平成の大合併から10年、枯れる山間地域

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過日、卒業した広島県立東城高校の100周年記念行事があり、故郷を離れて暮らす数人の友人と参加した。

多発する高齢者の交通事故を考えて私は今回、JRを利用した。

 

我々、団塊世代の高校時代は1学年250人ほどいたが、今では全校生徒で100人程とここでも過疎化が進んでいた。

在校生が100人を切ると廃校や分校化の対象となるという。

 

式典は現役生徒が100人、教職員が元職を含めて50人、来賓が30人、卒業生が200人、計400人くらいだった。

意外と地元に住む旧友の姿は見かけなかった。

「故郷は遠きにありて思うもの」という言葉が浮かんだ。

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演奏会のポスター



しかし今日のメインは何といっても我らが郷土の誇り、和太鼓奏者の林英哲だった。

林英哲君は私よりも5歳年下なので個人的には知らないが、お寺の息子で、私の家も檀家だったことから、今でも英哲君の兄さんに岡山まで盆行に来ていただいているという縁があった。

 

和太鼓の世界的奏者といっても、ほとんどの人は知らないというのが現実であり、実に残念だ。

NHKのようこそ先輩やベルリンフィルとの共演などその活躍は枚挙にいとまがない。

 

その人が、母校の創立100周年のために無料でコンサートを開いてくれたのだった。

組曲「レオナール われに羽賜べ」は洋画家藤田嗣治をテーマにした作品ということだった。

4人の弟子を伴い、これまでの和太鼓を叩くだけの演奏とは違って、楽器のマリンバや歌唱などを入れて多様な構成で観客を飽きさせない工夫があった。

その中での見事な演奏技術に魅了されて聴き入った。話し方も、気負いや衒いもなく淡々として清潔感に溢れていて、人柄の良さを感じさせた。

 

絵描きになるために東京の美大に進学させてもらったことについて、出身高校の教師だった父親の思い出話もあった。

みんな、林英哲の演奏と話が聞けたことが一番の収穫だったと言っていた。

 

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演奏を終えて



夜の懇親会は地元組と一緒に8人で飲んだ。

地元に住む参加者は、もう東城で飲むところは多くない。

昔の良ちゃん寿司も大坂屋もスナックボンジュールも、みんな廃業したと言っていた。

 

特に昨年の西日本豪雨、今年の豪雨災害で廃業する店が続出したと言っていた。

相次ぐ災害が地方の暮らしを脅かしている。

昼間の街の通りにも人影はほとんど見なかった。

 

今夜は帝釈休暇村に宿泊。

翌日は朝食も取らず、6時50分タクシーで東城駅に出た。

スマホで調べると新見行は朝7時30分発を逃すと、午後3時25分までないのだ。

仕方なく、タクシーとなった。

 

タクシーの運転手は「朝早くてすみません」と丁寧な人だった。

「お客さんを送ったあと、学童を迎えに行かなければならないんで少し早めにさせてもらいました」という説明があった。

小学校の統廃合で遠距離通学にタクシーが使われているという。もちろん費用は行政負担だろうが、えらい時代になっていた。

 

観光地帝釈峡のある犬瀬~東城間には公共交通(バス)が2年前に廃止されたということだった。

まさに陸の孤島化状態である。

 

因みに高速バスは通っているが、目的地までの途中下車はできないことになっており、例えば、東城バス停で大阪行の高速バスに乗っても伯備線の拠点駅である新見駅前バス乗り場では下車はできない。

確かに高速バスの目的の第一は目的地に早く到着することであるが、ほとんどガラガラの高速バスの利用者増や地域で暮らす住民の利便性などを考えると何らかの工夫があってもいいのではないかなどと滅多に帰郷せぬ者ではあるが思った。

 

また、高齢者の免許返納運動を叫んでも交通弱者が暮らせる工夫を進めないと免許返納は進まないとも思った。

 

ただし、本日は7時30分の後、8時54分という列車がもう一本あったことを後で知った。

私が見たのは日曜休日時刻表だった。

平日はもう一本あったのだった

 

いつもの私の早とちりだった。

 

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