個人情報保護法は平成17年4月全面施行された。
今から15年前である。
同法では個人情報とは生存する個人に関する情報であって、特定の個人を識別できるもの(他の情報と容易に照合でき、それにより特定の個人を識別できるものを含む。)と定義されている。
今朝の朝日新聞によれば「スマートフォンで使われる人気アプリの約9割で、利用者の位置情報が業者側に共有されていることがわかったが、その半分以上は、共有していることを明らかにしていなかった。
日常的に持ち歩くスマホを通じて、個人のデータが自覚のないまま多くの業者に共有されていたことになる。」と報じていた。
そして、現行の日本の個人情報保護法は、位置情報単体では「個人情報」に当たらない。と書かれていた。
ただ「スマホは日常生活の情報を収集するセンサーのようになっており、クッキー(会員証のようなもの)規制が進むパソコンに比べて利用者のデータを業者間で共有しやすい状態」とも書かれていた。
パソコンの世界では会員化(クッキー)が進む中、規制が働きやすいが、スマホの世界では規制が働きにくい状況ということなのかと理解したけれど、年寄りにはわかりにくい記事だった。
そう言えば、このこととは直接関係があることかどうかはわからないけれど、スマホを使ってアンケートに応じてから、「3000万円当たりましたとか、振り込みますとか、いかがわしいメール」が増えた。
アンケートに答えた情報が業者間で故意か過失かわからないが共有されているように思える。
しかし、個人情報のことを振り返ってみれば、私たちのころの大学受験の合格者発表は必ず新聞記事になっていた。
「あそこの息子さんは今年もだめだった」とか「二期校は受かるのだけどね。東大じゃなきゃあ行かないと言ってると何年かかるか」など町内の格好の話題になっていた。
個人情報は垂れ流しだった。あの記事はいつごろから姿を消したのだろうか。
私自身も個人情報のことでは、忘れ得ないことがある。
平成11年だったと思うから、まだ個人情報保護法はなかった時代だ。
新しい職場に異動した。
夏ごろになると職員録の配布があった。
自分の課の職員録に目を通していると、ある係の全員の住所が白紙になっていた。
すぐに係長を呼んで、「これはどうしたことか、あなたの方針ですか」と詰問した。
係長は「私は何も言っていません」と答えた。
「しかし、係長以下係員全員が住所を書かないことになったのはあなたがそういう方針を決めたからではないか」と怒りをこめて指摘した。
私には当時、個人情報保護の感覚など全くなかった。
それよりも、役所に入庁し、この職場の一員であるという誇りが職員録の中にあり、責任をもって任務を遂行するという意味では、住所・氏名を名乗るのは当然のことだと考えていた。
しかし、そうした考えは全く時代遅れだったことを知った。
数年後には役所の住所録はすべて住所抜きになったのだった。
そして同じ職場で働く仲間がどこに住んでいるのかもわからなくなり、年賀状の交換も激減した。
10年ほど前に同期会の仲間と函館を旅行した。
函館の元町地区を歩きながら住宅街の景観などをパチリパチリと写真に収めていると知人の某君が「○○さん、何でも写真に撮っちゃあダメだよ。」と田舎者の私を注意した。
私はハイハイと応じた。
けれど、考えて見ればグーグルアースは空の上から許可なく撮って公開しているのだけれどあれは問題はないのかと後から思い起こした。
いずれにしても、この20年間くらいの個人情報保護の進行には驚くばかりだ。
一方で個人情報の重要性は後生大事に叫ばれるけれど、IT化が進行する中で個人情報保護とは名のみ、実はすべて情報の集約化が進んでいるのだということを気づかされた今日の新聞記事だった。
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