだったが、何事もなくスムーズに進んだ。

 

こうしたビジネスがこれからはもっともっと進化していくのだろうと思った。

 

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晴れの国岡山が今燃えている

 

燃えろ岡山県民運動の名残が、岡山市を流れる旭川河川敷にあったことを「岡山の街角から」というサイトで知りました。グーグルアースでこの名残が見られることも。
写真はグーグルアースの画面を撮影したもの。



1980年代「燃えろ岡山」のキャッチフレーズで、岡山県主導の一大県民運動が始まった。

もともと岡山県民は冷めている、付き合いにくいという県民性が指摘されていた。

評論家の大宅壮一は

「岡山県は日本のユダヤである。

岡山県人の歩いた後には草も生えない」

と言ったと聞いたことがあった。

 

でも、日本最初の孤児院は岡山でできた。

民生委員制度の先駆けとなった済世顧問制度も岡山で生まれた。

企業メセナの先駆けは、倉敷の大原美術館だ。

ボランティア精神の豊かな土地柄でもあったのだと思う。

岡山の春は院展から。お正月、例年デパートで開かれる院展に燃えました。



ただ、高校を出るまで広島県で育ち、岡山県人となった私にはやはり、広島カープやサンフレッチェ広島を持つ広島県と比べて、地域経済力の差もあるけれど組織的な行動力や目標に向かう結集力の差が決定的に違っていたのではないかと思う。

 

「燃えろ岡山」県民運動では燃えろ岡山音頭も作られた。

歌手三船和子、作詞石本美由紀、作曲市川昭介、歌詞は一番から五番まであった。

その一部を紹介すると

「 朝日が彩る 瀬戸の海 

夕陽が彩る吉備の里 

みんなの心が 燃えるいろ 

ふるさとづくりの 血が通う 

燃えろ岡山 明日へ燃えろ 

揃う気持ちの手拍子で パッと燃やそう こころ意気」

という一番の歌詞だが、歌った覚えも聞いた記憶もまったくない。

当時県内各地でいろんな盛り上げ行事が開催されたようだが、「燃えろ岡山」県民運動は盛り上がることなく忘れられ消え去った。

この絵も院展で印象的だった作品。燃えていますね。



しかしここのところ岡山県もだいぶ変わってきたように思う。

その変化の一番手となったのが渋野日向子の出現である。

2019年全英オープンに初出場で優勝してしまった。

シンデレラガールとして一躍時の人となった。

渋野日向子の笑顔を絶やさないサービス精神や物怖じしない堂々とした態度は、これまで見てきた岡山県人とはだいぶ違って見えた。

 

岡山県の女性では、アムステルダムオリンピック女子陸上800メートルメダリストの人見絹江やバルセロナオリンピックとアトランタオリンピックの女子マラソンでメダリストとなった有森裕子を思い出すが、両者ともかつての伝統的な真面目な真面目な岡山県人だった。

 

また、プロ野球オリックス・バッファローズの山本由伸投手の活躍も目を見張らせる。2021,22年連続投手5冠東京オリンピックでも金メダル獲得に貢献した。

岡山県備前市出身である。



そして、最近の岡山県のスポーツや文化、芸能分野の活躍はどうだと言いたい。

いや言わせてほしい。

昨年からに限っても、全日本吹奏楽コンクール高校の部の岡山学芸館高校は5大会連続、8回目の金賞を受賞した。

また、暮れの全国高校駅伝男子は岡山県倉敷高校が3回目の優勝を果たした。

 

芸能分野でもM1-グランプリで2022王者に輝いたのは岡山県津山市出身のウエストランドだった。

岡山市長を表敬訪問した学芸館の選手は写真のように述べ、県民をさらに燃え上がらせた。
NHKテレビ、「もぎたて」より。



こうした中で、極めつけは今年のサッカーの全国高校選手権でチャンピオンとなった岡山学芸館高校の活躍だった。

サッカーのーJ2ファジアーノ岡山はリーグ3位で終わり、JI昇格はならなかったが、前評判にも上らなかった学芸館が魅せるサッカーで、サッカーの面白さ、魅力を全国に発信した。「燃えよ岡山」県民運動では燃えることのなかった私も手に汗握り、燃えた。

