65年振りの鹿児島の旅(三日目)

伊勢海老


鹿児島市と指宿市を結ぶ、鹿児島県道路公社が管理する有料道路「指宿スカイライン」のことを書き忘れていた。

九州自動車道から続く指宿スカイラインは起点鹿児島IC~南九州頴娃(えい)IC36.8㎞。

鹿児島IC~山田IC(鹿児島市)4車線最高速度70㎞有料区間、山田IC~谷山IC4車線無料区間、谷山~頴娃IC有料区間という複雑な料金体系の道路だ。

どのへんで気が付いたのだろう、多分、谷山ICに入ってからだったろうか、対向車線の車を見たのは2台だけだった。料金も100円か無料ではとても建設事業費の返済どころか、高齢者対策で雇用している人件費も支払うこともできないだろう。

有料道路事業という制度を利用して建設している以上、常識では考えられないようなお役所のご都合主義があるのだろうと想像した。

蕎麦屋の女性職員にスカイラインのことを聞いたら、地元の人で使う人はほとんどいないと笑われた。

 

さて、これから日本最南端の始発・終着駅JR枕崎駅に行く。

小雨が降る中をJR枕崎駅に到着した。

人っ子一人いない、寂しさが募る無人駅だった。

一日午前2本、午後4本、鹿児島中央駅まで2時間45分。

ホームのそばに立ち、鹿児島方面につながる鉄路を眺め、反対方向に線路のその先がないという状況を実感すると最終駅の寂しさがよけいに募った。

ちょうど小雨が降っていたのもそういう意識を増幅させたに違いない。

              伊勢海老のステーキ



さあ、これから今回の旅行のメーンイベントである今日の宿泊地、いせえび荘に行く。

宿は南九州市頴娃町別府という地名にあり、あとから地図を眺めて自分の立ち位置を勘違いしていたことに気が付いた。

ここから見る正面の海はいわゆる東シナ海、左側の雲をかぶっているのが開聞岳だったが、その時は正面に見える海は鹿児島湾の中だとばかり思って眺めていたのだった。

開聞岳と海がごっちゃになっていたのだった。

 

いせえび荘の売りは「一年中新鮮ないせび尽くし料理」と、水平線と薩摩富士「開聞岳」を一望できる絶好のロケーションとあった。

イセエビ荘メニュー



いせえび尽くしとは、伊勢海老の活き造り、伊勢海老の味噌汁、伊勢海老のセイロ飯、伊勢海老の塩ゆがき、伊勢海老のステーキだ。

その上に特別に大きな平目一匹の活き造り、のん兵衛ぞろいの後期高齢者は垂涎のごちそうにのどを鳴らし、酔いにひたり、今宵は少しのみすぎてしまった。

平目の薄造り



朝、小雨が降ったりやんだりしていた。

朝のウォーキング、いせえび荘から海岸まではすぐ目と鼻の先だ。

海岸線から海に突き出た遊歩道があり、海の中を一周できる。

一周といっても小学校の校庭を一回りする程度だったが、やや強風の中、白い波が打ち付け、少し荒れていた。

海に踏み出すところには、

「高い波があるときは通行しないでください。すべて自己責任です。」

と警告していた。

流石にその警告文を読み、やや高い波が打ち付ける柵も手すりもない海の中の遊歩道に一人踏み出す勇気がなく私は引き返したのだった。

隣室のべーちゃんが手を振っているのを見て、私も手を振った。

昨夜は飲み過ぎてちょっと踏み外していたが、何の憂いもない朝の挨拶だった。

 

朝ごはん、テーブルに、メニューを描いたかわいい手書きカラーのイラスト入りのチラシが置いてあった。

朝ごはんイラストメニュー

鹿児島といえば黒豚・黒豚のセイロ蒸し、鮭を香ばしく焼き上げた味噌漬け焼き魚、イセエビの南蛮漬け汁などが描かれていた。

美味しい朝ごはんを平らげた。

 

朝ごはんの後、それぞれの部屋で出発の準備をしていた。

私は弟と2人部屋。そこにHちゃんが入ってきた。

おずおずとお金を差し出した。

弟は

「いいよいいよ、気にしなくて」と言っている。

今回の平目の活き造りは弟が思わぬ株の儲けがあったのでと差し入れたのだったが、お金持ちのHちゃんも弟にだけさせるのは悪いと思ったのか、「遅くなって」ともごもごと口の中で繰り返していた。

だが、Hちゃんも引き下がらない。

よくよく聞いてみると、まだ会費を払っていなかったのだという。

会費は最初の日に徴収したとばかり思っていたが、徴収するほうも、払うほうもいい加減だ。

弟が

「そういえばまだもらってなかったなあ」と言い出して、一件落着したが、私もそばで見ていて、お金持ちのHちゃんが気にして持ってきたものと勘違いしていた。

まあ、こんなおめでたい連中だからこの会は長続きするのだろうと思った。

宿の支払いを済ませて、車は宿の駐車場に置かせてもらって我々はこの地の番所鼻(ばんどころばな)自然公園内にあるタツノオトシゴハウスに向かった。

タツノオトシゴハウス

宿から10分ほどのところだった。

入場無料で1000匹以上のタツノオトシゴの生態を観察でき、オリジナルグッズの販売やカフェもあった。

10時から営業開始。10時前だったが鍵は開いていたので

「まだかなあ」

と言いながら入っていくと

「いいですよ。どうぞどうぞ」

と明るく愛想のいい女性だった。

ご主人がタツノオトシゴに魅せられて、関東から移り住んでここでタツノオトシゴを養殖し販売していると話した。

確かにタツノオトシゴの生態を観察していると、なかなかユニークで面白い。

ただ、見せられて職業にしてしまう人がいるという没入人生は私にはとてもできないと思った。

 

