天災は忘れたころにやって来る

季節外れのストレプトカーパスが一輪咲いた。



 

冒頭の言葉は科学者で随筆家の寺田寅彦の言葉だと教科書で習った記憶がある。

大正生まれの母は関東大震災のとき、当時日本一の浅草の12階建てビル・凌雲閣で一家で食事をしていたと聞いた記憶があったが、調べてみると凌雲閣は展望を主としたビルで、2~7階が売店、8~10階は休憩所、11~12階が眺望フロアだったとあった。

従って、浅草に行く道中に関東大震災に遭遇したということではなかったかと想像した。でなければあの被害状況ではとても幼い母が生き残れたようには思えない。

母の口からは、大変な状況だったとは聞いたが、詳しい話は記憶していない。

関東大震災は1923年9月1日午前11時32分に発生し、死者・行方不明者は推定105,000人の大災害となった。

凌雲閣記念碑



寺田の言葉は「自然災害はその被害を忘れたころに再び起こるものだという戒め」だが、このところ世界中で、忘れる間もなく、大災害級の地震が次々と襲ってくるようになった。

今年は9月まででも2月6日に起こったトルコ・シリア地震では両国で65,000人以上の犠牲者が出た。

また、9月8日にはモロッコ地震が起こった。

9月12日現在、死者2,901人、負傷者5,530人と発表されている。

 

私の生きてきた人生の中で経験した最大の地震は阪神淡路大震災だった。

1995年1月17日の夜明け前午前5時46分突然ガツンと来た。

地震の少ない当地では、初めて体験する大地震の一端だった。

すぐ、頭に浮かんだのは再び関東大震災が起こったと思ったことだ。

 

テレビをつけるとNHKの神戸に住む記者の自宅からの第一声は「真っ暗の闇の中で、大きな地震ではあったが、マンションの外は何も見えない」と一見何事もないようなレポートだった。

オシロイバナ



こうした大災害は災害当初、混乱の中で十分な情報もなく、何も発信できない状況となっているので被害が判明するまでに時間がかかる。

何も声がしないから安心ではないのだということを知った最初の出来事だった。

この地震の死者は6,432人、行方不明者3人、負傷者は43,792人という大地震だった。

 

このとき私は生きている間にはもうこれ以上の地震を見ることはないだろうと思った。ところが、2011年3月17日東日本大震災が発生した。

この時は、午後からの会議に出ていて災害が発生した時点では全く知らなかった。

もっとも東北という遠いところの地震であり、直接の揺れもなかったので、後からのニュースでその甚大な被害の状況を知って愕然とした。

この地震の死者は15,900人、行方不明者2,523人、負傷者6,167人とあった。

巨大地震が発生するたびに地震の予知は現在の科学能力をもってしてもほとんど不可能なのだということが分かる。

ユーパトリウム



それに引き換え、風・雨・雪や高潮などの自然災害に対する、防御力は特に日本の場合は最大限の事前対策と発生後の救助対応力が極めて高くなっている。

道路、鉄道、船舶、空路などの交通手段の事前対策は大変早くなった。

特別警報、警報などの予報体制の強化ときめ細かい注意や指示、ハザードマップの日頃からの確認や素早い避難所の設置と避難方法の諸注意、災害発生時の体制と避難者救助やより快適な避難所の仕組みなど、至れり尽くせりの素晴らしい対応である。

こういう体制を全世界で取り入れることができたら、どれほどの人命が救われるだろうと思うといろんな不満はあるのだけれど、日本に生きている幸せを感じざるを得ない。



すでに再三にわたって、東南海大地震の発生の警鐘が鳴らされており、2018年1月1日時点の発生確率は30年以内70~80%と大変高い確率が示されている。

ただ、地震だけは起こるまではほとんど何もわからず、起こってしまえば甚大な災害を生じさせる。

警鐘を鳴らされる中で何ができるのか、わからないままに、その警鐘を聞いている。

オオカミ少年のような気分にもなる。

まだまだ頑張る千日紅



それにしても、地震、雷、火事、親父と昔の人はうまいことを言ったものだ。

科学万能、チェスや囲碁や将棋の世界を凌駕したAI化の極みの現代においても、地震だけは手に負えないのだ。

 

度重なる巨大な地震や自然災害は人間の犯してきた文明進化の罪と罰、つまり地球温暖化や資源や森林、国土の乱開発などに対するしっぺ返し、天罰なのだと思わざるを得ない。

 

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