 

晴れの国岡山が今燃えている

 

追記 今年1月に行われた高校女子バレーボール全国大会に岡山県代表として出場した就実高校は3連覇がかかっていたが、コロナ陽性者が出たため残念ながら棄権となった。

 

 

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令和5年我が家の元旦

皆さま明けましておめでとうございます。

二日の日の出



1月1日(日)午前7時前に今年も初日の出の遥拝のためウオーキングに出発。

東の空はうすぼんやりと赤く染まりつつあったが、上空は厚い雲が広がっていた。

今年はカミさんは膝が痛いと日の出ウオーキング欠席で一人で歩く。

初日の出スポットは、東幹線道路沿いの東に向かって丘のように張り出したところだ。

スポットに近づいていくと30人くらい集まっていた。

すでに昨年の時刻を過ぎようとしていたが、太陽は山と山の谷間に居座って昇ってこなかった。

新装なった岡山城 この後行く予定

ちょうど、ウオーキング仲間が坂道を上ってきて、新年のあいさつをする。

彼は「今年は日の出は見えないでしょう」と言った。

彼はウオーキングをしながら公共施設の危険個所ウオッチャーだ。

 

私が

「あなたが指摘していた鉄柱が錆びて大きな穴が開いていた郵便ポストが新品になったね。

郵便局に注意していた功績は大ですよ」と称賛すると、

「時間がかかったけれどやっと直った。

この先のカーブミラーも鉄柱が腐ってぐらぐらしていたので市に通報したら、これはすぐ直してくれた。

逆に、放置していたら事故が起こっていても仕方のない状態だったと感謝されたよ」

と満足げだったが、気が付いて行動を起こすことはたやすいことではないと思った。

 



彼と別れて、日の出をあきらめながら帰宅していたが、途中この団地のシンボル的な小山の裾を通ったので、上に登ったら日の出が見えるかもと斜面を登って行くと老人が木の枝にぶら下がっていた。

近づくとこの方もウオーキング仲間の一人だった。

彼は

「先日鉄棒で懸垂をしたら一度も体を引き上げられんで、時々、ここで懸垂をしている」と言った。

「子供の頃は得意じゃったが、全然できんでショックでなあ」といってやって見せてくれた。

今は3回程度はできるようになったというので、私もやってみたが、顔を枝まで近づけるのがやっとで、両腕が痛くそれ以上は断念した。

 

帰宅すると、カミさんは部屋の中を動いていたら膝の痛みは治まったと、毎年行く元日の後楽園無料開放には行けるというので、車に乗り込み出発する。

後楽園入口



午前8時30分過ぎ後楽園到着。

岡山後楽園は、江戸時代岡山藩主池田綱政が土木事業の天才家臣津田永忠に命じて1687年に着工、1700年に完成した。

金沢の兼六園、水戸の偕楽園とともに「日本三名園」と称されている。

3年にわたるコロナ禍の影響が色濃く、元日入園料無料にもかかわらず、入園者は少ないように感じる。

本日無料の看板


コロナ前には元日の朝の8時過ぎ、朝早くでも大勢の入園者でにぎわっていた。

また、中国からの訪日客も観光バスで到着していたが、ことしは当然ながらそれもない。

園内に3か所ある茶屋も1店はまだ開店していなかった。

錦鯉の群れ


園内を一周して、岡山城方面への出口近くにある茶屋で休憩、園内を流れる小川には錦鯉が群れている。

私はお抹茶セット、カミさんは甘酒を注文していただいた。

園庭を眺めていたら、そういえば今年はお正月恒例の丹頂の園内散策が中止になったとあったと言うと、すかさずカミさんが鳥インフルエンザの影響でしょうと言った。

そのことも入園者が少ないことと関係しているかもしれない。

何しろ大空を舞う丹頂の姿は、初春の風物詩としてこれ以上はないものだ。

丹頂目当てに多くの人が集まっていたのだ。

 