いよいよ鹿児島に向けて出発。

天気予報では今日は北九州から熊本あたりで大雨が降っているようだ。

鹿児島県では私たちがいた指宿あたりはまで曇り状態だったが、鹿児島市内に近づいていくと雨が強くなっていた。

レンタカーを返したころには本降りになった。

Hちゃんは傘もカッパも持っていないという。

ちょうど私は両方を持ち合わせていたので、カッパを着るように勧め

枕崎駅


ると

「いいよいいよ」

と遠慮する。

それを聞いていた本家のMちゃんが

「H!この雨の中を傘もささずに歩いたらずぶぬれになるよ!」

と怒鳴った。

本家の兄いの怒声には、子供の頃から抵抗できない。

すぐに素直に従ってカッパ姿になった。

合羽を着た途端にHちゃんは元気に笑顔になった。

内心困っていたのだろうと想像した。

 

強い雨の中を鹿児島中央駅に向かった。

私の傘は小さな傘だったので、私が一番濡れた。

Mちゃんが背中が濡れていると労わってくれた。

何事にも目配り、配慮を怠らないのは本家の頭領としての資質を備えているといつも感心する。

 

鹿児島中央駅3階の居酒屋の一室で今回の旅行の打ち上げ会。

最初の旅行が20年ほど前だからさすがに酒量は減った。

最盛期の1/3くらいだろうか。

一番最初の旅行の打ち上げ式は名古屋駅構内だった。

居酒屋にあった冷蔵ショーケースの日本酒を平らげてしまった。

今回の打ち上げでも、その思い出話で盛り上がったのだった。

そして次の旅探しで瞬く間に別れの時が来た。

我々兄弟は運転を再開した新幹線で、東京組は鹿児島空港へ帰宅の途に就いたのだった。

 

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桜島から知覧へ(鹿児島の旅二日目)

桜島ビジターセンター



朝、6時過ぎに目が覚めた。

日常生活に完全に組み込まれたウオーキングは欠かせない。

6時30分前にホテルを出て鹿児島中央駅方面に歩く。

市電がひっきりなしに動いていた。

鹿児島中央駅の市電の時刻表を見ると始発は5時30分過ぎ、ほとんど10分も間を置かずに電車が来るようだった。

地方都市にしては珍しい運行状況だ。

鹿児島市経済圏が交通網の中でコンパクトに機能しているように思った。

桜島溶岩



もう30年以上前になるが、現役のころコンパクトシティの先進地青森市を視察したことがあった。

大雑把にいうと、分散している住民を都市部へ移住させて効率的な都市計画、都市運営を行う必要があるということで進めているという話を担当者から聞いた。

でも、その担当者から、住民を移住させるためにマンション建設が盛んであるが、その買い手はほとんど東京の人が投資目的で買っている。

山間部の住人が買えるはずがないと本音の声を聞いた。

今回、コンパクトシティ青森と検索してみたら、失敗事例青森市として取り上げられていた。

 

7時前にホテルに戻ると1階の食堂はすでに大勢の泊り客が朝食をとっていた。

コンパクト食堂は泊り客が一杯だから混雑する。

このホテルは駅より至便、よって交通至便、こういう人たちにはコンパクトがいいのだ。

駅から近く、食堂は狭いながらも、バイキングの種類も適当に揃っていておいしく、コストパフォーマンスのいい東横インで満足、満足だった。

今日はレンタカーで桜島に渡る。

 

今日も弟が運転手だ。

彼は私と違って、何事にも献身的に尽くす。

ホテルから鹿児島港フェリーターミナルまでは10分ほど。

車と一緒に桜島に渡り錦江湾(鹿児島湾)を半周してから知覧方面に行くという。

桜島は時折小雨が舞う中、雲の中で見えなかった。

桜島ビジターセンターに入る。

桜島の噴火の歴史などお勉強する。

何といっても無料なのがいい。

桜島溶岩が残るなぎさ公園を歩く。

公園内に足湯があり女性二人が足湯に浸かっていた。

 

65年前にも桜島に渡り、多分ここだったのだろう黒い溶岩を見て、その時は時間が無くなって鹿児島にとんぼ返りした記憶がよみがえった。

今回は、これから錦江湾を左に見ながら知覧までドライブだ。

昼過ぎ、知覧吹上庵そば道場に到着。

玄関隣で大水車が回っていた。なかなかの演出だ。

さて蕎麦はどうか。私は天ざるを注文した。

そば道場と銘打つ蕎麦だ。

不味いわけはない。

しっかりとしたコシのある蕎麦、のど越しの良い、おいしい蕎麦だった。

蕎麦に一番、二番を付けるのははなはだ難しい。

食べる側の体調だって影響している。それほど微妙なものだ。

本当は何度も食べて間違いなく大好き、第一になっていくのだと思う。

そういう観点から言えば、初めてのお店での適切妥当な評価は単純においしい蕎麦だねという感想こそが評価の基準値だ思う。

その意味ではまずは合格なのだ。

そしてこのお店の天ざるが1300円という安さに驚いた。

コストパフォーマンスからいえば最強ではないかと思ったのだった。

知覧武家屋敷



それから一行は知覧武家屋敷を歩いた。

ここは磨き上げられたようによく整えられ保存されたきた武家屋敷群だった。

ただ、薩摩藩は鹿児島が城下町、この遠く離れた知覧になぜこのような立派な武家屋敷が存在するのか不思議に思った。

 

