吞み歩き食べ歩き・コロナ以前の追憶の旅(大井川鉄道あたり)

f:id:inoko2019:20210315170520j:plain


2016年7月25日(日)午前6時過ぎ、カミさんの運転で岡山駅まで送ってもらう。

今日から3日間いとこ会男子部の東海旅行。岡山駅からは弟と同道。

 

東京組との待ち合わせ場所、東海道本線金谷駅には、約束の時間の一時間前に到着。

周辺を少しウオーキングしていると、旧東海道金谷石畳というのがあった。

坂道を登ってみた。

旧東海道に石畳で整備された道が残っていたとは知らなかった。

調べてみるとぬかるむ道を幕府が住民たちに葺石を並べるように命じて整備したとあった。埋もれていた道を、平成3年、町民一人一石運動を展開して復元されたとあった。

旅行をしていると知らないことが多くあることに気づく。

f:id:inoko2019:20210315165043j:plain

石畳の道


 

午前11時頃、東京の従兄弟3人組到着。

金谷から新金谷に行き、大井川鉄道蒸気機関車はここから出る。

席は指定席でほぼ満席。

 



昭和48年まで故郷に帰る国鉄伯備線には蒸気機関車が走っていたことなど話す。

東京でも信州方面には子供の頃蒸気機関車に乗ったとの話。

 

千頭駅で下車し、トロッコ列車アプト式というようだ)に乗り換えて、接岨峡温泉まで行く。

接岨峡温泉駅の真ん前に旅人が汗を流すような古びた湯治場(温泉)があった。MとHと私の3人で入る。

若者が一人入ってきた。

話し好きで声をかけると話が弾んだ。

自分は35歳で父は昭和22年生まれという。

 

我々が彼の父親と同世代でいとこ会でここまで来たというと喜んでくれた。

彼は妻と娘の3人で日帰りでここに来たといった。

これから妻と娘はトロッコ列車に乗り、彼は車で追いかけるのだそうだ。

途中の駅で、彼を見かけて声をかけると笑顔で手を振ってくれたが、妻と娘は経緯がわからないのできょとんとしていた。

f:id:inoko2019:20210315165313j:plain

森のコテージ



本日の宿泊は川根本町奥大井森のコテージ。

ガッチリとしたログハウスで、一階にダイニングキッチンとツインの寝室、2階にツイン2室で私はHと一階に寝た。

 

食事は東京組が買ってきた缶詰が中心だった。

弟が持ってきた手作り味噌と現地で調達した茗荷が新鮮で美味しかった。

女性いとこ陣の参加問題で議論が盛り上がったが、男子部という本来の決まりを大切にすべしという意見が大勢を占めて、恒例のカラオケに移り、12時過ぎまでやってダウンした。

f:id:inoko2019:20210315165738j:plain

キャンプ場



月曜日 午前6時過ぎ、ウオーキングに出発。

森のコテージは大井川の上流にコテージとキャンプ場を併設している。

大井川の河川敷を散策する。

コテージには結構宿泊者がいたが、キャンプ場は一家族がテントを立てていたのみだった。

 

f:id:inoko2019:20210315165831j:plain

森のコテージキッチン部分

ウオーキングから戻ってシャワーを浴びて朝食。

お赤飯や白ご飯、インスタント味噌汁、海苔とお新香で簡単な朝食。

 

朝食後は昨夜からの飲み食いのゴミを片付け、ゴミ置き場まで持っていく。

コテージを掃除するおばさんたちが数人集まってきていた。

この山奥での僅かな就労場所になっているようだった。

 

f:id:inoko2019:20210315171841j:plain

千頭駅


千頭駅までマイクロバスで送ってもらった。

千頭駅からは再び蒸気機関車の旅。

金谷駅まで行く。それから東海道線掛川で下車し、掛川城まで歩く。

皆、昨夜の深酒がたたって元気がない。

f:id:inoko2019:20210315165940j:plain

掛川城



掛川城には登らずお城の前庭で写真撮影。

お昼ごはんはお蕎麦と決めていたが、もう歩く元気もなく、お城近くの食堂に入る。

料理の美味しい店と宣伝していた。

 