園内から岡山城が見える。昨年11月にリニューアルなった岡山城天守閣は何だか少し背が高くなったように見えた。

黒塗りの下見板に金箔瓦の意匠が映えて、すっきりと美しい。

後楽園から眺める岡山城 下の方に茶屋も見える



帰りはイオン系の大型スーパーに寄る。

元日の夕方にやって来る娘一家4人とのディナーは焼肉と決まっている。

宮崎産黒毛和牛肩ロース500gと鹿児島産黒豚ロース500gを用意しているが、孫たちも高2と小6になり少し足りないかもしれないので、黒毛和牛三角バラカルビ500gを追加。さらにクロマグロ中トロ刺身を買う。

 

それにしても、この田舎でも人気のスーパーの初売りのなんと人出の少ないことかと、インフレや少子高齢化、雇用環境の悪化などつい地方経済の深刻化と結びつけてしまう。

 

カミさんはおせちづくりはもうできないと言いながら、年末からブリの照り焼き、黒豆、数の子、栗きんとん、だし巻き、筑前煮などを作った。

初日の出遥拝~後楽園散策~元旦夕食の買い物をしてやっと帰宅。

時刻はちょうど正午前、ようやく食事にありついた。

カミさんと息子と私の三人の静かな元日の食事。

息子は仕事の関係で、午後4時までは自宅待機で禁酒という。

 

ということで我々夫婦ふたりでワインハーフボトル、缶ビール2本、加えて私は日本酒を1合少々飲んで出来上がって、ひと眠りしたら午後4時30分頃、娘一家がやってきた。



将棋を覚えた6年生の孫は、やってくる前に「おじいちゃんのところに将棋盤あるかなあ、持って行こうか」と言っているけれどと娘からLINEがあった。

将棋盤を持たずに将棋初段は取れないよと言っておいた。

やってきて初めて出した縦一尺二寸(約36.4㎝)横一尺一寸(約33.3㎝)の将棋盤と駒台と彫り駒を見て孫はすげえと感嘆の声をあげた。

孫に好評の将棋盤


早速、孫との将棋が始まった。もちろん、飛車角、桂香6枚落ちで試しにやってみたが、碁でも同じだけれど初心者は音のする方に附いて指してくる。

でも6枚落ちだから、際どくなり、孫に勝ち筋もあったけれど、じいさんの勝ち。

 

次は銀も落として8枚落ち。

流石にこれは孫が勝って喜んだ。

でも翌日再度挑戦してきて、6枚落ちで1勝1敗となった。

なかなか見込みはあるけれど、じいさんが生きている間に平手で指すことができれば無上の喜びだけどそれは無理だろうと思う。

私も親父とは1万局以上指したけれど、じいさんとは指したことがない。

じいさんとの将棋、思い出してくれるだろうかとまんざらでもない。

 

午後7時過ぎ新年会が始まった。

1.5㎏の肉と野菜は1時間ほどで平らげた。

センリョウ?マンリョウ?



ウクライナで暮らす人々には申し訳ないけれど、何としてもロシアとの戦争に勝利してもらいたい。

そして、平和な生活をもう一度取り戻してほしいと願うばかりだ。

私たち日本人も今の平和を何としても守らないといけないと、平和な生活が今あることに深く感謝した令和5年元旦の一日だった。

 

今年もよろしくお願いします。

 

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東京散歩 麴町~乾門~靖国神社辺りを歩く

11月28日(月)朝はウオーキングがてら見つけたカフェ(EXCELSIOR CAFFE エクセルシオールカフェというそうだ)で私はハムレタスサンド、カミさんはチーズワッフルサンドのモーニングセットを食べる。

ホテル一帯を一周する。

 