それから知覧特攻平和会館に入館した。

ただ、英霊を祭る入館時間については、我々のようなヨイヨイの5人組の中でも、食事前に入館すべきという意見が根強くあった。

というのは、特攻死という壮烈な戦死者の弔い参観を前にして、昼飯を食って酒を食らってというのはあまりにもというもっともな意見があったのだが、年寄といっても戦争を知らない子供たちだった我々は、食欲と呑み欲に負けてしまったのだった。

というわけで、いい塩梅に出来上がって入館したのだった。

申し訳ありません。

特攻兵の寝所・三角兵舎



入館して展示されてある、特攻前日までに書いた遺書がたくさん掲示され、ひとつひとつを時間を忘れて読む。

書いた一人一人の気持ちが伝わってくる。

しかし、読んでも読んでも何もできない立場にいる現実があるのだ。

だんだんこのように展示して見せるものなのだろうかという疑問がわいてきた。

二度と戦争を起こさせないために、という思いはわかるけれど入館料を取って見せて、申し訳ないけれど主催者の自己満足ではないのかなどという思いが強くなったのだった。

主催者の講演などもあったけれど、5人組は静かに退館したのだった。

まだ歴史にはなっていない、我々の父母、姉たちが体験した太平洋戦争をどのように残し接していくべきなのか。

戦争は未体験ではあるが、まだまだ昭和時代の忘れてはいけない現実として見聞きしてきた我々にはまだ同時代に近く一緒に生きてきた思いは伝わっている。

明治時代や江戸時代以前を眺めるようにはいかないという思いが強くなったのだった。

(続く)

 

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65年振りの鹿児島の旅(一日目)

桜島


今回のいとこ会男子部の旅は鹿児島だ。

鹿児島には出張で2度。

私的に旅をするのは2度目だ。

最初の旅は中学を卒業した記念に友達4人と今回とほぼ同じコースを巡った。

 

その時は岡山から夜行急行に乗り、朝、西鹿児島駅に着いたのを覚えている。

桜島や開聞岳、池田湖など巡ったが桜島以外はどうやって巡ったのか、バスに乗った記憶がはっきりとしない。

開聞岳を遠くに見ながら歩いた記憶があるが、まさかあの遠い道を歩いきながら回るはずはない。

多分路線バスを使ったのだろうがまったく記憶にないのだ。

貧しい親たちが捻出してくれた中学卒業記念旅行なのに、ぼんやりとした記憶しか残っていない。

申し訳ないことだと思った。

誰にも言わなかったけれど、合間合間に13歳の少年の旅に78歳の後期高齢者の旅を重ね合わせながら巡っていた。

 

 

午前6時22分始発のバスに乗り込んだ。

乗客が半分くらい、皆さん座っていたが、岡山駅到着時にはバスは立錐の余地もないくらい、ほぼ満員だった。

旅行にでも行かない限り、始発バスの状況など知る余地もないが、世の中結構活気があるじゃないかとちょっぴり元気をいただいた。

新幹線の改札口で弟と落ち合い、7時15分新幹線鹿児島行さくら号に乗車した。

指定席を取ってよかった。

新幹線も岡山で8割がたの乗車率。

日本経済誰が金を持っているのかと家にいるときは不平を言っているが、こうして外に出てみると確かにみんな忙しそうに動いてゆとりがありそうに見えるではないか。

好調日本なのか、半信半疑ではあるが‥‥?。

 

午前10時31分鹿児島中央駅に到着。

乗車時間3時間16分は岡山から東京に行くより少し短い。

鹿児島中央駅東口広場に設置されている「若き薩摩の群像」前が東京組との落ち合う場所だ。

東京組は鹿児島空港よりバスで来る。

10時40分ほとんど予定通りやってきた。

早速、本日泊る東横インに向い荷物を預ける。

 

さあ、これから出発の会だ。

予約はとっていないので、これから店探し。

グルメの面々はこれが楽しい。

11時30分過ぎ。

若き薩摩の群像

まだ開いていない店が多い。

そんな中で鹿児島屋台村という店が店先に出した屋台の場所でならとOKを出してくれてのん兵衛たちはいそいそと軒先の屋台に座った。

まずは生ビールで乾杯。本家のMちゃんはいつものようにビールの刺激を避けてお酒で乾杯した。

皆がMちゃんにひりひりする?と聞く。

これはもはや同志のあいさつのようなものだ。

Mちゃんは少ししかめっ面でちょっとひりひりすると答える。

でも少し時間が経つとアルコールのせいで手術の吻合部がマヒしてくるのかひりひり感は薄らぐようだった。

さつま揚げや餃子、きびなごの刺身など食べる。

特にきびなごの刺身(写真)が美味しく、どこに行っても注文した。

きびなご 刺身

仙厳園の門



さて、これから鹿児島中央駅から10分ほどの仙巌園駅に行く。

仙巌園は薩摩藩島津家別邸でその御殿や大名庭園などが見どころだ。

我々5人の従兄弟会の中でちょうど真ん中のH君は数年前から杖を頼りに歩いている。

ちょうど入口にシニアーカーが2台置いてあった。

目ざといべーちゃんが、Hちゃんこれがいいんじゃないと誘った。

いつもはたいていのことに遠慮するH君は自ら進んで運転座席に腰を下ろした。

案内役の女性の説明をしっかり聞いていた。

シニアカーに乗るHくん



年の離れた2人の姉の下にやっと生まれた大事な跡継ぎ、車の運転などとんでもないと親に車の免許取得など認めてもらえなかったのだろう。

長年の思いがやっと実現したような喜びが表れていた。

べーちゃんが初めての運転が無免許、飲酒運転だとはやし立てたが、H君はどこ吹く風で満足気に運転に没入していた。

最初は少し怪しい運転だったが、すぐにコツをつかんでドライブを楽しんでいた。

こんなに堂々としたH君を見るのは久しぶりだった。(写真)

