30年ぶりの田舎の同窓会、色々思い感じたこと

新型やくも



先日、30年ぶりの同窓会に出席した。

といっても、その母体となったのは、私たちが17年前に始めた幼馴染と有志の会である。

高校卒業後ほとんどの者が故郷から離れた。

大学等卒業後、関東から広島市までに暮らしていた者たち15人ほどが集まり、コロナの時、3年ほど休んだが毎年開催してきた。

今回はそろそろ終わりにしようかと、故郷での開催を選んだのだった。

ただ、70代になって東京から故郷に戻った仲間の一人が故郷に残った同級生に話したことで火がついて、総勢35人の参加者になった。

 

いつもなら、車で帰るのだが、JRの廃線問題を協議する再構築協議会の第一号案件となった芸備線に乗らないわけにはいかないだろうと奈良に住む幼馴染と大阪に住む中学、高校時代の同級生の女性の3人で、岡山発のやくも号に乗り込んだ。

 

特急やくも号は全席指定になっている。

 

伯備線沿線は新型特急やくもやこれまで使われてきた旧型やくもなど旧来のやくもも走らせており、撮り鉄ファンであふれていた。

芸備線には新見で乗り換える。

50分ほどの待ち時間に駅前の食堂で、ビールで乾杯。

やっぱり旅行は飲み鉄だ。

芸備線は特に備中落合から新見間は長らく1両編成、客車1両で走る路線だ。

全国で初めて、廃線問題を協議する再構築協議会が立ち上がった路線なのだ。

でも、今日は少し違う風景だった。

いつもは3人ほどの乗客だと聞いていたが、今日は20人以上の乗客があった。

珍しく乗客が多い芸備線



東城駅に到着すると、幼馴染会の仲間が迎えに来てくれていた。

それから我々は本日宿泊する帝釈休暇村に向かった。

かつての商店街の中心だった本町通りには車も人の姿も皆無だった。

帝釈休暇村までは20分ほど。

神龍湖犬瀬に向かう道を通っていくが、この路線を走っていたニコニコバスももうだいぶ前に廃止されたと聞いた。

芸備線廃線問題がクローズアップされているが、一日3便の芸備線よりも、もっともっと身近なバス路線がどんどん廃止されているのだから、この動きはだれにも止められないと思った。

午後3時ころ本日の宿泊と同窓会会場になる休暇村帝釈峡に到着した。

ひと風呂浴びて、同窓会が始まった。

 

ほぼ60年間音信不通でいた、かつての同窓生に会っても顔見知りの人以外、見知らぬ人同士のバスツアーと同じ趣だった。

ただ、私の前に座った男性H君は高校は広島市内の学校に進学し、東京の大学に遊学し、卒業後は帰郷して家業を継いだ。

彼とは顔見知りではあるが、面と向かって話し込んだことはなかった。

ただ、今夜の彼はよくしゃべった。

多分、これまでは高校から町を出たことで、同郷の中でこのような会が開かれることが少なく、お互いの距離が開いたままになっていて、久しぶりに胸襟を開く気持ちになったのではないかと思った。

