11月28日(月)朝はウオーキングがてら見つけたカフェ(EXCELSIOR CAFFE エクセルシオールカフェというそうだ)で私はハムレタスサンド、カミさんはチーズワッフルサンドのモーニングセットを食べる。
ホテル一帯を一周する。
交差点では児童送迎ボランティアのお年寄りが学童の通学を旗を持って見守っている。
日本全国どこでも見る朝の光景だが、同年配者としてその精神に頭が下がる。
なんだかんだと大きなことを言ってもそうした精神に欠けているといつも反省しているが、ボランティア活動に捧げる勇気と精神の発露がないのだと思う。
それから荷物を整理して午前9時チェックアウト。
スーツケース二個は宅急便で送る。
4200円ほど。
高齢者にはこの費用負担も必要経費だ。
リュック一つ背負って、今日は昨日歩くことができなかった乾門通り抜けに再挑戦。
有楽町線で有楽町駅に行き、坂下門に向かった。
月曜日の朝、もう大勢の人が詰めかけている。
流石は東京だと再び思いを巡らせた。
大勢の警察官や宮内庁職員や都庁職員、アルバイトも含めてだろうが、厳戒態勢を敷いている。
皇居の中を巡るのは2度目だ。
現役時代、東京であった研修の一環で案内してもらったことがある。
カミさんのおばあさんも皇居の掃除、草取りの奉仕団の一員として、上京していたという。
坂下門の入り口では検温、消毒、勿論マスク、一通りのコロナ対策があった。
坂下門を抜けて少し進むと宮内庁があった。
なかなかお目にかかることがない官庁の建物をパチリ写真に収める。
人の気配を感じない、宮内庁はひっそりと建っていた。
今年の紅・黄葉は冷え込みが少なかったからか、雨が少なかったからか、日照の問題があったのか、乾門の通り抜けに限らず、どこの紅葉も例年と比べて、色彩が今一つ地味で感動を与えてくれることが少ない。
そういえば一昨日会った弟も神宮外苑を歩いたが、まだ早いのか大したことはなかったと言っていた。
だんだん足がくたびれてきた。
乾門を出た時は疲労感の方が気になっていた。
それから武道館の横を抜けて田安門から市ヶ谷駅の方向に歩いていたら、新しく整備されたスポット公園があった。
立ち止まって眺めていたら、若い男性が近づいてきた。
千代田区の公園担当の職員と名乗り、この公園についてアンケートしているので協力してほしいと言われた。
断ることが苦手な小生はいつもの通り、アンケート用紙を受け取り回答を書いて渡した。
まあ、同じように地方公務員をしていた身を考えれば拒むわけにはいかない。
しばらく歩いていくと靖国神社があった。
昔、旧日本陸軍少佐だった親父と弟3人で参ったことを思い出した。
反戦平和主義者のカミさんにお参りしていくかと問うと、素直に同意した。
神社神殿で手を合わせて、ウクライナ勝利を祈願した。
ちょうど正午、歩いて来るときに見つけた神社前の町中華で五目焼きそばを食べる。サラリーマンや職人風の人が次々にやってきて人気店だった。
でも味はノーサンキュー。
化学調味料主体の味付けで、後味の悪さが口の中に長く残った。
町中華は難しいとちょっと後悔した。
それから市ヶ谷駅から山手線で浜松町に行こうと歩いた。
この辺は何度も何度も歩いているはずなのに、一向に目指す市ヶ谷駅に至らない。家の外を掃除していたじいさんに聞くと、「市ヶ谷、とんでもない遠くに来ている」と大仰に声を発した。
靖国神社からそう遠くないところにいるはずなのになあと内心不満だった。
じいさんはそこの先を右に歩いていくと半蔵門線があるからそれに乗るといいと教えてくれた。
私たちのそばにいたおばあさん二人も半蔵門線の駅を探していたようで、じいさんの声を聞いて同じ方向に歩いて行った。
半蔵門線で永田町乗り換え、有楽町線で有楽町へ、山手線で浜松町、そしてモノレールで羽田に到着したのは午後1時30分過ぎだった。
荷物がないのですぐに保安検査場に行き、搭乗口に急いだ。
帰りの岡山便はわずかに空席があったが、まさに、全国旅割様様だった。
今年1年間、当ブログをご愛読いただきありがとうございました。
今年は再三再四襲ってくるコロナ禍の中、ロシアのウクライナ侵略戦争、イランヒジャブ女性急死事件から波及した抗議行動者に対する死刑執行など不条理で許し難い強権主義が世界を覆いました。
新しい年はこうした困難な問題が一つずつ良い方向に向かうよう願い、本年のブログ仕舞とさせていただきます。
来る年もよろしくお願いします。
ランキングに参加しています。気に入っていただけましたら
↓をクリックして応援してください。