 

仙巌園を歩きながら写真に撮ったのは獅子乗大石灯篭と、庭園から見た見事な桜島の全景だった。

再び、仙巌駅から鹿児島中央駅に戻り、東横インにチェックインした。

シャワーを浴びてしばらく休息。

午後6時過ぎに夕食に出る。

今夜は居酒屋「和総」。

鹿児島中央駅から市電に乗り鹿児島一の繁華街「天文館」に行く。

「和総」は天文館通りを少し歩いてすぐに見つかった。

といっても私は幹事について歩くだけだったけど。

天文館 和総



入店して6人掛けのイス席に通された。

壁の棚には焼酎の一升瓶が林立していた。

今夜は飲むぞと皆、意気込んでいる。

それを察してか、Mちゃんも皆と一緒に生ビール中を頼んで乾杯。

乾杯が終わると皆一斉に,ひりひりするかいと声をかける。

これはもう乾杯と同じような、我々の合言葉となってしまった。

 

さつま揚げやきびなごの刺身など、昼と同じようなものを食べたのは覚えているが、そのほか何を食べたのかほとんど覚えていない。

ただ、おいしくいただいたのは確かだ。

みんな大満足して夕食会を終えた。

そして、今夜はこれからカラオケ大会。

盛り上がって2時間ほど5老人は歌いまくったのだった。

何の遠慮のいらない従兄弟会男子部は命のある限り続いていくだろう。

と思いながらベッドに倒れこんだ。(続く)

 

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出雲路・いよいよ星野リゾート「界出雲」チェックイン(三日目~四日目)

日御碕灯台


出雲大社から「界出雲」のある、日御碕灯台までは車で20分ほど。

午後3時過ぎには到着。

部屋に荷物を置いてすぐ、我々夫婦は日御碕灯台に向かった。

この灯台に昇るのは3度目。

日本全国で昇れる灯台は16あるという。

そのうち昇ったことがある灯台は、ここ日御碕灯台、千葉県銚子市にある犬吠岬灯台、沖縄県にある残波岬灯台の3つしかない。

国宝5城は完登したけれど、16灯台を完登することはこの年ではとても困難だ。

 

日御碕灯台はホテルから海岸に向かって、すぐそばという距離。

歩いて10分とかからない。

行く途中にかつて賑わったであろうお土産屋さんが、ほとんど廃店状態で存在していた。

出雲大社はあんなに賑わっていたのに、なぜこのような状況になっているのか不思議に思った。

ただ、お土産屋さんと書いたけれど、店らしい様子の店舗はこの一軒のみで、それもお店といっても野菜を並べたり、一目で売れ残ったお土産物と思われる商品が散在して、よく見れば今は営業の気配はなかった。

私の記憶では昔からお店はここだけだったような気がした。

競争相手もなく、営業戦略もなく時が経つうちに見捨てられたのだろうと勝手に想像したのだった。

でも、あの星野リゾートがホテル経営の候補地として選び進出した土地である。

恐らく、周りには日御碕灯台しかないこの地の魅力に着眼したに違いないと思った。

 

その日御碕灯台は地上から灯火室まで39mとあり、灯台の高さでは日本一とあった。

切符売り場の女性は60歳前後か。

後期高齢者でも昇れるかなあと問いかけたら、笑顔で

「大丈夫、大丈夫」

と元気づけてくれた。

でも、昇る人も降りる人もはそれほどなく、ゆっくりと昇れた。

螺旋階段の途中には、あと何段ですという札が貼ってあり、昇る人たちを激励してくれる。

全部で163段を昇って、展望デッキに到着した。

今日は少し曇り気味だけど穏やかな日本海が見渡せた。

灯台から眺める「界出雲」は3階建てではあるが、何だか小学校のように見えて見栄えはしなかった。

灯台から界出雲をのぞむ



かみさんは怖がりな癖に高いところが好きで、天守閣や灯台などには昇りたがる。

岡山弁の方言で怖がりなひとを「おんびんたれ」というが、彼女は「おんびんたれ」なくせに、高いところが好きなんよなあという表現はその様をよく表わした方言だと岡山県人には理解できる。

そのおんびんたれの高いところ好きの彼女が、螺旋階段の高いところで、足を滑らせた。

腰を落とし両手を階段について落下を防いだ。

あわやではあったが、手のひらを少し擦りむいただけですんだ。

転落一歩手前だったが、大したことないとおんびんたれの彼女は強がりを言った。

 

平日の日御碕灯台の閉館は16時30分。

私たちは終了時間前に退館したが、駆け込みで入館する人もまだいた。

16時30分を少し過ぎた頃、60代の男性が駆け込むようにやってきて、入館を粘っていたが、さすがに規定は曲げられず、残念がっていた。

当然といえば当然のことなのになぜあのように粘れるのか、不思議だ。

それからホテルに帰る途中で、姉様や弟夫婦と出会った。

皆、灯台には登っていないと言っていたが、数百メートル先の海岸まで行ったという。

流石に、そこまで足を延ばす体力は残っておらず、ホテルに戻った。

界出雲夕食お造り盛り合わせ



部屋に戻って、あらためて眺めた。

界出雲 客室の様子

広々とした室内の二つの大きなベッドは、一段高い床材の上にこの部屋の主人公然として据えられていた。

ただ、ベッドの床材の高さが10㎝以上あり年寄りには高すぎるように思った。

足腰の弱った高齢者には危なさを感じた。

窓際近くにソファーがあり海を眺め、テレビを鑑賞することができた。

ソファーとベッドとの間にはデスクとイスが置かれて、洋式スタイルで整えられていた。

何度も泊った沖縄のルネッサンスリゾート沖縄に比べると、このホテルのほうが和式感は残っているように思った。

パンフレットを見ていくと「界 温泉旅館」とあったので、基本的に和式感と洋式感を調和させた表現なのだろうと思った。

界出雲夕食(福神懐石)メニュー



食事は夕方5時30分からと7時30分からの二組に分けられていて、私たちのグループは5時30分からとちょっと早いディナーとなった。

ディナーの会場は1階の6人でゆったり過ごせる個室。

若い女性職員が付いて給仕をしてくれる。

今夜もワインやビールなど飲みながら、見ても食べても楽しめる趣向を凝らした福神会席を食べ尽くして2時間は瞬く間に過ぎてしまった。

とはいえ、赤ちょうちんに慣れている私は、野趣あふれたガツンと来る食材が少し恋しくも思った。

 