交差点では児童送迎ボランティアのお年寄りが学童の通学を旗を持って見守っている。

日本全国どこでも見る朝の光景だが、同年配者としてその精神に頭が下がる。

なんだかんだと大きなことを言ってもそうした精神に欠けているといつも反省しているが、ボランティア活動に捧げる勇気と精神の発露がないのだと思う。

 

それから荷物を整理して午前9時チェックアウト。

スーツケース二個は宅急便で送る。

4200円ほど。

高齢者にはこの費用負担も必要経費だ。

通り抜けに向かう人々



リュック一つ背負って、今日は昨日歩くことができなかった乾門通り抜けに再挑戦。

有楽町線で有楽町駅に行き、坂下門に向かった。

月曜日の朝、もう大勢の人が詰めかけている。

流石は東京だと再び思いを巡らせた。

 

大勢の警察官や宮内庁職員や都庁職員、アルバイトも含めてだろうが、厳戒態勢を敷いている。

皇居の中を巡るのは2度目だ。

現役時代、東京であった研修の一環で案内してもらったことがある。

カミさんのおばあさんも皇居の掃除、草取りの奉仕団の一員として、上京していたという。

 

坂下門の入り口では検温、消毒、勿論マスク、一通りのコロナ対策があった。

坂下門を抜けて少し進むと宮内庁があった。

宮内庁


なかなかお目にかかることがない官庁の建物をパチリ写真に収める。

人の気配を感じない、宮内庁はひっそりと建っていた。

 

今年の紅・黄葉は冷え込みが少なかったからか、雨が少なかったからか、日照の問題があったのか、乾門の通り抜けに限らず、どこの紅葉も例年と比べて、色彩が今一つ地味で感動を与えてくれることが少ない。

イロハモミジだろうか


そういえば一昨日会った弟も神宮外苑を歩いたが、まだ早いのか大したことはなかったと言っていた。

だんだん足がくたびれてきた。

乾門を出た時は疲労感の方が気になっていた。

 

それから武道館の横を抜けて田安門から市ヶ谷駅の方向に歩いていたら、新しく整備されたスポット公園があった。

スポット公園の高灯籠


立ち止まって眺めていたら、若い男性が近づいてきた。

千代田区の公園担当の職員と名乗り、この公園についてアンケートしているので協力してほしいと言われた。

断ることが苦手な小生はいつもの通り、アンケート用紙を受け取り回答を書いて渡した。

まあ、同じように地方公務員をしていた身を考えれば拒むわけにはいかない。

 

靖国神社


しばらく歩いていくと靖国神社があった。

昔、旧日本陸軍少佐だった親父と弟3人で参ったことを思い出した。

反戦平和主義者のカミさんにお参りしていくかと問うと、素直に同意した。

神社神殿で手を合わせて、ウクライナ勝利を祈願した。 

 

町中華の焼きそば


ちょうど正午、歩いて来るときに見つけた神社前の町中華で五目焼きそばを食べる。サラリーマンや職人風の人が次々にやってきて人気店だった。

でも味はノーサンキュー。

化学調味料主体の味付けで、後味の悪さが口の中に長く残った。

町中華は難しいとちょっと後悔した。

 

それから市ヶ谷駅から山手線で浜松町に行こうと歩いた。

この辺は何度も何度も歩いているはずなのに、一向に目指す市ヶ谷駅に至らない。家の外を掃除していたじいさんに聞くと、「市ヶ谷、とんでもない遠くに来ている」と大仰に声を発した。

靖国神社からそう遠くないところにいるはずなのになあと内心不満だった。

じいさんはそこの先を右に歩いていくと半蔵門線があるからそれに乗るといいと教えてくれた。

私たちのそばにいたおばあさん二人も半蔵門線の駅を探していたようで、じいさんの声を聞いて同じ方向に歩いて行った。

半蔵門線で永田町乗り換え、有楽町線で有楽町へ、山手線で浜松町、そしてモノレールで羽田に到着したのは午後1時30分過ぎだった。

羽田空港から一路岡山へ


荷物がないのですぐに保安検査場に行き、搭乗口に急いだ。

帰りの岡山便はわずかに空席があったが、まさに、全国旅割様様だった。

 

