皆さま明けましておめでとうございます。
1月1日(日)午前7時前に今年も初日の出の遥拝のためウオーキングに出発。
東の空はうすぼんやりと赤く染まりつつあったが、上空は厚い雲が広がっていた。
今年はカミさんは膝が痛いと日の出ウオーキング欠席で一人で歩く。
初日の出スポットは、東幹線道路沿いの東に向かって丘のように張り出したところだ。
スポットに近づいていくと30人くらい集まっていた。
すでに昨年の時刻を過ぎようとしていたが、太陽は山と山の谷間に居座って昇ってこなかった。
ちょうど、ウオーキング仲間が坂道を上ってきて、新年のあいさつをする。
彼は「今年は日の出は見えないでしょう」と言った。
彼はウオーキングをしながら公共施設の危険個所ウオッチャーだ。
私が
「あなたが指摘していた鉄柱が錆びて大きな穴が開いていた郵便ポストが新品になったね。
郵便局に注意していた功績は大ですよ」と称賛すると、
「時間がかかったけれどやっと直った。
この先のカーブミラーも鉄柱が腐ってぐらぐらしていたので市に通報したら、これはすぐ直してくれた。
逆に、放置していたら事故が起こっていても仕方のない状態だったと感謝されたよ」
と満足げだったが、気が付いて行動を起こすことはたやすいことではないと思った。
彼と別れて、日の出をあきらめながら帰宅していたが、途中この団地のシンボル的な小山の裾を通ったので、上に登ったら日の出が見えるかもと斜面を登って行くと老人が木の枝にぶら下がっていた。
近づくとこの方もウオーキング仲間の一人だった。
彼は
「先日鉄棒で懸垂をしたら一度も体を引き上げられんで、時々、ここで懸垂をしている」と言った。
「子供の頃は得意じゃったが、全然できんでショックでなあ」といってやって見せてくれた。
今は3回程度はできるようになったというので、私もやってみたが、顔を枝まで近づけるのがやっとで、両腕が痛くそれ以上は断念した。
帰宅すると、カミさんは部屋の中を動いていたら膝の痛みは治まったと、毎年行く元日の後楽園無料開放には行けるというので、車に乗り込み出発する。
午前8時30分過ぎ後楽園到着。
岡山後楽園は、江戸時代岡山藩主池田綱政が土木事業の天才家臣津田永忠に命じて1687年に着工、1700年に完成した。
金沢の兼六園、水戸の偕楽園とともに「日本三名園」と称されている。
3年にわたるコロナ禍の影響が色濃く、元日入園料無料にもかかわらず、入園者は少ないように感じる。
コロナ前には元日の朝の8時過ぎ、朝早くでも大勢の入園者でにぎわっていた。
また、中国からの訪日客も観光バスで到着していたが、ことしは当然ながらそれもない。
園内に3か所ある茶屋も1店はまだ開店していなかった。
園内を一周して、岡山城方面への出口近くにある茶屋で休憩、園内を流れる小川には錦鯉が群れている。
私はお抹茶セット、カミさんは甘酒を注文していただいた。
園庭を眺めていたら、そういえば今年はお正月恒例の丹頂の園内散策が中止になったとあったと言うと、すかさずカミさんが鳥インフルエンザの影響でしょうと言った。
そのことも入園者が少ないことと関係しているかもしれない。
何しろ大空を舞う丹頂の姿は、初春の風物詩としてこれ以上はないものだ。
丹頂目当てに多くの人が集まっていたのだ。
園内から岡山城が見える。昨年11月にリニューアルなった岡山城天守閣は何だか少し背が高くなったように見えた。
黒塗りの下見板に金箔瓦の意匠が映えて、すっきりと美しい。
帰りはイオン系の大型スーパーに寄る。
元日の夕方にやって来る娘一家4人とのディナーは焼肉と決まっている。
宮崎産黒毛和牛肩ロース500gと鹿児島産黒豚ロース500gを用意しているが、孫たちも高2と小6になり少し足りないかもしれないので、黒毛和牛三角バラカルビ500gを追加。さらにクロマグロ中トロ刺身を買う。
それにしても、この田舎でも人気のスーパーの初売りのなんと人出の少ないことかと、インフレや少子高齢化、雇用環境の悪化などつい地方経済の深刻化と結びつけてしまう。
カミさんはおせちづくりはもうできないと言いながら、年末からブリの照り焼き、黒豆、数の子、栗きんとん、だし巻き、筑前煮などを作った。
初日の出遥拝~後楽園散策~元旦夕食の買い物をしてやっと帰宅。
時刻はちょうど正午前、ようやく食事にありついた。
カミさんと息子と私の三人の静かな元日の食事。
息子は仕事の関係で、午後4時までは自宅待機で禁酒という。
ということで我々夫婦ふたりでワインハーフボトル、缶ビール2本、加えて私は日本酒を1合少々飲んで出来上がって、ひと眠りしたら午後4時30分頃、娘一家がやってきた。
将棋を覚えた6年生の孫は、やってくる前に「おじいちゃんのところに将棋盤あるかなあ、持って行こうか」と言っているけれどと娘からLINEがあった。
将棋盤を持たずに将棋初段は取れないよと言っておいた。
やってきて初めて出した縦一尺二寸(約36.4㎝)横一尺一寸(約33.3㎝)の将棋盤と駒台と彫り駒を見て孫はすげえと感嘆の声をあげた。
早速、孫との将棋が始まった。もちろん、飛車角、桂香6枚落ちで試しにやってみたが、碁でも同じだけれど初心者は音のする方に附いて指してくる。
でも6枚落ちだから、際どくなり、孫に勝ち筋もあったけれど、じいさんの勝ち。
次は銀も落として8枚落ち。
流石にこれは孫が勝って喜んだ。
でも翌日再度挑戦してきて、6枚落ちで1勝1敗となった。
なかなか見込みはあるけれど、じいさんが生きている間に平手で指すことができれば無上の喜びだけどそれは無理だろうと思う。
私も親父とは1万局以上指したけれど、じいさんとは指したことがない。
じいさんとの将棋、思い出してくれるだろうかとまんざらでもない。
午後7時過ぎ新年会が始まった。
1.5㎏の肉と野菜は1時間ほどで平らげた。
ウクライナで暮らす人々には申し訳ないけれど、何としてもロシアとの戦争に勝利してもらいたい。
そして、平和な生活をもう一度取り戻してほしいと願うばかりだ。
私たち日本人も今の平和を何としても守らないといけないと、平和な生活が今あることに深く感謝した令和5年元旦の一日だった。
今年もよろしくお願いします。
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