総理大臣の器は何で決まるのだろうか。村山談話と安倍談話の違いを考えてみた。

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ルリマツリ


村山元首相は御年96歳という。

 

村山政権は1994年6月30日、自民党社会党新党さきがけというそれまでの党派対立ではあってはならない組み合わせの連立政権の誕生だった。

 

94年7月にはイタリアでG7サミットが開催され、村山首相はイタリアに飛んだ。

そのイタリアで村山さんは腹痛を訴え倒れた。

その後回復されたので、単なる腹痛だったのだろう。

それでも、国際会議の中での失態であり、大きな不安を覚えたものだ。

 

それから95年1月17日阪神・淡路大震災が発災した。

このときは、テレビ画面を見ながらこの人で大丈夫かなあと心底不安になった。

 

今年8月15日の朝日新聞に、日本のアジア諸国に対する植民地支配を認め、公式に謝罪の意を示した村山談話の発表(1995年8月15日)から25年を迎え、村山元首相が「村山談話に託した想い」と題したコメントを公表したという記事が載った。

その記事を読み、村山談話を読みながら、久しぶりに私は日本の政治家の言葉に感動した。是非、皆さんにも読んでいただきたいとほぼその記事の通りに紹介します。

 

その中で村山元首相は日本の侵略戦争を否定する歴史認識は「受け入れられるはずがない」と強調している。

また、歴代内閣が村山談話を踏襲していることを「当然のこと」としたうえで、先の大戦について「侵略ではないとか、正義の戦争であるとか、植民地の解放の戦争だったなどという歴史認識は、全く、受け入れられるはずがないことは、自明の理」と一刀両断、これほど明快な主張はない。

 

さらに、「日本の多くの良心的な人々の歴史に対する検証や反省の取り組みを『自虐史観』などと攻撃する動きもありますが、それらの考えはまったく、間違っています」と指摘してぶれるところが全くない。

「日本の過去を謙虚に問うことは、日本の名誉につながるのです。逆に、植民地支配を認めないような姿勢こそ、この国を貶めるのではないでしょうか」と呼びかけた。と紹介されていたが全く同感である。

 

村山談話を読み返してみた。

やはり、実際に体験してきた人の言葉の重みを今さらながら感じた。

 

談話の冒頭「先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。いま、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。」と述べている。

「万感胸に迫る」という言葉が使える人はその時代を生きて、様々な事態に遭遇した人でしか言えない実感のこもる言葉だと思った。

そして極力分かりやすい言葉をつなげて終わりを「心から喜びたいと思います。」とか「誠実に対応してまいります。」など自らの気持ち、姿勢を表現している。

 

最後に「この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いのお言葉といたします。」と締めくくっていた。

何と素晴らしい政治家だったのかと今更ながらに感銘を受けたのだった。

 

 

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我が家のゴーヤの収穫も最盛期

それに引き換え我が首相である。

 

お友達ばかりを優遇し、文書を改ざんし、安保法制や検察庁法の改正などを強行しようとする政治姿勢に信義のかけらもないではないか。

 

安倍さんは2015年8月14日安倍談話を閣議決定した。

この際、後学のため読み返してみた。

まず、第一印象は教科書をなぞるような今さらながらの近代日本史の解説が続く。

戦後生まれで致し方ない面はあるが、実体験に基づかない空疎な言葉の羅列である。

 

この談話の中で、安倍総理の主張として違和感を覚えたのは「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。

あの戦争には何の関りのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」のくだりである。

 

確かに戦後世代は戦時中には存在していなかったのだから直接的には「あの戦争には何の関わり合いのない」と言えるかもしれないが、日本人として、あの戦争の責任を認める以上、「何の関わり合いもない」「謝罪を続ける宿命を背負わせてはいけない」などと加害者の口から主張すべきではないと言いたい。

 

日本国と日本国民が過去を反省し不断に平和を希求する姿を示してこそ、被害者だった国々が未来志向で手を携えていこうという状況を生むのだと思う。

 

 

ドイツメルケル首相は2019年12月6日ポーランドアウシュビッツ収容所を訪問した際「虐殺を行ったのはドイツ人だった。この責任に終わりはない」と演説したという。

 

安倍首相は

「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも忘れてはなりません。」

「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。」

と語るけれども

この方の口からついて出る言葉の何という軽さかと思ってしまう。

本当に喋り過ぎなんだと思う。

 

そして、安倍談話の後半部分の「胸に刻み続けます」と続く数行のセンテンスは何だかちっとも成就しない選挙公約のようでもある。

 

安倍政治に真に必要なものは、口先だけではない自分の言葉で語ることだ。

その心は誠実にと言うことだということを村山談話から教えられた。

 

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