IとMはカツ丼、他の3人は親子丼をとった。

私は全然食欲がなく、半分も食べずに残した。

甘い親子丼のタレも食欲をそいだ。

 

掛川からは天竜浜名湖鉄道に乗り、浜松へ向かった。

浜松へは、途中に西鹿島駅遠州鉄道に乗り換え新浜松駅で下車する。

再び東海道線に乗り換えて本日の宿泊先のある弁天島まで行く。

 

弁天島駅には宿泊先の「海賀荘」からマイクロバスが迎えに来てくれていた。

宿について荷物をおいてから、浜名湖遊覧に宿から送ってもらう。

船は小さな釣り船のような心細い船だったが、浜名湖は波穏やかで心地よい風に吹かれてほぼ一周した。

太平洋と浜名湖を結ぶ地点まで進んだが、太平洋の波の高さが見て取れた。

f:id:inoko2019:20210315170033j:plain

シンボルタワーの赤い鳥居



その近くまで行って小舟は反転した。

途中、浜名湖の真ん中に宮島の鳥居を少し小さくした赤い鳥居があった。

正式には「舞阪町観光シンボルタワー」というのだそうだ。

ちょうど干潮時で砂地に上陸して参拝した。

 

宿泊先の「海賀荘」は料理旅館と銘打って、観光船のキャプテンはあそこなら料理がうまいと教えてくれた。

小さな旅館で部屋は5室しかない。

70代の店主夫婦と息子、祖父、従業員が二人ということだった。

今日は我々以外に夫婦と思しき二人連れの二組だけだった。

 

私はお昼の食欲不振からはやや回復したが、それでも今日は飲む量、食べる量が半減していた。

2食付きで12,000円の食事に特別料理、刺し身の盛り合わせ、伊勢海老のお刺身を追加してお酒込みで17,000円少々だった。

f:id:inoko2019:20210315193004j:plain

どうまん蟹


重箱に詰められた前菜に始まり、岩牡蠣浜名湖特産どうまんカニ、キンメダイのお煮付け、スルメイカの肝焼き。

f:id:inoko2019:20210315193125j:plain

岩ガキ

道満カニの酢の物、お刺身(シマアジ、タイの昆布締め、赤貝、まぐろ中トロ、生しらす)、別注の刺し身はアジ、タイ、ウニ、サザエなどで竜宮城で接待を受けているようだった。

もっとも費用はすべて自前だけど。

流石に本日はくたびれて、カラオケ無しで皆、早々に床に入ったが、私は疲れているにもかかわらずなかなか寝付けなかった。

 

火曜日 朝のウオーキング浜名湖体験学習施設ウオットまで5,000歩ほど歩いた。

ここの施設にもキャンプ場が併設されていた。

静岡県のキャンプ場の数は全国で7位だそうだ。

朝食でも一杯やる。

体調もだいぶ回復してきた。

 

料理長でもある宿の息子さんに新浜松駅まで送ってもらい東海道線で、浜松に出る。

アクトシティ浜松の展望台でお茶にしようと46階まで上ったが、喫茶やレストランの類はないというので降下して2階の喫茶店に入って昼過ぎまでおしゃべり。

 

ウエイトレスに浜松の美味しいお店をと紹介してもらったのが、駅ビルにある中華ファミリーレストラン「五味八珍」安くておいしいとお勧め。

確かに安くて、ビールやお酒を飲んで一人2千円。

f:id:inoko2019:20210315193224j:plain

浜松餃子


ただ、餃子の大2皿、五目ラーメンと普通のラーメン2つとっただけだった。皆食べ過ぎ、飲みすぎで食欲減退していたのだろう。これが毎年の我らいとこ会男子部の解散風景でもある。

 

午後2時前に、来年の再会を約しながら、店を出て東京組と別れた。

 

コロナ以前が懐かしい。ステイホームの日々はいつまで続くのだろう。

ランキングに参加しています。気に入って頂けましたら、

↓をクリックして応援してください。


全般ランキング