今夜は9時30分から界出雲の売り物である「石見神楽」の実演があるという。

7時30分に夕食を終えて各自部屋に戻って休息してと思っていたら、私たち夫婦はそのままうとうとして眠ってしまった。

目が覚めて、会場に降りていくと神楽はすでに終了していた。

弟夫婦は見たと言っていた。

神楽は私が育った広島県の備後地方には荒神神楽があり、お祭りや大晦日には一晩中、神楽が演じられていた。

岡山県でも備中地方には備中神楽が残っている。

神楽が終わってから大浴場に入った。

この時もなぜか一人風呂。

大浴場の独占状態ほど満足することはない。

と言いつつ、相変わらずカラスの行水。

貧乏性が治らない。

大きな風呂にゆったりと長く入るという気持ちにならず、結局、そそくさと出てしまうのだった。

界出雲朝食(和食)



翌朝は、ゆっくり8時から昨日の夕食の時と同じ場所での朝食。

朝食は和食と洋食を選択する。

奇しくも嫁さんたちは洋食、私たち姉弟は和食を選択した。

メニューと和食の写真です。

界出雲朝食メニュー

洋食を選択したうちのかみさんは、和食にすればよかったと後から言った。

和食のほうがおいしそうに見えたのだろう。

食いしん坊だ。

食後、姉たちが先に飲んでいたトラベルライブラリーでおいしいコーヒーをいただいた。

 

荷物をもってロビーで待っていると、女性職員が集合写真を撮りましょうと玄関の出たところでパチリと撮っていただいた。

島根での宿泊先ではどこでも写真を撮りましょう、と積極的に声をかけていただいた。

流石、観光客へのサービス精神がいきわたっていると思った。

 

そして、一路松江駅に向けてドライブを楽しんだ。

今年も楽しい姉弟旅行ができたと皆、満足感に浸っていたが、途中で、次姉がホテルに眼鏡を忘れた、多分、コーヒーをいただいた部屋だと思うという。

金縁で、金が値上がりしているからといつもはのんきな姉が少し真剣な表情だった。

電話すると眼鏡は忘れ物としてすでにフロントで預かっているということで一安心。

送っていただけることになりよかった、よかったと松江駅で米子空港に向かう姉たちを送り、我々はランチで乾杯。

帰りの特急やくもはそれぞれ連れ合い同士で座った。

まあこれがリーズナブル、一番安心できるのだと思いながら帰路についたのだった。

 

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出雲路・足立美術館~出雲大社へ(三日目)

足立美術館 庭園


今朝は、6時前にウオーキングに出かける。

宿泊しているさぎの湯荘を出ると斜め向かいに足立美術館がある。

徒歩一分。

美術館の前を左に曲がると農道を広げたような自動車が1台通れるほどのまっすぐに続く道路を歩いた。

1キロほど歩いて橋を渡った。

川幅は3メートルほど、後から地図を眺めたが川の名は出ていなかった。

渡って2車線道路は地図には広瀬清水街道とあった。

川に沿ってさぎの湯温泉に戻った。

今日のウオーキングでは誰一人出会わなかった。

足立美術館周辺ウォーキング



戻ってから朝ぶろに入った。

今風の高層階のホテル様式ではない昔ながらの和風旅館、長い廊下を歩いてお風呂にたどり着いた。

源泉かけ流しの天然温泉だ。

ここのお湯も、熱くもなくぬるくもなく、湯加減がちょうどいい。

今日の朝ぶろも独り占めで朝湯を楽しんだ。

 

朝食は姉弟6人で夕食と同じ場所。

優しい味でおいしかった。

鷺の湯荘朝食 

そして食後、出立前の別室でいただいた熱々の深い苦みの利いたコーヒーに大満足だった。

 

今日はとりあえず、旅館から歩いて1分の足立美術館に行く。

レンタカーは旅館の駐車場に置かせてもらった。

足立美術館の開館は午前9時から、すでに皆さん並んで待っていた。

昔々、現役のころ公費出張でイタリヤとフランスを視察した。

その時のグループの中に度々海外旅行をしていたものがいて、有名な美術館に行くときは開館と同時に入るのがコツなのよと教えてもらって、ルーブル美術館のミロのヴィーナスやモナ・リザなどの名画を並ぶことなく、眼前で鑑賞できたのだった。

ここ足立美術館に来たのは確か4度目か5度目になるが、開館時と同時に入るのは初めてだった。

 

足立美術館は横山大観をはじめとする、様々な高名な絵画はもとより、美術館の庭園とともに遠望できる山々をも一体に取り込んで管理した景色が素人目には単純に素晴らしく、美しく見とれてしまう。

米国の専門誌による日本庭園ランキングで20年以上連続で「日本一」に選ばれているというのもむべなるかなと思いながら、一方で我が岡山市にも日本三名園の後楽園がある。

後楽園は限りなく管理された調和美を実感できる庭園では日本一と自負しているし、倉敷市にある大原美術館には教科書に出てくる世界の名画が身近に鑑賞できると内心、大原美術館には及ぶまいとも思うのだった。