 

今年1年間、当ブログをご愛読いただきありがとうございました。

今年は再三再四襲ってくるコロナ禍の中、ロシアのウクライナ侵略戦争、イランヒジャブ女性急死事件から波及した抗議行動者に対する死刑執行など不条理で許し難い強権主義が世界を覆いました。

 

新しい年はこうした困難な問題が一つずつ良い方向に向かうよう願い、本年のブログ仕舞とさせていただきます。

 

来る年もよろしくお願いします。

 

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久しぶりの東京散歩  国立博物館から神田藪へ

国立博物館 表慶館 


昨日は岡山朝一番の飛行機で上京して、二泊する麹町の東京グリーパレスに荷物を預けた。

それから近親者10人ほどで義兄の一周忌法要と納骨式に藏前のマンション型納骨堂で執り行い、仕上げを懐石料理今井総本店で食べ、その後平均年齢75歳を超す姉弟6人で神谷バーでの二次会と相成った。

 

神谷バーは太宰治などの著名人で有名なところだということだが、私は初めて聞く名前だった。

ただバーという名称ではあるが、我々が行ったのは二階のレストランだったようだ。

料理の種類も豊富で客席も広く、大勢のお客さんでにぎわっていた。

有名な太宰の写真は一階で撮影されたらしい。

それにしても今の若い人たちは礼儀正しいお酒の飲み方だ。

それに引き換え昭和時代のじいさん婆さんはよく飲む。

神谷バーでも馬刺しを肴にワイン一本空けた。

ほとんど私一人で平らげた馬刺し



さて翌日は日曜日 今朝はホテルのモーニングを食べる。

このホテルは長いこと定宿のようにして使ってきたが、品数も少なくなり、内容も貧弱になったように思った。

 

今日は上野の国立博物館に行く。

ちょうど国宝展が開かれているが、事前予約は売り切れて入場はできないようだけれど常設展は見ることができるだろう、それに西洋美術館のピカソ展に行きたいというカミさんの希望もあった。

市ヶ谷の駅から秋葉原に出て上野に行った。

上野公園の人混み



いい天気、上野公園は大勢の人であふれていた。

自分のことは棚に上げて「これではコロナは収まるまい」と思った。

国立博物館での特別展には何度か来たことがあったが、常設展を鑑賞するのは初めてのような気がする。

国宝展の窓口とは別。

 

入口で常設展は65歳以上は無料と知ったが、カミさんは証明するものがないという。私は免許証を提示したが、カミさんは免許証を返納してしまったので、用意していないという。

ただ、顔を見れば65歳以上かどうかはわかる。

係員は「今日だけは無料ですが、これからは必ず証明するものを持参してください」と厳重に言われた。

先日行った沖縄博物館美術館でも70歳以上は無料だったが、最近は高齢者が多くなり高齢者の無料サービスは少なくなっているような気がする。

常設展の観音像 詳しい名称は忘れた 一緒に写しておけばよかった



常設展は思いのほか見ごたえがあり、すっかりくたびれてしまった。

美術館でも博物館でも歴史あるものや芸術性のあるものはエネルギーを吸い取られるのか、疲れてしまう。

と言いながら国立西洋美術館「ピカソとその時代」を鑑賞した。

どうも凡人にはピカサの絵を理解することが理解できない。

美的にも芸術性にも私の感性ではとてもついていけないのだ。

ピカソ展より



ただ、気が付いたことがある。

以前、美術館や博物館ではほとんど写真撮影禁止だったが、国立博物館ではほとんどフリーだったし、西洋美術館では特定の展示物以外は許可されていた。

そういえば、今年行った京都でのポンペイ展でも撮影は許されていた。

いつごろからこのような変化が出てきていたのか、これはいい変化だと思った。

 

