先月末、朝、寝汗をかいて目が覚めた。
身体が熱っぽかった。体温を計ると37度8分。私の平熱は低く、いつもは35℃台後半だ。発熱だ。すぐに、コロナ感染を思った。
ただ、6回目のワクチン接種も済ませたばかり、通常のインフルエンザ予防接種も例年通り済ませていた。
午前9時過ぎに、かかりつけ医に連絡すると、発熱外来のある病院を紹介された。
そして、コロナ感染でなければ、風邪薬は処方できると言われた。
紹介された病院に連絡すると、発熱外来のかかり方について、発熱外来専用の駐車場があるので、到着したら車の中から連絡することや、看護師が出向くのでそれまで車内で待つことなどを説明された。
発熱外来専用駐車場に車を停めて、事務局に連絡して車の中で待つ。
15分ほど待っていたら看護師が来て体温を測る。
体温は36.8度と起きた時よりは下がっていた。
とりあえず抗原検査を受けることにした。
それから待つこと20分。
看護師と医師がやってきて、綿棒を両鼻穴にぐりぐりと何回か回して引き抜いて、15分ほどお待ちくださいと戻って行った。
それから30分ほど待った。
再び、医師と看護師が抗原検査の結果は陰性と告げた。
娘一家が最近、コロナに感染した時、まず抗原検査をしたが、陰性だった。
その上でPCR検査をしてコロナ感染が分かったと言っていた。
抗原検査のコロナ判定率は60%台というので、私にもPCR検査の希望等を聞かれると思っていたが何も聞かれなかった。
5類移行後、コロナ感染の検査代がかかるようになり、娘の話からは高い検査代だったと聞いていたが、公式、非公式の行事が立て込んでいて抗原検査を受けるまでは、PCR検査は当然にする気持ちでいた。
ただ、抗原検査結果は陰性と聞いて、それ以上の検査手順など一切説明なく、薬はどうしますかと聞かれたので、風邪薬の場合はかかりつけ医で出すことになっていると告げると話は抗原検査代のことに移ってしまった。
思い返すと、5類に移行して、コロナ判定の必然性はなくなっていること、高い検査代がかかること、後期高齢者で重症化が疑われない状況であれば自宅でゆっくり療養していればいいではないかと言うこと、などから、風邪薬でも飲んで休んでくださいということになるのだと思った。
まあ、まったくリーズナブルな診断であり、見解であると納得した。
ということで、発熱外来からの帰りに、かかりつけ医を受診したが、診察もそこそこに、早く帰って休みなさいという態度、コロナ感染の疑いが100%解消したわけではないので、とにかく風邪薬を持って早く帰ってくださいという態度がありありだった。
帰宅してから、今日午後からの二つの会議の欠席、金曜日の飲み会の欠席、役員をしているOB会総会への欠席、その週末の飲み会の欠席など7月のスケジュール表の予定はすべてキャンセルした。
それでも4年ぶりとなるOB会総会は数回の役員会を重ねてきただけに、役員の方に申し訳ない気持ちで一杯になった。
十数年来発熱など一度もなかったので、肉体的、精神的に不安感もないまぜになり落ち着かない気持ちで布団の中に横たわっていた。
発熱は36台後半から37度台後半の範囲で上がったり、下がったりしていた。
頭と身体が猛烈に痛んだ。
風邪特有の咳やくしゃみ、のどの痛みはほとんどなく、段々過労ではないかと思いだした。
このところのハードスケジュールについていえば、一泊旅行の高校クラス会や4泊5日の関東旅行、5月から復活した毎週1回の飲み会、週1~2回の会議や相談会などが続いていた。
後期高齢者の体力の減退を実感した。
あの旅行の最中の元気に満ちていた行動力、食欲、飲み欲、体力は何処に行ったのか、まるで自信を無くしてしまった。
何とか食べて、朝はお粥に梅干し、昼は食べずに夜は果物だけ。
この数年、一日も晩酌を欠かさないと自慢していたが、食欲なし、飲みたいとも思わなくなって3日間が過ぎた。
それでも金曜日になって、少し飲んでみようと飲んだけれど、酒の味を忘れたみたいにまずかった。
それでも根が呑兵衛なものだから、夜になったら少々ほしくなるが、やっぱりうまくない。
そんなこんな生活が悪かったのだろう、熱は37度台から下がらなくなり、まったくの食欲不振、流石にお酒はあきらめた。
といっても、飲めなくなったというのが事実。
本当にこれはやばいかなともちらっと思った。
日曜日から寝たきり、部屋を暗くしてテレビもつけずにいたら、すぐ眠ってしまう生活だった。
月曜日も寝たきり状態、火曜日には何が悪かったのか、嘔吐下痢症で、洗面所に行くまでに、ポンプで噴き出すように我慢できずに何度も嘔吐してしまった。
昔、二日酔いで、胃液までも嘔吐する苦しみを思い出した。
風邪の影響か、食べたものが悪かったのか、完全に身体がアウトになるのか、先日飲んだお酒の影響かとまくらを抱いて呻吟した。
その夜は絶食。
しかし、この極悪の嘔吐を経てから、身体が楽になった様な気がしたから不思議なものだ。
翌日は、買い物に行かなくては何も食べるものがないとカミさんが言うので、久しぶりに車を運転して外出した。
でも、なんだか気分がよい。
元気回復の兆しを感じた。
今夜はさごし(鰆の若魚)の塩焼きとアサリの味噌汁、もちろん禁酒。
木曜日 ようやく床をあげた。
ウオーキングも再開した。元気が出た。この目覚ましい回復力はなんだ。
75歳後期高齢者は再び元気を回復し、自信がでた。
しかし、過信は禁物、年齢を自覚して、ゆっくり歩もうと誓った。
夜は、久しぶりに焼き肉だ。
体が弱ったら肉を食う元気もなくなる。
酒を飲む力もなくなる。
食欲とともにこれらが元気のバロメーターなのだと思いながら、今夜は乾杯した。
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