コロナで中断4年目、75歳の幼馴染会を再開しました

倉敷美観地区のシンボル 大原美術館


山陽本線瀬戸駅発13時47分金光行に乗車して第13回亥の子会イン倉敷に出発。

倉敷駅着14時26分。

この列車は瀬戸駅が始発である。

このような列車があるとは知らなかったので、いつものバスで行くつもりにしていたが、たまたま休暇だった息子が瀬戸駅まで送ろうかと言ってくれたので調べてみたら、この列車があったわけだ。

 

何人かの人たちに倉敷駅からタクシーで行くと連絡していたが、待ち合わせのデパート前には誰もいなかった。

少しぶらぶらしていると、H君に気が付いた。

グループラインを見てここからタクシーに乗ることを知ったという。

とりあえず、宴会までの交流会でのビールを買おうとデパ地下で、缶ビール24本と焼きイカやピーナツ、味付け海苔、おかき、チーズなど手当たり次第に買う。

そこに電話がかかってきた。

 

幼馴染のSちゃん(女の子‥もちろん今はおばあさん)が電話してきた。

ラインの記事を読んでタクシー乗り場に来たが誰もいないという。

ラインで騒がしかったグループはすでにホテルに向かったと女性同士の℡で確認していた。

いつもは、往復はがきでの参加確認なのだが、今年はラインを使えばとT君の提案で、見よう見まねでグループラインに参加した。

といってグループラインと言われても、何のことやら、下手な説明を聞けば聞くほど混乱するばかり。

ただ、習うより慣れろで、試行錯誤すればそれほど難しいことではないことが分かってきた。

そして、やはりプラスもマイナスもある。

はがきなら返事を書けば、参加不参加ははっきりする。

ラインは見たのか、見ていないのか、そもそもガラ携を未だに使っていて、ラインが使えないという輩もいる。

特に男性陣は、ほとんどラインに無関心だということが分かった。

そして、グループラインでのプライバシーや機微に触れることの配慮にかける発言に不安なこともあることが使っていて分かった。

ラインを使おうと提案したT君も二人になった時、そんなことを言っていた。

ツタの絡まるアイビースクエア



我々3人が宿泊先のホテル「アイビースクエア」に着いたときは、ほとんどの参加者が到着していた。

まだ、集合時間の3時前だった。

いかに、皆さんが本日の会を楽しみにしているかが伝わってきた。

今回は旅割が適用されていて、フロントでクーポン券を受け取ったが、ワクチン接種証明書も不要となり、手続きは大変簡素化されていた。

 

部屋割りは男女6人ずつで、4人部屋を3人使用で使えて、皆大満足だった。

応接セットもワンルームくらいあるスペースに置かれていたので、隣部屋の応接セットを運び込むと12人の仲間が一緒に集える空間となった。

部屋を整えていたら、遅れて来た一人も開会式に間に合った。

 

4年ぶりの「亥の子会」。

コロナで中止となった期間に男性2人が身罷った。

16年前に20人ほどで始めた亥の子会はこれまでに女性一人、男性二人が亡くなった。連れ合いを亡くした人は今日の参加者の中で女性3人、男性は0人。

ということで、いずれにしても、やはり男性の生命力が短いことがわかる。

ただ、平均的に、夫婦の年齢構成が男高女低であることから、男性の方が早く亡くなり、こういう結果は当然と言えば当然なのだと改めて知った。

付近にはこんな黄色い花が。



午後4時30分頃から亥の子会の開会宣言。今回の幹事は、私で、若干の諸注意のあと、私が好きだった母校の応援歌をみんなで歌った。

それから、2月に旅立った仲間のY君への献杯、続いてコロナ禍の2年前に亡くなったM君に献杯した。

お酒は、Y君から亡くなる前日に届いた山口県の銘酒「獺祭」を今日の日のために飲まずに持参したのだった。

訃報を聞いた時の模様など皆さんに報告していると、奥さんのAちゃんが泣いていた。でも獺祭のうまさ、飲みやすさに負けて、すぐに会は宴会ムードに盛り上がっていった。

 

この談論風発の飲み会の中心談義はやはり故郷の話。一つは唯一の鉄道「芸備線」の廃線問題。もう一つは高校の廃校問題だ。芸備線は東城~落合間は今は、土砂崩れが原因で不通になっているが、一日の乗車数は11人とJR西日本で最悪という。こうした中で存続を訴える。70前になって東京から帰郷して頑張るI君が力説するが、故郷を離れた者たちは客観的に存続は無理だと思う。そして、高校問題。我々同窓生の時代は普通科4クラス、家政科1クラスで700人以上の生徒が在学していた。現在は在校生100人未満、80人を切ると廃校となり、同じような高校と統合になるという。そして、またI君が立ちあがって「そもそも、教える教師が子供をわが母校に進学させないのだから、いくら入学者増を訴えてもどうにもならんよ」と怒る。我々故郷を出た傍観者は、「教師の身になったらさもありなんよ、仕方ないよ」と冷めている。どうにも時代の変化に取り残されていく地方の在り様をただ、ただ見守るしかないのだ。

桜草 外観



今夜はホテルの会場がとれずに、近くの日本料理店「桜草」に午後6時から予約した。酔い覚ましに5分ほど歩く。

12人が掘りごたつ風のテーブルに座って、和食のコース。

高齢者に優しい食材と味付けで美味しい。

中ジョッキよりも少し小さいグラスで4杯くらい飲んだ。

日本酒も少々いただいて大いに盛り上がった気がするが幹事の独りよがりな感想。

午後9時前にお店を出た。

ホテルのパブリックバーで二次会をやるつもりだったが、忘れて部屋に戻ってしまった。でも、引き続き宴会を続行。

何しろ、缶ビールはまだたんと残っている。

日本酒4合瓶の差し入れが4本ほどある。

Aちゃんお手製のフキの佃煮などを頂きながら、4年間のつもりに積もった会話が続いて、午前2時頃解散したと、しっかり者が朝になって教えてくれた。(続く)

 

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