GO TO travel キャンペーンを諦め、過去の旅を思い出す 2017年5月(その1)5月7日(日)

午前5時過ぎ起床。筍ご飯のおにぎりとお味噌汁で朝食。

 

本日からいとこ会男子部平成29年度北陸懇親旅行に出発。

カミさんに岡山駅まで送ってもらう。

緑の窓口で京都乗り換えを新大阪乗り換えに変更する。

 

差額が1720円戻ってきた。Jウエストの会員となりパソコンから申し込むと京都乗り換えが指定されて、帰りの特急券は別途申し込む仕組みになっている。

その料金は4350円。

金沢までの往復乗車券と往路の新幹線と特急料金で19210円で当初23560円払っていたのが、新幹線京都乗り換えから新大阪乗り換えに変更した結果、1720円の払い戻しとなったということは、どういうことか、子細に調べてみる必要がある。

 

岡山発7時18分発のぞみ号自由席に弟の元校長先生と乗車。

連休最後の日の新幹線は空席が多かった。

新大阪の乗り換え時間は5分ほどで、駅舎の中をかけって何とかサンダーバード号に間に合った。

サンダーバードもゆったり座れた。

 

金沢駅でもいしかわ鉄道に乗り換え。

と言っても元北陸線が民営化したもので、JRホームを共用していた。

ここでも乗り換え時間が少なく、ホームをかけった。

元校長先生は前立腺が肥大しているのか、私よりも多くトイレに立ったのが印象に残った。

 

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高岡駅ペインティング列車

12時前に高岡駅に到着。

駅からタクシーで集合場所の蕎麦屋「居酒」に向かった。

歩いたら10分程、「居酒」は古城公園のそばにあった。

店に入ると、東京組はまだ到着していなかった。

トイレから出てくると東京組がテーブルについていた。

 

「居酒」は元々は寿司屋だったが、主人がお蕎麦に魅了されて、蕎麦屋に転向したと言う。

腕のいい料理人は何でもできるのだろう。

 

お通しはよく冷えた湯葉の上に大きなウニを乗せていて、なかなかの趣向だった。

味も美味。

お刺身も魚の生きの良さが伝わってきた。

 

生ビールと冷酒6~7本、よく飲んだが、皆少し自制気味だ。

お蕎麦はこしが程よくあったが、そばの香りに少し不満が残った。

 

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高岡大仏

それから高岡大仏を鑑賞して高岡駅まで歩く。

そして氷見線で氷見に行く。

氷見駅からちょうどよいバスがなく、お腹減らしに今日の宿「魚恵」まで歩くことになった。

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氷見の街角


「魚恵」まで3000歩ほど。

途中、立派な商店街を歩いたが、シャッター通りの趣だった。

 

「魚恵」は民宿ということだったが、旅館風の趣があった。

午後4時頃到着。

ひと風呂浴びて宴会となった。

美味しい料理で、おもてなしの心が伝わる料理が色々と出てきた。

稚アユのから揚げは禁漁なのだが、偶然網にかかる稚アユは流通できるそうで、今日は特別に手に入ったようだ。

 

また特別に頼んだホタルイカの刺身もほとんど最終の漁で手に入ったものだと言われて、余計美味しくうれしい。

お客さんよく飲みますねえと言われるくらいよく飲んだ一夜だった。

 

本家筋を継ぐMが本家の系譜の話をする。

ひい祖父さんは熊本から出てきて東京で巡査になり本家の婿養子に入った。

ひい祖父さんは巡査として朝鮮の金玉均の護衛を務め、その関係で金玉均の書がMのところに残っているという。

 

またひいじいさんは養子に入る前の名は二子石と言い、熊本県出身で父の出身地を慕い、息子にあたる我々の祖父さんは熊本旧制五高に進んだという。

二子石と聞いて、私の両親の仲人は旧陸軍中将の二子石官太郎という人だが、それは関係あるんだろうかと声を上げると、Mは絶対関係があると断言した。

今後そうしたことを校長先生が調べることになった。

 

(注)インターネットで調べると、金玉均は朝鮮の人。

1884年12月朝鮮でクーデター(甲申事変)を起こすも失敗し日本に亡命した。

 

日本亡命中は日本政府に警護されながら各地を転々としていたようだ。

小笠原諸島に赴く時の警護を我々のひい祖父さんが担当したようだ。

1894年3月28日金玉均は上海で暗殺され、その遺体は八つ裂きにされ、朝鮮国内に晒された。

 

墓地は東京文京区の真浄寺に今も残っているという。

 

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