ジジババが行く 4年ぶりの姉弟会・千葉旅行

夜の佐原の町並み



今日からコロナ禍で中止していた4年ぶりの姉弟会千葉旅行。

前回は2019年2月に沖縄に旅行した。

首里城など見学したが、その首里城は10月31日火災で焼失したのだった。

 

今朝も岡山空港一番の飛行機、いや、一番はANA午前7時05分、我々はJAL7時10分だ。

飛行機は快晴の中を順調に飛行、予定では8時25分着だったが、8時10分には到着した。

こんなに早い到着は初めてだった。

 

千葉駅の集合場所に行くと弟夫婦が先着していた。

弟夫婦は昨日から出てきていた。

岡山羽田便の半額チケットが取れて大満足していた。

私はじゃらんで早々と取ったので、今回の全国旅割には参加できなかった。

ただ、弟がとってくれた犬吠埼ホテルでは全国旅割が適用されて、弟の行動力に感謝した。

80代になる姉さんたちも全国旅割などまったく頭になかった。

私は当初、それを目指したのだが、早く申し込み過ぎて開始前だったようだ。

途中でキャンセルするとキャンセル料も発生するというのであきらめた。

ただ、ホテルの料金表を見るといまだに、全国旅割適用と赤字で書いてあるので、ゆっくり探せばいくらでもあったのだろうと思った。

予算消化次第終了と書かれると早く申し込みしなければとなったが、その時はまだ始まっていない、大手業者はそのあたりの阿吽の呼吸を教えてくれなくて、ミスマッチが生じたのだと思う。

でも私のような高齢者でも過去5回ほど適用していただいたので、ありがたいと思わなければならないと納得している。

 

弟たちと合流して10分ほどして、千葉県在住の姉様たちがやってきた。

上は86、下は82歳、姿や歩き方などとても80代には見えない。

弟と私の連れ合いは60代後半と70代だが、弱い足腰が目立つ。

さすがは太平洋戦争をくぐって生き残った年代は違う。

旧陸軍野戦砲兵学校跡の記念碑



さて、これからは、まず、四街道市に行く。

太平洋戦争中の一時期、父はここにあった旧陸軍野戦砲兵学校で教鞭をとっていた。

その場所を訪れてみたいと特に私が希望して実現したのだった。

四街道駅からタクシーに分乗し運転手に旧陸軍野戦砲兵学校跡地と伝えたが、果たして運転手は言葉の意味も理解しがたいようだった。

会社の運転管理者に連絡を取ったが、要領を得ないようだった。

確かに今や、戦前(太平洋戦争)のことなど、ほとんどの日本人にとって歴史の彼方のことなのだ。

もう一台のタクシーに乗った弟が的確に指示して、私たちにも知らせてくれたので少し遅れて到着した。

 

市役所や小学校、駐車場などが立ち並ぶ一角に旧陸軍野戦砲兵学校跡記念碑が立っていた。

あの戦争が終わってからすでに80年近くが経っている。

今まさにウクライナではロシアによるいつ終わるとも知れない侵略戦争が続いている。

すべてを洗い流してしまうには、時の経過しかないのかもしれないと記念碑を見ながら思った。

 

さて、これからはお昼ご飯。基本的にはグルメ一行だから、幹事の弟は食事場所に苦心しているようだった。

今日のお昼は当初イタリアンと言っていたが、今日はお休みと分かり、急遽、お蕎麦屋さんを探した。

ということで、しきりに、急だったのでお蕎麦屋さんがどうだかちょっと不安だと言っていた。

 

記念碑から10分弱のところのお蕎麦屋さんまで歩いた。

みんな、天ざるを注文したが、写真を撮り忘れていた。

ビールがちょうどいい塩梅に冷えて、これは皆一致して美味しいビールだった。

そして、天ぷらも熱々でカリッと揚って美味しかった。

 

ただ、お蕎麦は一言で言えば平凡。

蕎麦の香り、程よいこしの強さ、のど越しの満足感、作り手の主張と言うものがまるでなかったように思った。

 