さて、上野を後にしたときはすでに1時を回っていた。

今日は神田に出て、お昼は神田の藪でお蕎麦を食べる計画だ。

神田の藪は以前、弟と一緒に行ったが、あいにく、火災で焼失し、再建中で食べることができなかった。

その時は、以前から時々利用していた九段一茶庵に変更したが、私の好きだった一茶庵も今では閉店してしまった。

神田藪 外観 待ちながら選べるようにメニューが掲示してある



1時30分過ぎ到着した。

午後1時を過ぎているのに10人くらい並んでいた。

10分以上待って入店した。

 

せいろうそば


私は冷せいろうそば2枚、カミさんは1枚頼んだ。

お帳場のようなところに立つ、お女将さんみたいな方が注文が入るたびに独特の口調で、注文の品を繰り返していた。

蕎麦もそばつゆも、こびることのない、これが老舗の味だよと教えてくれる。

値段などを考えると少しお高くとまりすぎかなとも思った。

でも美味しくいただきました。

 

神田藪蕎麦を出たのはもう午後2時をだいぶ回っていた。

これからは特に予定もなく、皇居乾門の通り抜けにでも行ってみようと神田から有楽町に出て皇居方面に歩いた。

午後3時を回っていた。

坂下門に向かって皇居外苑を歩いていたら、プラカードを持った女性が今日の通り抜けは終わったと教えてくれた。

 

有楽町駅に戻っていたら、無料シャトルバスが走っていた。

現役時代、何度か利用したことがある。

10分前後でやってくる。

東京のど真ん中で無料バスとはどういう資金でやっているのだろう。

これが東京だといつも思う。

 

有楽町線で午後5時ころ麹町のホテルに戻った。

今夜はホテルで夕食だ。

7時過ぎに地下にあるレストランに降りて行った。

ドアが閉まっていた。

中で職員がいすや机を片付けていた。

「今日はレストランはないんですか」と尋ねると

「日曜日はやっていません」と素っ気なく当然のように言われた。

日曜日は休業?

都市型ホテルのレストランが日曜日休業とは利用者が少ないのだろうが、このクラスのホテル業界の経営悪化を垣間見た気がした。

 

それではと、外に出て食べるところを探したが、日曜日に夜開いている店が少ないことに気づかされた。

こうした変化は恐らく長いコロナ禍の影響なのだろうと思った。

まあ仕方ないかと今夜もコンビニで、お弁当やサラダ、つまみ、ビール、ワインなど買って部屋飲みだ。

コンビニのセルフレジ

それにしても、東京のコンビニのセルフレジには驚いた。

地方ではスーパーはセルフ化が進みつつあるが、コンビニでは私の田舎ではまだ見ない。

そして、コンビにスタッフの外国人化が進み、日本人は何処に行くのかと思った。

 

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最終日は首里城の復興状況を見学。無事レンタカーを返せてホッとした。(新発見、再発見沖縄旅行最終日)

火災を免れた守礼門



金曜日 6時30分過ぎ、山田温泉で朝風呂。

出がけに、受付の女性(昔風に言えばら番台の女性)に、「毎日朝晩入ってよかった。満足したよ。ありがとうね。」と声をかけた。

 

風呂から帰ってくると、カミさんはこれから洗濯するという。

何もわざわざ最後の日に、それに間に合うのかなと思ったがここのセルフランドリーは乾燥機がガス式で早く乾燥するのだそうだ。

帰りの荷物に汚れものが入ってないと、それだけで快適とか。

5日間を過ごした部屋ともお別れ



朝食は、メインダイニングのフォーシーズン。

今朝は子供連れが比較的少なく、メインダイニングらしく品が良くて高級感があって落ち着いて食事ができた。

4泊5日沖縄の旅最終日で観光は首里城周辺に絞っているためチェックアウトの11時までホテルでのお土産の買い物や荷物の整理など割合ゆったりした時間を過ごした。

もちろん洗濯も余裕で終わった。



それから沖縄道を首里城公園に向かった。

今日は2019年2月に姉弟会で訪れ、その年の10月31日に火災により焼失した首里城への再訪だった。

この11月3日に起工式があったばかり。

首里城正殿の様子 工事用の建物に覆われて復興状況がよくわからない

 

