高校の同窓会誌が届いた。
同窓会誌があることや、大阪や東京などの支部、故郷の本部では、定期的に同窓会を開催していることを知ったのは50歳を過ぎてからだった。
たまたま、東京で暮らす幼稚園から高校まで一緒だった幼馴染が東京同窓会の幹事を始めたことから、出張で上京した時に、東京同窓会の総会などに誘われて顔を出したり、大阪同窓会も同窓会の世話をする年齢になった友人たちから誘われて出席したりした。
5年前に創立100周年記念行事が母校であり、参加して初めて同窓会費というものがあることを知り、以来納入通知を受け取り支払っている不真面目な同窓生だ。
同窓会会報冒頭の同窓会長の挨拶の中に、我が母校は今年、創立105周年を迎えるということ、本年度の新入生が20名、全校生徒74名であること、県教育委員会の方針では、1学年1学級規模の全日制高等学校は、全校生徒数が定員の2/3(80人)以上となることを目指すこととし、こうした取り組みの結果2年連続して「新入学生徒数が入学定員の1/2(20人)未満、又は全校生徒数が定員の1/2(60人)未満」となった学校については、①近隣の県立高等学校のキャンパス校となる②中高学園構想へ移行する③統廃合 のいずれかとなる。と3通りの厳しい選択が迫られるのだとあった。
現状はこんな惨憺たる状況であるが、60年前の私たちの時代、いわゆる団塊の世代の田舎の高校ではあったが1学年250名、全校生徒750名がいたのだ。
当時は4年制の定時制もあったから、昼・夜合わせると900名近くいたのだと思う。
確かに1クラス20名しかいない学校では、クラブ活動などなかなか成立しないだろう。
地元に暮らす旧友に聞くと、大半の生徒は広島や福山などの大都市に進学する。
何しろ地元の高校に勤務する教師の子はすべて地元高校には行かないと言い、これでは高校存続を唱えてもなあ、説得力がないよという。
ということで、我が母校はもはや風前の灯火となっているのだ。
会報には同窓会費及び支援金のお願いとして年会費1000円とともに、それ以上の支援金の納入依頼があり、支援金を払った同窓生の氏名を掲載していた。
掲載者は82名だった。
涙ぐましい依頼であり、私も些少の額を増額して納入した。
卒業者数からして支援金の人数が少ないと友人の一人は嘆いた。
私は仕方ないと思った。
名門校でも何でもない田舎の高校を卒業して、同窓会費など意識していない人がほとんどだったに違いないのだと思った。
学校が傾き出して、おしりに火が付いたように「高校を存続させる会」を叫んでみても申し訳ないけれど遅きに失することだと言わざるを得ない。
ただ、自慢ではないけれど、支援金の掲載者の中には5名の私の同期生がいた。
いずれにしても、高校の統廃合問題といい、JRや路線バスの廃線問題といい、商店街のシャッター通りといい、日常生活を続ける限界点が近づいている。
能登半島で起きている災害の状況や復興が進まない状況を見れば、地方の時代と叫ぶ政治家の姿に不信という言葉が増幅する。
地方再生といっても十羽ひとからげに訴える地方ではない。
地方再生から取り残されようとしている地方をどうするかの問題は語られていない。
でも、冷静に考えてみれば、生協をはじめとする様々な宅配制度やアマゾンなどの通信販売なども個人レベルではどんどんと広がっている。
コロナ危機以来リモートワークも定着してきている。
通信薬局やネット医療相談、通信講座や通信制高校などの推進も含めて、あらゆる分野のネット利用の推進を行政を窓口として、安全と信頼を担保する中で進めることで、棄民化されない、忘れさられようとする地方の崩壊を食い止めることができはしないかという空想が広がるのだった。
ランキングに参加しています。気に入っていただけましたら
↓をクリックして応援してください。