昭和の風景・蒸気機関車の思い出から故郷の芸備線のことを想う。


先年、何十年ぶりかで蒸気機関車に乗った。

大井川鉄道を利用して旅行した。東京育ちの3人のいとこと田舎育ちの我々兄弟2人の男5人でコロナ禍を除いて10年以上、毎年旅行をしている。

 

振り返ってみると、蒸気機関車に乗っていたのは昭和40年代後半までだったと記憶している。

子供ができてお盆、正月には蒸気機関車に乗って実家に帰っていた。

私の蒸気機関車の原点は芸備線だ。

私は芸備線の沿線の広島県のある町で生まれ育った。

記憶に残る蒸気機関車は貨物列車に客車を1両つないで走る混合と呼んでいた列車。

夕方走る姿がわびしかった。

もちろん乗車したこともあった。

それから、最終列車だったと思うけれど、冬には車両内にストーブを焚いて走る列車も遠い記憶に残っている。

 

芸備線は列車としては主に広島市から岡山県新見市をつないでいたが、芸備線としては伯備線と交差する備中神代(こうじろ)駅までの路線である。

神代駅から新見駅の中間にあるのが布原信号所、途中から布原駅に昇格したが、蒸気機関車3両をつないで走る三重連はカメラスポットとして有名だった。ただ、実際の三重連は私は見ていない。

 

先日、奈良に住む同郷の友人が電話してきた。

今朝の新聞の全国版に芸備線のことが出ているという。

郷土に住む人たちには苦い思いの記事だろうけれど、郷土から離れて暮らす出身者には芸備線と聞くと懐かしさが溢れるのだろう。

ただ、故郷を離れて暮らす者たちは、JR西日本が発表した1キロ当たりの1日乗車人数が2000人未満の17路線30区間の中で私たちが住んでいた区間の東城~備後落合間は1日3往復、収支率が最低(100円を稼ぐために25000円の経費が掛かる)で、1キロ当たりの1日平均利用者数は14~20人と聞くと廃線もやむなしかと思ってしまう。

日日草



芸備線関連については、この2週間ほどでも朝日新聞では9月27日付月「ローカル線 人呼ぶコンテンツに‥‥広島と岡山を結ぶJR芸備線など地方ローカル線は、いま再び、存続させるかの議論が高まっています」。

9月29日付「芸備線再構築協来月にも要請‥‥インタビュー編斎藤鉄夫・国土交通省:湯崎英彦・広島県知事」。

9月30日付「芸備線再構築協へ2市長に聞く‥‥木山耕三広島県庄原市長:戎斉岡山県新見市長」。

10月2日付「赤字ローカル線協議JR西以外は静観‥‥芸備線の備後庄原~備中神代間について、JR西は再構築協の設置を(国に)近く要請する」。

10月4日付「赤字の芸備線どうする‥‥JR西が全国初再構築協要請」。

10月8日付社説「赤字ローカル線 街の将来みすえ議論を」なんと6つの記事が並んだ。

 

注目されることの少ない故郷のことが全国版の記事に出ていることに、郷土から遠く離れて暮らす友人は興奮したのだった。

こうした記事に関して故郷から去った者が言うのは無責任かもしれないけれど、1日に上下数便しかない路線には乗客も一列車数名しか乗らないのは当たり前ではないかと思う。

そういう状況を放置しておいて、維持することは困難と言われてもなあと住んでいる人たちは思うだろう。

そして地方に行けば行くほど、路線バス網も廃止されている。

わずかにコミュニティバスが1日数便走っているところがあればいい方だ。

路線バスの廃止の上に鉄道路線の廃止を持ち出して住んでいる人達に同意を求めても同意しようがないではないか。

パンパスグラス。蒸気機関車の白煙のようだ



こうした問題点を解決するためには、地域の拠点都市に向けてのコミュニティバスやデマンドタクシーの取り組みや路線バス網の再整備など多様な施策の選択と集中が必要だ。

その上で、高速バス網と路線バス網を同一バスセンターや停留所で乗りやすく結びつけ、地域拠点都市間の移動の利便性を図ることが重要だ。

現状の高速バスは地方拠点都市と京阪神や県都などをつなぐ交通機関となっているが、その一部を県域を越えた地方拠点都市間での乗降ができるよう使いやすくすることが必要だ。

 

地方における現状の交通形態は利用者の立場に立っていない。

ただ言い訳のために走らせているだけに過ぎないと言わざるを得ない。

住民が乗りたくなる、使いたくなる具体的な現実性のある案を示して、住民の納得を得るという作業を省略している。

不便に不便にして住民があきらめるのを待っているような気がしてならない。

少子高齢化時代であるからこそ、国もJRも自治体も民間事業者も一体となって、乗りやすい使いやすい交通施策を提示すべきだ。

 

ランキングに参加しています。気に入っていただけましたら

↓をクリックして応援してください。

 

全般ランキング
全般ランキング