火災のすごさを示すの龍の口ひげ

ウロコや眼はこんなになっていた




首里城地下駐車場に車を停めて、火災からは逃れた守礼門をくぐり首里城復興モデルコースを歩いた。

首里城正殿をはじめとする建築物のほとんどを焼失し、工事現場を遮蔽する囲いとお城の石垣だけが目につく。

首里城の城壁 やはり世界遺産の城の中では随一だ


今回の沖縄旅行は世界遺産の5城のうち今帰仁城、中城城、首里城を見た。

中城城の城壁に感嘆したけれど、首里城に来て改めて城壁を見ると、さすがは首里城だと思ったものだ。

規模と言い、造形美と言い、やはり首里城にはかなわないのだと知った。

建物が焼失し、城壁を眺め、城壁に上って、改めての再発見だった。

 

お昼は首里城駐車場と同じ建物にあるレストランで、私は首里城定食1250円、カミさんは長命そばセット1050円を食べる。

首里城定食 ジューシー(炊き込みご飯)もついて大変おいしかった

カミさんが食べた長命草そばセット。そばが固くて長すぎてイマイチだったらしい。



食後は首里城から車ですぐの沖縄県立博物館・美術館を見学する。

常設展は70歳以上は無料がうれしい。

豊富な収蔵物の展示を鑑賞していたら、半分も見ないうちにタイムオーバーというよりも、くたびれてしまった。

でも、もう一度来る機会があれば、今度はしっかりと見たいと思った。

ここはモノレールでくることができるはずだ。

 

お土産1 空港で買った本貫花という沖縄和菓子



それからナビに従ってレンタカーを返しに行く。対向車線から向きを変えるのに少々手間取ったが何とかたどり着いた。

出発の際、対向車線からUターンは絶対にしないようにと注意を受けていた。

カミさんによればガソリンは満タン返し、ガソリンスタンドはこの店を少し行き過ぎたところにあると説明を受けたらしいが、生来いい加減な性格でレンタカー会社の前に停めて、カミさんに聞きに行かせたら、二軒ほど先だという。

よく見れば、看板が見えていた。

ガソリンスタンドのスタッフが、広い道に出なくても店の敷地を横切って裏からガリバーさんに行けますよと教えてくれた。

老人に親切な沖縄の人のやさしさをここでも感じた。

お土産2 ホテルで買ったパイナップルケーキ

無事、満タンにしてレンタカー会社にたどり着くと店長や担当者が店から出て迎えてくれた。

やはり、心配してくれていたのだろうなと感謝した。

車の点検も済んで、店長に「これでレンタカーの旅行は終わりにしますよ。」と告げると、店長は笑いながら「また使ってください」と言った。

 

店の車で空港まで送ってもらった。

運転する若者が「今日は真夏のように暑いですよ」と言った。

このレンタカー会社でも沖縄の人の良さを再発見したのだった。

お店の人の話では70歳以上のレンタカーの原則貸し出ししないというのは沖縄のレンタカー会社の中でもここだけということだったので付け加えておきます。

お土産3空港で買った泡盛



午後4時30分過ぎ那覇空港到着。

まずは、荷物を預け、それから冷たいものをとかき氷を探したが、見当たらずソフトクリームを食べる。

流石に沖縄でもかき氷は終わり近くになっているのだろう。

それからお土産を探してあちこち歩いた。

 

フライトは午後6時45分。

待合室の椅子に掛けていたら眠ってしまった。

やはり年を取った。

飛行機は帰りも満席。

午後8時30分過ぎ岡山空港到着。

夜の高速道路を避けて地道を通って帰宅した。

 

息子は夕ご飯を食べたところだと言いながら、まあ沖縄旅行の土産話を聞きましょうと言って、晩酌に付き合ってくれた。

 

本当に、もうレンタカーを使っての旅行はおしまいにしないといけない。

 


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