我が家でいかなごの釘煮を作るようになって10年くらいだろうか。
阪神淡路大震災といかなごの釘煮とは、切っても切れない関係がある。
被災した明石市の知人にお見舞いを送ったところ、大変だったけどおかげでだいぶ元気になりました、明石からの春便りですと言って、いかなごの釘煮が送られてきた。
被災地からの元気のたよりがとても嬉しく、その旨伝えたところ、その後毎年送っていただくようになった。あちこちでそういうやり取りがあったらしく、いかなごの釘煮は復興のシンボルになった。
当地は兵庫県の隣県であり、たくさんの方が避難して来られた。
町内会をあげて、その方々のお世話にあたったことも記憶に新しい。
そして、そのまま住人となられた方もおられると聞く。
そんな方たちの要望もあったからだろうか、当地でも県内産の生のいかなごが売られるようになった。
テレビを見ているとイカナゴ漁解禁のニュースが毎年のように報じられる。
そしてイカナゴが出回ると、釘煮づくりだ。。
私は号令をかけるだけで、作るのはもちろんかみさん。
左党のわたしは釘煮の甘さが少々苦手で、砂糖を控えたものを所望したりもする。
しかし、砂糖が釘煮の照りや釘煮の名の由来ともなる固さを作るらしく、砂糖を控えると、釘煮らしさに欠ける柔らかい佃煮になってしまう。これはこれでまたおいしいし、その柔らかさがいいと言ってくれる人もいる。
例年、何日かに分けて数キロ購入しいろいろな味の釘煮を楽しんでいる。
いかなごは毎日成長し、日に日に大きくなっていく。
出始めの頃はちょっと小さすぎて物足りない感じだが、何日か買い物に行けないでいると、タイミングを逃し大きくなりすぎてしまったりする。
頃合いのものを入手するのも至難の技だが、それが美味しい釘煮を作る最大のポイントとも言えようか。
毎年その時期になると、そろそろいかなごが入荷してないかなと、魚屋を覗くのが年中行事のようになっている。
ところが今年は異変が起きた。
コロナ騒ぎに気を取られていたからというわけではないが、イカナゴを店頭で見つけたときにはすでに大きくなリ過ぎていた。
どうしたことだろう。
例年に比べて半月も早く出回ったようなのだ。
これ以上大きくなったらグロテスクで釘煮にはちょっと、というギリギリのサイズを購入。
私用に、甘さを控えた釘煮を作ってもらった。
たくさん作って、兄弟や娘に送ったりしていたが、今年は諦めなければと思っていたところ、なんと、一週間以上経ってから、数段小さい、ちょうと頃合いのいかなごが店頭で見つかった。
これくらいのイカナゴがちょうどいい
お値段もそれなりで、ちょっと迷ったが、思い切って購入。
市販のタレを使って甘い(普通の味の)いかなごを作った。
照りも固さも申し分のないいかなごができた。これなら人様に差し上げることができる。
美味しそうにできました。
それにしても、こんなことがあるのだろうか。
暖冬の影響で、半月も早く出回るというのは理解できる。
梅も椿も、早く咲いた。
サクラも3月中にはお花見が終わりそうだ。
しかし、大きないかなごのあとに小さないかなごが出回るというのはどうしても理解できない。
サクラのあとに梅が咲くようなものではないか。
それとも産地が異なっていたのだろうか。
先に買ったいかなごにも、確かに県内産と表記してあった気がするけれど、県は県でも他県だったのかもしれない。
道理で少々鮮度に難があったような。
他県産なら荷傷みとも考えられる。
それにしてもどこから、、、、と、いくら考えても腑に落ちない、いかなごの怪です。
ランキングに参加しています。気に入っていただけましたら、
↓をクリックして応援してください。