出雲大社1



それから一行は、今回の出雲旅行のメインである出雲大社に向かった。

出雲大社もこれまでに5回くらい来ている。

何といっても古代出雲地方を今に伝えるだけの力強さが歩きながら体感できる。

2000年もの昔に、この地方になぜこのような勢力が存在しえたのか。

一時はその道に進みかけた歴史好き、古代好きの少年時代の血が騒ぐのだった。

とりあえず出雲の神々に我が一族の平安を祈願した。

といいつつ、広い境内を歩いておなかが空いた。

ランチは出雲そばという。

出雲大社2



弟が両親を連れて旅行した時に食べたというお蕎麦屋が30年以上前と同じように営業しているというので入る。

弟は我々姉兄を連れてきたかったようだ。

弟はロマンチストだ。

両親との旅はいろいろあってさんざんだったと聞いたことがあったとけれど、その時の思い出は大事にしておきたかったのだろう。

そして姉、兄を連れて、ここでお昼をしたかったのだろうと想像したけれど、それ以上の思い出は語らなかった。

 

ところで、お昼はと聞かれて我々夫婦は天ざると生ビールを頼んだが、姉たちも弟夫婦も割子そばを注文した。

割子と聞いてから、出雲に来たら割子じゃあないかと舌打ちしたが後の祭り。

次姉も生ビールを注文したが、飲み切れず大半を残したので、私が飲んでしまった。

食べること、飲むこと、姉弟の中に入るとリラックスして甘えてしまう。

後から夫婦で反省した。

さあ、これから今回のメイン宿泊先の星野リゾート「界出雲」に行く。

といっても運転は弟、私は横で居眠りをしていた。

 

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ばけばけの世界を辿る(二日目)

月照寺 大亀



朝、6時30分ウオーキングに出かける。

ウオーキングは50代の半ばから始めたのでもう20年を過ぎる。

私の日常生活に完全に組み込まれて、起床すると歯を磨き顔を洗って、衣類を着て、腕時計と万歩計を持ち、帽子をかぶり運動靴を履いて歩きだす。

今朝はホテルを出た瞬間から自然に足は松江城に向かった。

 

松江の街は道路清掃が行き届いていて気持ちがよく、素晴らしい。

だけど、朝早くから皆さんが清掃活動に精を出しているようにも見えない。

日常的に路上を汚さない意識が働いているのだろうと思った。

そして路上に余計なものを放置しないという意識も徹底しているようで、それが路上の景観や街並み景観を美しくしているように観察した。

 

松江にはもう何度も来ているが、朝いちばんは何といってもやはり松江城だ。

松江城内天守閣下のそばの道を通って歩いていくと猫、たぶん野良猫だろう。

でも皆丸々と太った猫たちが何匹も出てきて、おばあさんが餌をやっていた。

「この猫は野良猫ですか」と尋ねた。

おばあさんは

「そうよ、毎日餌をやっているのよ。

私も少ない年金暮らしで生活が大変なんだけど、ほおっても置けないし‥‥」

と問わず語りに話す。

「松江城内には野良猫が28匹いるんよ。

不妊手術は22匹まで済ませた。

不妊手術もお金がかかるんよ。

市がしてくれればいいけど、そんなお金は出ないんよ」

と続けた。

八重垣神社鏡の池



そういえば、奈良に住む友人も畑に来る野良猫を相手にしていたら、数が増えて不妊手術を6匹か7匹自前で施したという話をしていたことを思い出した。

世の中には似たような奇特な人がいるものだとボランティア精神の薄い自分と比較しながら、

「でも大切なことだと思いますよ、猫たちのためにも元気でいてくださいねと」

と言って別れたのだった。

それからお城を一周してホテルに戻った。





戻ってから最上階の大浴場に行く。

エレベーターで上がって浴室入口のところで部屋のカードキーを持って来なかったことに気が付いて、一瞬取りに戻ろうと思ったときに後ろから来た人が開けてくれたので一緒に続いて入室できたのだった。

 

今朝はそれぞれで食事ということで食堂に行くと、ちょうど弟夫婦と一緒になった。

 

食事はバイキングで当然、皆さん、さまざま好みの種類の料理を取りに行くことになるが、会場が細長い作りになっていて、料理を取りに行く客、戻ってくる客、そこに料理を運だり後片付けの食器等を運ぶ従業員の台車などが行き交い、混み合ってはなはだ落ち着かなかった。

ということもあってか、何を食べたのかよく覚えていない。

もちろん宍道湖のシジミ汁はいただいた。

いつも食べるシジミとは違って、大きく身が太っておいしかった。

 

 

9時チェックアウトで各自自室に退散し荷物の準備。

でも、この間に弟はレンタカーを借りに多分ひとっ走りしながら行った。

弟は50前後からマラソンを始めた。

子供のころから短距離よりも長距離が好きだった。

私は逆に長距離よりも短距離。

中学の時は運動会や大会の代表に選ばれていた。

ところが弟は50代マラソンデビュー。

これがあたりに当たった。

地方の小さな大会では優勝したり、入賞したりでだんだん自信をつけていったように思う。

熱心にマラソンの練習に取り組むとともに、人生にも特に前向きになったように思った。

何事にも前向きに取り組み自信をもって引き受ける姿は、彼の場合マラソンが柱になったように思う。

 

