3月1日付朝日新聞によれば、厚労省は2022年に生まれた子供の数が(外国人を含む出生数)79万9728人だったと発表したとあった。
統計の残る1899年以降、初めて80万人を割り込んだという。
私たち団塊の世代と言われる1947年~49年では1年間の出生数は260万人台で推移していたのだから、激減していると言っても過言ではない。
3月30日に放映されたBS-TBS報道1930で
「年間死者数160万人超/多死社会と少子化の”不都合な真実”」
と題して、日本における急激な人口減少の近未来を予測しながら岸田首相の掲げる「異次元の少子化対策」の今更ながらの出遅れ感を指摘していた。
この番組では、岸田首相が
「少子化問題はもはや一刻の遅れも許されない時間との闘いであり、2030年代に入るまでのこれから6年から7年が少子化傾向を反転できるかどうかのラストチャンスです」
と訴える姿を紹介していたが、この番組にゲスト出演していた専門家は、口々に、女性の出産年齢人口(25歳~39歳)の減少が最大の問題と指摘した。
2000年に1296万人だった女性の出産年齢人口は、2020年に959万人となった。
20年間で実に26%減である。
確かに女性の出産年齢人口の減少が増加に転じない限り、産めよ増やせよと
1世帯3人以上産まなくてはならないという法律でも作らない限り、子供が増える見込みはないだろう。
となると結婚年齢にある若者たちには、まずは積極的に結婚していただくしかないが、掛け声だけでは婚姻率が上がるとはとても思えない。
我が家を見ても40代の独身男性を抱えている。
親戚でも近隣や友人のところでも独身男性・女性の何と多いことかと実感する。
実際に数値を調べてみた。
男女の未婚状況を示す指標の一つに「生涯未婚率」というのがあった。
最新の調査である令和2年国勢調査での「生涯未婚率」は
1950年には男性1.5%、女性1.4%%であったが、
2020年では男性28.3%、女性17.8%となっていた。
4分の1前後の男女が生涯結婚しないのだ。
こうした状況の中で、問題は結婚しない若者たちのありようをどう考えるかということだと思う。
私たちの若い頃には結婚しないという前提はほとんどなかったと言っていい。
しかし、女性の社会進出とともに、考え方はどんどん変わった。
そりゃあそうだ。
女性は結婚しても共働きは続き、子育て、家事をフル回転し頑張ってきての中年、熟年と経る中で、超高齢社会は、休む間もなく今度は両親の看護や介護だ。
そんな親の姿を見ながら結婚なんてもうやめた、と考えてしまう若者も多くなっても致し方ないと思える。
一方、結婚したくても結婚できない若者の貧困はどうなっているのかという疑問も頭を持ち上げた。
そのことが婚姻率にどう影響しているのか。
昔から一人口は食えなくても二人口は食えるという喩え話をよく聞いたが、非正規雇用制度が定着してしまった21世紀の社会では、若者に取ってそのような冒険はとてもできないということなのだろうか。
コロナが収まりつつある現在、中小企業を営む知り合いは人手不足、人材不足に頭を抱えている。
人もいないけど、使えるやつがいないと嘆く。
若者世代での分断もますます進んで結婚どころではないという若者たちも多いという。
それとも結婚にまったく魅力を感じなくなっているのだろうか。
岸田首相はこれからの6年から7年がラストチャンスというけれど、6年から7年で大幅な人口減少が上向く秘策などあろうはずがない。
専門家はこの傾向はあと100年は続かざるを得ないのだと断言していた。
そして、その姿は出生数20万人の社会だという。
このまま放置すると90年後には出生者数20万人社会となる。
20万人の子供が大人になった時、自衛隊や警察や消防をはじめ、社会を構成するありとあらゆる組織が成り立たないことは火を見るよりも明らかなことだ。
そして、縮小再生産は際限なく続くのだ。
行きつく先はかって中国が増大する人口抑制政策として、強力な一人っ子政策を進めたように、我が国では国がマッチングアプリでも使って、強力な婚姻推進政策が実施されるかもしれないなどと妄想してしまう。
結局のところ、分断されて取り残されている若者たちをどう結婚に導くことができるかではないだろうか。
結婚にかかる費用や結婚生活や子育て費用をいかに支えていき、安心して子供を産み育てることのできる生活を保障することを示すことや社会生活を維持組織していくために、結婚することの魅力を丁寧に発信していくことだと思う。
しかし、1000兆円を超える垂れ流し借金大国となった我が国の財政に、これ以上のお金を印刷させるわけにもいかない。
少子化対策への財源問題は国民が身を切らなくてどうする。
孫・子の世代に借金を追わせて、この世をおさらばしてはいけないのではないかと思う。
私は少子化対策を最優先課題とし、国民に最大限の協力を仰ぎつつ、最大限防衛予算を圧縮することだと思う。
防衛予算が不要だとまではいわないが、戦争が起こらなければ使うことのない装備であることは間違いない。
その意味では積極的な防衛予算なんていらない。
日米安保を大いに活用し、他国との平和・協調路線でうまく生き抜くのだ。
本格的な戦争が起こってしまえばこの世は終わりだ。
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