4月4日金曜日、東京オリンピックの代表選考会を兼ねた競泳の日本選手権女子100メートルバタフライ決勝で、白血病(急性リンパ性白血病)から復帰した池江選手が57秒77で優勝した。
この記録は400メートルメドレーリレーのオリンピック標準記録(57秒92)を突破しており、リレーメンバーとしてのオリンピック代表に内定した。
ゴール後のインタビューに応じる姿や言葉を何度も見聞きした。
こみ上げてくる感情の波と止めども流れる涙を必死で抑えながら「自分が勝てるのはずっと先だと思っていたけれど、勝つための練習もしっかりやって来たし、努力は必ず報われるんだなと思った」と語る姿に感動し、私ももらい泣きした。
池江選手の鼻筋通った見目麗しい気品のある顔立ちを見ながら、強い意志力が伝わる言葉の力強さを聞きながら、天は二物を与えずと昔から言われてきたけれど、最近は、学力もスポーツも(文武両道)容姿も精神力も表現力も、いわゆる3物も4物も備わったマルチ人間が登場していることに驚く。
それにしても白血病発症から2年ばかりでの復活である。
最近の医学の進歩の勝利なのだろうか。
いや、やはり池江選手が例外中の例外なのか。
1985年2月初の主演舞台「愚かな女」の公演中に「急性骨髄性白血病」を発症し舞台を降板し入院した。
そして1985年9月11日、27歳という若さで亡くなった。
1982年の映画「鬼龍院花子の生涯」は何度見たことか。
その演技が認められ演技派女優として、これからの時代を背負うことを期待された中で斃れた無念の死だった。
実は私の義父も白血病にかかった。
自覚症状は発熱と体のだるさだった。
ちょっと診てもらってくると受診したが、すぐには白血病とわからなかった。
胃潰瘍の治療などがなされた。
いくら治療してもよくならないので大学病院に回され、そこで血液検査をして白血病(骨髄異形成症候群)と診断された。
面会謝絶だったが、それでもやってきて、強引に面会させろと病院に迫る人もいた。
挙句の果てに、感染性の病気にかかっているようだと噂を流す人もいた。
自分が感染源になることなど、想像すらできない人々だった。
当時は白血病は当人に告知しないのが一般的で、もちろん他人には病名は伏せていた。
白血病は正常な白血球を作ることができなくなることに起因する。
正常な白血球は自分の体を細菌やウイルスなどから守っている。
白血球に異常が起こるとこうした防御態勢が取れなくなるので、外部からの様々な感染菌を防護する必要があり、患者への感染予防対策のために、見舞客を制限するいうことを知ったのだった。
結局、義父は骨髄移植に備えた処置が始まってすぐに、感染症のため1991年8月に亡くなった。
近所の人たちの中には、「あーさん(兄さん)は炎天下でも帽子もかぶらず農作業をしとったから」と太陽光線に原因を求めた人もあった。
30年前の白血病治療は骨髄移植が成功するかどうかにかかっていたが、今は抗がん剤を使った化学療法でガン化した白血球細胞を死滅させるとあった。
池江選手も抗がん剤による化学療法がおこなわれ、その後、骨髄移植を行って寛解状態になり、2019年12月に10か月に及ぶ入院生活を経て退院した。
そして昨年5月にトレーニングを再開し、8月にレースに復帰してから今回の快挙を成し遂げた。
常人に能わざるといえる例外中の例外の人かもしれないけれど、多くの国民を勇気づけたことは間違いない。
彼女から発せられた「努力は必ず報われる」という言葉だ。
国民は病魔の克服のため必死に戦った池江選手の言葉や態度に感動を覚えれば覚えるほど、今の政治家や政治に失望するに違いない。
我が国の政治の貧困はどこまで落ちていくのだろうか。
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