昭和47年地方公務員となり、最初に配られたのがソロバンだった。
配属先は福祉事務所保護課だった。
生活保護のケースワーカーだったが、無知な新人職員は保護課と聞いて、自然保護と思ったくらいで、まだ福祉の認識は薄かった。
ただ、ケースワーカーといっても、陰では計算ワーカーとも言われていた。
というわけで、ソロバンは日常業務で生活保護費の支給額を計算するための必需品だった。
私たちの子供のころ、ほとんどの児童は小学校3~4年生になると珠算塾に通った。
3級の認定試験に通ると一人前で、珠算塾から卒業した。
私は落第生で、小学6年生、4級で終わった。
でも、業務で利用するソロバンは足し算と引き算だけであり、自慢するほどのことではないが、仕事の中ではソロバンの腕を披露できた。
入った当時、手動の計算機を自前で購入して利用している先輩職員がいた。
ハンドルをグルグル順回転させたり、逆回転させたりして使っていたけれど、ソロバンのほうが余ほどに簡単便利だと遠くから眺めていた。
ソロバンや手動計算機の時代はすぐに終わった。
電卓(電子式卓上計算機)が出てきたのだ。
機械好きな手動計算機の先輩は、今や100円ショップでも売っている電卓だが、ワープロほどの大きさの電卓を3万円とか言っていたように思うけれど買ってきて使っていたのを覚えている。
これは衝撃的だった。
日本最初の電卓は1964年3月シャープCS-10A 53万5000円 重量は25㎏とあった。
1970年代後半にはポケット電卓へと急速に進化・普及したが、その先鞭をつけたのがカシオだった。
1972年カシオは世界初のパーソナル電卓カシオミニを発売した。
当時4万円程度まで下がっていた電卓の普及機はカシオミニ発売で12800円(315g)と一気に下がったのだった。
それでも、我々が電卓を手にしたのは、1970年代後半になってからだったと思う。
1978年発売のカシオLC-78(名刺サイズ/39g)は6500円と低価格を実現し、職員にも配られるようになって、ソロバンは姿を消した。
そして、時代は計算機革命にとどまらず、あらゆる事務機器に及んだ。
1978年東芝がワープロを発売した。
630万円だったという。
ワープロの出現により職場の1職種だったタイプライターを使うタイピストが姿を消した。
電話交換機の自動化や携帯電話の普及により、これも職場の1職種だった電話交換手業務が姿を消した。
電話交換手業務の歴史は古く、日本では1890年に東京・横浜に男女計15人の電話交換手が誕生したとあった。
ただ、電話交換手業務としての業務はなくなったが、電話の取次ぎ・案内業務としての人員の配置は一定規模以上の組織には現在でも残っているようだ。
ワープロはパソコンの出現により早々に姿を消した。
私は悪筆なので、いち早く、まだワープロの画面が10㎝ほどの小さい時代に購入して、それから普通サイズ画面のワープロを3台買い換えた。いずれも東芝ルポを愛用した。
ワープロ時代にはワープロは個人購入だったが、パソコン時代が来ると、あっという間にパソコンは職員一人一台配布されて驚いた。
時代が変っていくことを予感できた。
配られて1年ほどは、男どもはワイセツ画像を職場で覗いて盛り上がっていた不謹慎な時代もあったが、徐々に管理が徹底して、パソコン利用のモラルが確立していった。
そして、スマホの時代、もはや、これ一台で、計算機にもワープロにも、電話にも、インターネットの情報収集にもカメラにもなり、様々な業務必携用具として利活用できる優れものを手に入れた。
新聞もテレビもいらない時代に入ろうとしている。
イギリスの産業革命から私の生きてきた時代ではテレビや洗濯機、冷蔵庫の出現から所有、ビデオ、電卓、ワープロ、パソコン、スマホ次から次への産業革命という機械化革命を目の当たりにしてきた。
もう満腹だ。
これ以上何を望めというのか。
よい時代を生きさせてもらった。
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