9時過ぎにはレンタカーで戻ってくるはずなのだが、9時を過ぎても戻ってこなかった。

心配になって、私は玄関を出て、路上の端に立って待っていた。

女性たちは話に夢中のようだ。

待つこと30分、ようやく戻ってきた。

レンタカー店が見つからなくてと弁解したが、彼は自信過剰からくる確信の思い込みが過ぎるようにも思った。

でも大事ではなかったので、何事もなくよかっよかったと声をかけたのだった。

 

 

ということで30分遅れで本日スタート。

昨年もレンタカーを使ったが少し小さかったので窮屈だったという反省から、今年は一回り大きいレンタカー。

もちろん弟が運転手、私は助手席に乗り、姉や連れ合いたちが後ろの列に仲良く乗った。

長姉は運転免許は取らなかったが、車大好きで、旅行すると簡単に

「レンタカー借りれば」

という。

車の危険性などまったく気にしてないようにのたまう。

弟は車の運転は得意だし、末っ子なので姉、兄のいうことにはいくつになっても従う。

私は第一にお酒が飲めなくなることや事故が心配なので率先はしない。

でも、弟の運転と大好きな車に乗る姉の安心しきっている笑顔を見ながら、なかなか大物だなあと思うのだった。

 

今日一番は、松江藩歴代藩主の廟所であり、小泉八雲がこよなく愛し、たびたび訪れた月照寺に行く。

歴代の松江藩主のお墓がずらりと並んでいる。

岡山にも池田藩の菩提寺として曹源寺がある。

武家の棟梁の墓所には同じような重厚な雰囲気を感じたのだった。

写真をお願いしたお二人

 

次に向かったのは八雲とせつがデートを重ねた八重垣神社だ。

八重垣神社の鏡の池では30代位の男女が池に向かっていた。

願い文を浮かべいるのかどうかわからなかった。

立ち上がってこちらを振り向いたので、写真撮ってもらえませんかとお願いすると、女性は笑顔で手を差し出した。

スマホを渡して姉弟写真を撮っていただいた。

当然に、私のほうからも写真を撮りましょうと言って彼女のスマホを弟に渡した。

弟は自信満タンでシャッターを押したのだった。

彼女のほうが大喜びしていたのが印象に残った。

神魂(かもす)神社



それから神魂(かもす)神社に向かった。

現存する最古の大社造り(1583年・天正11年)として国宝に指定されている。

本殿左側にある貴布禰社(きふねしゃ)・稲荷社も安土・桃山時代の建築として国の重要文化財になっているとあった。

床下の高い、高床式の造りは古代出雲の文化を色濃く残しているように思えた。

八雲は明治24年4月5日に西田千太郎とともにここを訪れたとあった。

 

今日のランチは昨夜に続いてフランス料理。

民家のフランス料理店

松江市街から相当離れた山里に来たので、幹事の弟は今日のランチの場所を探すのに苦労したようだ。

何しろ兄には一目も二目も置いて大事にしてくれる弟なのだ。

でも弟が気にするほどに私の口は悪くないのだが、いくつになっても兄を大事にしてくれてうれしい限りなのだ。

 

お店は普通の民家で、3部屋くらいの座敷を開放してイスとテーブルを置いていた。

我々は6人掛けのメインテーブルだった。

我々の先に2人連れの女性グループが二組あった。

中年の男性が給仕をしていたが、見ていると、この人が一人で調理から給仕、会計を担当していて、大忙しなのだろう。

同情はするけれど忙しいあまり、料理を運んだ際箸を箸置きに戻す時間ももどかしそうに、箸をランチョンマットの上に投げる仕草に一度に興ざめした。

いくら忙しくてもそれはないよと思ったのだ。

こういうことがあると料理を楽しむ気持ちは冷めてしまう。

といいつつ、運転手の弟をおいて、私は生ビール2杯いただいた。

熊野大社




それから一行は熊野大社に向かった。

熊野大社は出雲国一宮にある社格が最も高い神社とあった。

イザナギノミコトを祀る出雲大社に対し、熊野大社はスサノオノミコトを祀るとあった。

いずれも神話で聞き知った名前だ。

確かに規模では出雲大社に劣るが、その雰囲気は出雲大社に勝るとも劣らない風格と厳粛感が漂っていた。

観光客がほとんどいないこともよかった。

このひと気のない荘厳な静けさと間近に建つ古代の建築物の一体感にいたく感動したのだった。

 

今夜は足立美術館のすぐそばにある「さぎの湯荘」に宿泊する。

温泉地の本格的な和風旅館だった。

鷺の湯荘 外観

島根県は温泉地としても有名だ。

私にとっては熱すぎないのがいい。

熱すぎずぬる過ぎず、適温でゆっくり温まる、それもできたら一人だけで入る温泉が最高だ。

今回の旅行では、ほとんど温泉は一人占めできたので大満足だった。

今夜は旅館の一室で日本料理。

鷺の湯荘 夕食メニュー

鷺の湯荘 夕食


これといったとびっきりの食材はなかったけれど、優しい味のおいしい料理とビールとワイン、お酒などを堪能した。

鷺の湯荘 室内

 

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出雲路・ばけばけの世界を辿る(一日目)

小泉八雲はこんな風に松江に到着したのだろうか



80代と70代の姉弟とその連れ合い6人で姉弟旅行を始めて10年以上になる。

毎年、弟が計画を立ててくれる。

関東に住む姉たちに、そろそろ関東の近場にしようかと打診したところ、90手前の長姉は、即座に関東なんてと意気軒高、ばけばけの世界を見たいと強い希望が出て、長女の意見の前に異を唱えるものはなく即決したのだった。

 