下帝釈花面公園から帝釈峡渓谷を望む



彼は突然、広島の同じ高校に進学した女性が昨年亡くなった話を始めた。

実はその女性とは私も中学2年の時同じクラスになり席が隣になったときはうれしかったし、仲良しにもなっていた。

私にとって、淡い恋心を抱いた初恋の人だった。

彼は

「彼女は美人だった。

うちの高校でもマスコット的存在で違っていたよ。

大手商社に入り職場結婚したんよ。」と

多分彼にとっても初恋の人だったのではないかと思った。

60年以上前のあれこれが思い出されて、一人思い出に浸っていた。‥‥合掌‥‥

帝釈休暇村朝のウォーキング



翌朝午前4時30分ころ目が覚めた。

まだ外は真っ暗だった。雨音がした。

夜が明けるのを少し待って4時45分頃、玄関に降りた。

雨は上がりつつあった。

まだ薄暗い中、玄関にあったホテルの傘を借りてバンガローや体育館などの施設がある方向へ歩いた。

雨は止んで途中から傘をたたんで歩いた。

清々しい高原の風が心地よかった。

ウオーキングから戻って朝風呂に入った。

大浴場を独占して入る朝風呂に満足した。

別の浴室から入浴者が入ってきた。

もちろん高齢者だ。

「向こうのお風呂はどうですか」と聞くと、

「あっちの方が熱いね。

こっちは自分にはぬる過ぎる。

私は熱いのが好きなんですよ」と言った。

私は熱いのが好きではないので、いろいろあるなと思った。

彼は大阪から来たと言っていた。

 

関西の温泉は?と聞くと

 

「大阪は全然ダメ、奈良や和歌山はいい湯が多いですよ。奈良にはまだ混浴がありますよ」といって笑った。

下帝釈掲示板



今日は連泊の予定であるが、再度チェックインの手続きをするのでとりあえず、荷物を整えた。

7時30分過ぎに食堂に行く。

会計幹事が、ビールの注文を取ってくれた。

今朝もバイキング料理をいっぱい取り、ビールもいっぱい飲んだ。

ロビーで出発を待っていると、一緒に来た幼馴染のT君が「何だか体調が思わしくないので、宿をキャンセルして帰りたい」と言ってきた。

あれほど、「飲み過ぎないように、適量飲酒でね。」と注意していたのにと幼馴染のよしみで口に出して言ったが、その訴えを友として却下するわけにもいくまいと私はフロントに行きキャンセルを申し出た。

もうチェックアウトの10時になる。

「キャンセル料はいくら」と聞いた。

すると、フロントの男性職員はキャンセル料はいりませんと言った。

これには驚いた。100%も覚悟していたので、本当に感謝感激だった。

こうした対応も鄙びた観光地のあり方なのかもしれないと思った。

そういえば、日曜日の宿泊者は思った以上に大勢泊まっていた。

 

それから、我々一行は、3台の乗用車に分乗し、神龍湖の観光船乗り場に行った。

何十年ぶりに観光船に乗った。

甲高い女性の観光案内のテープが流れていた。

内容は昔聴いたものと変わっていないように思った。

乗客は我々10人ほど。

他の船は動いていない。

神龍湖を独占して緑に包まれた湖内を一周した。

遊覧船は貸切り状態

バス路線が廃止され、いくら車社会とはいえ、これで経営が成り立って行くのかと心細くなるような光景だった。

そういえば、先年、東北の十和田湖に行ったときの光景も同じようだったことを思い出した。

 

私たちの時代は、高度成長期に向かう中で、青春時代を謳歌し、ちょうど大学を卒業し就職した昭和45年~47年頃(1970年代初め)ピークを迎えていた。

その後、20年間くらい高度成長の余韻に浸っていた。

バブルがはじけたのが1990年代初め、それから以後日本経済は悪化を続けて行った。

我々の時代、高校卒業生の8割以上が故郷を去り、就職進学した。

そして、故郷に残ったものたちの中で、役場や郵便局、農協、大学を終えて教員などに就職した人たちは、とりあえず、家があり農地があり仕事があり何とかなったけれども、田舎で自営業を継いだ人たちは、少子高齢化や大規模スーパーなどの進出で経営が圧迫され、町内から魚屋、八百屋、理美容室などの小規模事業者がほとんど姿を消している。

加えて平成の大合併が農山村地帯、小規模の市町村を疲弊させてしまったという思いを強くした。

 

もう取り返しはつかないのだろうけれど、何か良い方法がなかったのだろうか、そんな思いを深くした30年ぶりの同窓会だった。

 

ランキングに参加しています。気に入っていただけましたら

↓をクリックして応援してください。

 

全般ランキング
全般ランキング