毎日スーパーへの買い物は私の日課の一つ。
大型スーパーだから、買い物に1時間はかかる。
ウオーキング歩数も1500歩くらい稼げる。
11時くらいまでに行くと、黒毛和牛や国産和牛が4割引きで出ていることがあるので、これも一つの目的。
ゲットできた日は幸せ気分で、夕食が楽しみだ。
それにしても、インフレ、物価高は目に余る。
地元の超人気店のパン屋さんも50円から200円くらいの値上がりだ。
ただ、みんな美味しいものには目がない。
以前と変わらぬ繁盛ぶり。
まったく余裕がなくなっているわけでもなさそうだ。
さて、こうした世情の中で、大変な生活苦を耐えながら生き抜こうとしている人たちもいる。
先日の朝日新聞で「生活保護 引き下げ凍結だが……」という記事を読んだ。
5年に一度の生活保護の見直しについて、政府は2023年度当初予算案で、23~24年度は特例措置として引き下げの凍結を決めた。
厚労省の試算では高齢者世帯中心に「生活扶助」の基準額の引き下げが必要との結果だったが、物価高騰を考慮したとあった。
生活保護費は13年~15年に大幅減額された経緯があると書かれていた。
生活保護の基準額引き下げについては、全国29地裁で減額の取り消しの集団訴訟が提訴され17地裁で判決が出て
原告勝訴(減額取り消し)8件、
原告敗訴9件、
昨年10月以降原告勝訴が5件続いているという。
また、4月10日付朝日新聞には追い詰められる女性たちという記事の中に、貧困に苦しむ高齢者の女性の事例が紹介されていた。
その女性は公営住宅の一人暮らし、2万円台の年金を受給し、古希を過ぎてもヘルパーとして働いていたが、孫が職を失い転入してくる中、自分もコロナ禍で仕事がなくなり、社会福祉協議会で無利子の「特例貸付」200万円を借り入れたとあった。
役所から生活保護の利用をすすめられたが、申請はしていない。
「餓死しても受けたくない。」
女性は何度かそう言ったと記事にあった。
30数年間の地方公務員時代、10年以上、生活保護行政のケースワーカーとして働いた。昭和40年代後半から昭和が終わるころまで、時代は高度成長経済からバブル経済期を経て、バブル経済は崩壊した。
私のケースワーカーの時代には暴力団員の生活保護不正受給や部落問題が先鋭化する中で、生活保護世帯が増加し、国は生活保護の適正化に躍起になっていたが、差別された側の反乱でもあった。
10年ほど前、街中で昔、生活保護でお世話をしたおばあちゃんに出会った。
彼女は私に親近感を持ってくれていたようだ。
挨拶をして、昔話をしていたら彼女が「○○さん、私、保護を辞退したんよ」と言った。
「毎月、毎月、家に来られて、監視されているようで嫌じゃったんよ」と言った。
彼女の収入は5万円にも満たない年金だけだから、公営住宅の家賃や電気ガス水道、健康保険料、医療費など支払えば、生活費は2、3万円に過ぎないのだ。
それでも自由に暮らす方がいいと保護辞退を選択したのだった。
2021年1月、当時の田村憲久厚生労働大臣は参院予算委員会で
「生活が大変窮迫されて、必要がある方は、生活保護を受ける権利がある」
と答弁したとあった。
確かに生活保護は日本国民にとって当然の権利ではあるが、当然と要求しにくい何かがある。
生活を監視されているようで嫌だったと言った、元被保護者のおばあちゃん。
「餓死しても生活保護は受けたくない」と朝日新聞で紹介されたおばあちゃん、その一方で、当然の権利として、訴訟に訴え当然の保障を要求して戦う人たちもいる。
厚労省のホームページを見ると
生活保護を申請したい方へ
生活保護の申請は国民の権利です。
生活保護を必要とする可能性はどなたにもあるものですので、
ためらわずにご相談ください。
と書かれて、相談先はお住いの自治体の福祉事務所までご連絡ください。
とあった。
そして、その下に
生活保護の申請について、よくある誤解
・扶養義務者の扶養は保護に優先しますが、例えば、同居していない親族に相談してからでないと 申請できない、ということはありません。
・住むところがない人でも申請できます。
・持ち家がある人でも申請できます。
・必要な書類がそろっていなくても申請できます。
と懇切丁寧に書かれている。
少なくとも、私がケースワーカーをしていた時代には、誤解されている例として書かれていることを振りかざして、申請受理に至らなかったことも多くあった。
現在の福祉事務所の実態を正確に知っているわけではないが、できうる限り生活保護の手前で解決させたい、生活保護は最後の手段という意識が国にも地方にも働いていることは変わっていないように思う。
長い間、門前払いできるワーカーが有能なワーカーだったのだ。
厚労大臣や厚労省が「権利としての生活保護」というけれど、コロナ禍の生活困窮者の支援として、朝日新聞の事例にもあるように国は社協を通じて、総合支援事業や緊急小口資金などの貸付事業を実施した。
基本的に無利子、保証人なし、貸付額10万円~200万円である。
朝日新聞の事例では、200万円の貸付だったということから最大限の貸付だった。
貸付には当然返済が可能なものが対象となるが、今回の場合はコロナ禍での失業や収入減少という緊急性があり、そういう実態にあればほとんど無条件で貸し付けが実施され、償還時に償還が困難な場合で一定の要件に該当すれば返還免除などの規定も設けられた。
確かに新聞事例のおばあさんに200万円もの大金を貸し付けて、返済のめどなどありようがないではないかと誰でも思う。
多くの関係者が、この貸付は踏み倒されることを予定されているようなものだと言っていた。
そして、この貸付の一つの狙いは、生活保護の適用をできるだけ増やさないことにあったように私には思えた。
生活保護は要保護者の能力の活用、扶養義務の優先、資産の活用、他法他施策などあらゆるものを保護に優先して活用を検討したうえで、他に方法がない場合に生活保護を適用することを原則としている。
こうしたことから、生活保護は最後の手段ということに位置付けてきたのだけれど、この特別扱いが生活保護受給者に対する差別感や差別視につながっているように思う。
この差別感や差別視が新聞事例のおばあさんのような「餓死しても生活保護は受けたくない」という発言にもなるのだと思う。
現行の生活保護法が制定されてから70年以上が経過する。
そろそろ、国民の最低限度の生活を保障する最後の砦などと言わずに、困ったら生活保護を最優先に検討すると宣言しなければ、いつまでたっても、「餓死しても生活保護は受けたくない」という発想は変わらない。
今のありようは差別を助長していると言っても過言ではないと私は主張したい。
生活困窮者に対しては貸し付けなどではなく、先ずは生活保護の適用を最優先し、安心できる生活を保障しながら、被保護者の持つ様々な能力の活用を検討していくことに方針転換すべきなのだと私は思う。
困ったら生活保護に頼る。
私の「生活保護の勧め」です。
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