それから、再び四街道駅にタクシーで向かい、次は本日の宿泊地佐原に行く。

13時09分四街道駅乗車、佐原駅14時11分着。

昨年6月、千葉県鴨川を旅行したが、今年は四街道~佐原~銚子~犬吠埼を2泊3日で歩くのだ。

このコースは初めて。

佐原駅 古い街並みにマッチした風情あるたたずまい



佐原では駅に並んで立つルートインホテルに泊まる。

チェックインの時間前だが部屋に入れてくれた。

我々夫婦は前もって送っておいた荷物を受け取り、少し休憩して、佐原散策に出かけた。

小野川をはさんで木造二階建て築100年以上を経る商家の建物群が続く。

初めて出会った佐原のこの風景に、まったく魅了されてしまった。

私の地元の倉敷の美観地区も江戸時代から続く伝統的建造物の街並みが名所風景として人気を博しているが、佐原の街並みは倉敷とは趣が異なり、甲乙はつけがたい街並み風景として記憶に残る場所となった。

伊能忠敬記念館



先ずは日本地図の大偉人、伊能忠敬記念館を鑑賞。

ここで展示物を最近はピカサの絵でも撮影可のところも増えてきたと言いながらカメラに収めていたら、

「ここは撮影禁止ですよ。写していいのはあの一角だけ」

と中年の女性に大きな声で注意されてしまった。

 

伊能忠敬は言うまでもなく江戸時代に55歳から17年の歳月をかけて日本全国を測量し、正確な日本地図を作った人物だ。

 

橋の下から水が流れ落ちるじゃあじゃあ橋

伊能忠敬旧宅前の樋橋から小野川観光船を眺めていると、観光ボランティアのおじいさんが遠慮がちに、橋の下側から滝のように流れ落ちる水について、30分ごとに落ちると教えてくれた。

その時間が来たら我々一行の姿を写真に収めてくれた。

それから、伊能忠敬旧宅にもついてきて、案内と説明をしてくれた。

義妹が熱心に聞いて、相槌を打ち感動の声を発するので、老人はいたく満足されて説明はなかなか終わらなかった。

 

次にぶらぶら歩いて行くと佐原街並み交流館があった。

交流館の中に貼ってある地図を見ていたら、ここでもボランティアガイドなのだろうか、さっきとは別のおじいさんが声をかけてくれて、地図を見ながら説明してくれた。

「香取には香取神宮がある。

古来から神宮と呼ばれるお宮は全国で三つしかない。

この香取神宮、そして茨城県の鹿島神宮と伊勢神宮です」と教えてくれた。

ここのボランティアガイドさんも大変話し好きで、私がぽつぽつと質問すると3倍、4倍のおしゃべりで解説されていて、先ほど義妹のことを笑っていた私自身がなかなか終わりにできずに、困ってしまっていた。

 

高い電柱

交流館を出るところまで、ボランティアさんは付いてきて、電信柱を指さした。

「電信柱が高いでしょう。

佐原の大祭には大きな山車が出るので電線にかからないように高くしているんです。

でももうじき電柱地中化工事が始まるので、この高い電柱はなくなります」

と解説してくれた。

 

交流館を出て今夜のお食事処のフランス料理店「夢時庵(ミュージアン)」を確認しながら、小野川を一周し、5時30分過ぎに「夢時庵」に入った。

 

最初に出た前菜盛り合わせサラダ添え

お店にはフロントマネージャーの男性が立ち、ソムリエのような役割も演じて、ワインの説明をしてくれた。

彼の勧めるワインは的確だった。

5000円弱のコースというお値段だから、大きな期待はできないけれど特に白ワインが美味しく、同じ銘柄2本を飲み干し、赤ワイン1本、これは平凡、生ビール1杯ずつ。

今夜の客はホールには我々だけという居心地の良さもあって、ジジババご一行は楽しく飲んだのでした。

 

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