岸田首相の退陣表明 私の感想

コバノランタナが元気



 

8月14日、午前11時30分、私は高校野球中継をテレビ観戦していた。

突然、画面に岸田首相退陣表明のテロップが流れた。

岸田首相は、池田勇人・元総理大臣の流れをくむ伝統ある宏池会の領袖とは言え弱小の派閥で、安倍政権下ではお仲間の一員ではあったが冷や飯を食った。

 

2012年12月に発足した第2次安倍政権は以後、8年間にわたる長期政権を築いた。

超保守主義であり、偏重過ぎたお仲間贔屓主義が特徴だった。

森友・加計問題、桜を観る会、国会議員河井夫妻による大規模な選挙違反、また定年となる検事長を法改正により定年延長を図り、身びいきの検事長を検事総長に据えようとした陰謀は候補者自らの賭けマージャンで潰えた。

そして、安倍首相は2度目の体調不良を理由に辞任を表明し、20年9月退陣した。

ゴーヤも酷暑に大不作



けれど、後継者には安倍政権の番頭役として首相を支えた菅首相を選び、フィクサーとして隠然と、というか陰に日向に政治力を発揮したのだ。

菅首相は心細そうな顔つきからして、リーダーとしてはあまりにも頼りなく、政策も私の記憶に残るのは総務相時代に創設したふるさと納税では、一国の首相の座を長く張る力にはなり得ず国民の支持を失った。

インゲンも大きくならない



結局菅さんは実務能力には長けた首相ではあったが、理想を語り、国の運命を決断するリーダーとしての資質には欠けていた。

そこが支持率低下の最大の要因だった。

在任期間1年余りの短命内閣だった。

ただ、総理辞任後も無派閥ながら隠然とした力はある。

東北人らしい粘り腰の芯の強さを発揮して、混乱する政界の重鎮になりつつあるように見える。

 

そして、菅さんを継いだのが岸田首相だった。

高校を卒業するまで広島県に育った私は、宮澤喜一元首相以来の広島県からの首相誕生と強権政治家の系譜を作った安倍・菅首相に代わる岸田首相の誕生に、ようやく、本来の民主主義の政治が戻ってくると喜んだ。

でも岸田政治は私が期待した堂々とした正面から取り組む政治には程遠く見えた。

結局、政治なんて、風見鶏で泳いでいくしかないのだという失望する結果だった。

仏壇にと買ったペンタスだったが。。。



岸田首相の聞く力の政治は聞き流す政治に、決断の政治はその場しのぎの政治決断に終始したなどと連想してしまい、未来を見据えた堂々とした政治の姿を見ることはできなかった。少なくとも広島県出身の首相として、核兵器禁止条約への署名・批准への前向きに取り組む姿勢は見せてほしかったと思う。核を使ったら人類は破滅するしかないのだ。そのことはロシアのウクライナ侵略もイスラエルとハマスの戦争状態も終わりのない戦いにならざるを得ないことが示している。

 

ただ、安倍元首相が凶弾に倒れた統一教会問題の闇の深さや、これまた安倍首相の清和会から発した裏金問題など岸田さんに同情の余地もあった。

結局岸田さんは安倍さんの尻ぬぐいに終始したのだと言っても過言ではない。

でも、これから起こるであろうアベノミクスの尻ぬぐいでないのは、まだ運が残っているのかもしれないと思った。

 

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