朝6時30分のバスで岡山駅に出る。

今朝は岡山駅にあるマクドナルドでモーニングを食べる。

マクドナルドに入るのは私は初めてだった。

店内の案内サービスは多分70歳を過ぎた2人の老女だった。

発券のため画面操作からメニューの配食などは、すべて彼女たちがやってくれた。

若い人はいないのかなと調理室を見ると7~8人の若者たちが働いていた。

お客のサービス給仕を老女2人で大丈夫なのかと観察したが、常連はみんなセルフサービスでやっており、よほどの初心者に彼女たちが手を貸すのだと食事を終わるころ理解した。

 

姉たちは羽田から米子空港に到着する。

やくも号

我々岡山組夫婦4人は、伯備線特急やくも8:13分に乗り込む。

新型やくもは全車指定席。

車内が広く、明るい。

旧型は揺れが大きく、乗り物酔いすると不評だったが、改善されて快適だった。

私は弟と二人、妻たちは女性同士二人で座った。

中国山地芸備線沿いの町で育った私たち兄弟は、母に連れられて年に何度か岡山のデパートに行った。

沿線の風景、特に高梁川の流れは幼いころの岡山への小旅行を思い出させる。

 

10時48分松江駅に到着した。

姉たちは空港からバスで到着した。

一緒にタクシーで本日宿泊のホテル野乃松江に荷物を預ける。

呉竹寿司外観



今日のランチは呉竹寿司上握り、ネタが厳選されていて、小ぶりで女性向き。

食べておいしい、お酒が進むお寿司屋だった。

久しぶりに本物のお寿司屋さんでお寿司を食べて、満足満足だった。

 

 

堀川めぐり



それから一行は松江城を囲む堀川を遊覧する「ぐるっと松江堀川めぐり」にホテル近くのカラコロ広場から乗船した。

船頭さんの名調子のアナウンスを聞きながら我々のグループと他に二人連れが二組で、ゆったり座って松江城を囲む歴史建造物など眺める。

この快適な遊覧の心地よさに浸って、この堀川めぐりも大満足だった。

八雲記念館 入口あたり



ふれあい広場乗船場で下船して、ぶらぶらと歩いて小泉八雲記念館・旧居に入る。

沢山の人が入場していて、人気画家の美術展に来ているようだった。

小泉八雲に関する様々な記述が興味深かったし読んでいると時間はすぐに過ぎていった。

ただ、その足跡を丁寧に読み込んでいく作業は結構疲れるものだ。

母が

「展覧会なんて気にいったものを一つ見ればいいのよ。

そんなに見ても覚えてられないしくたびれてしまう。」

といっていた言葉をいつも思い出す。

松江城の天守閣は広場から眺めただけ。



八雲記念館を出てから、武家屋敷の続く塩見縄手には行かずに松江城内を抜けて大手前広場乗船場に向かった。

その途中で見つけた喫茶店(千鳥茶屋)で一休み。

でも、前期・後期高齢者の一行にはもう天守閣に登る気力、体力は残っていなかったようだ。誰からも天守閣への登城のことは出なかった。

そして再び乗船して、カラコロ広場乗船場に帰り着いてホテルに戻った。

 

ホテルにチェックインして夕食まで休憩。

野乃松江は私たち夫婦は2度目。

2年前に、大学のブラスバンド部に所属する孫娘の中国大会の応援に来て泊ったことがあった。

館内は靴やスリッパなどの履物は使わずに、素足又はソックスというスタイルで、初めてのものにはちょっと違和感がある。

それから朝食はあるが夕食はない、宿泊者は夕食は外食か、テイクアウトを利用するしかない仕組みとなっている。

採算性と合理性を追求した結果なのだろう、この規模のホテルで夕食を提供しないコンセプトは大した決断だと思った。

ビストロクール入口



 

というわけで、今夜はフランス料理店「ビストロクール」で食べる。

午後6時15分前にホテルを出た。

ホテルは京店商店街の中にあり、一帯は飲食店が立ち並んでにぎわっていた。

ホテルから数分にあるはずの「ビストロクール」はなかなか見つからなかった。

ちょうど通りかかった40前後の男性に声をかけた。

男性は

「はっきりとは知らないがその角を曲がったところあたりにあるはずだ」

と教えてくれた。

そして6人の高齢者に不安を感じたのだろう、後ろからついてきて、

「ああ、多分、そこそこ」

といった。

車庫を兼ねた入口のところに看板があった。

でもそこからお店までは数メートルくらい奥に離れており、親切な男性から声をかけてもらわなかったらまだ、まごまごしていたかもしれないと思った。

こんなに親切な人はなかなかいないように思ったが、これが島根県人の特質かもしれないとも思った。

 

お店に入ると女性が待っていてくれていて、そのまま1階のフロアーの大きなテーブルに案内してくれた。

1階は我々だけ、他の客は2階になるのだろうと予想した。

我々は大きなテーブルに3人ずつ向かいになって座った。

女性はこの店のシェフの奥さんだろうなと思った。

ビストロクールの一品。確か鹿の肉だったと思う

料理一品ごとに、丁寧に説明してくれた。

なかなか上品で、はきはきして好感を持った。

でも、ビールを飲み、ワインを飲み、料理が出たら無心に食べる私はその説明を理解する余裕はなかった。

こういう時は、説明を録音しておかなければならないと今後の反省としたのだった。

シェフ夫婦の優しい味が伝わってきたフランス料理だった。

 

おいしい食事が終わって立ち上がったところで、奥さんからお写真を撮りましょうかと申し出があり、姉弟と嫁さんとの楽しそうな写真を撮っていただいた。

お店を出てぶらぶら歩いていたら、後ろからかけ声を聞いた。

振り返るとシェフ夫婦が忘れ物を持って追いかけてきたのだった。

次姉の忘れ物だった。

松江の人たちの優しさにまたまた出会った。(続く)