親戚の法事があった時だから、もう十年も前のことだろうか。
隣席に座った婦人から、「大変ですねえ」と声をかけられた。
何のことかと思ったら、地元紙に取り上げられたある記事についてだった。
その記事は私の住んでいる住宅団地のことを、少子高齢化の波をまともに受けて、人口が減少し、存続も危ぶまれるというふうに書いていた。
確かに開発から数十年を経て、子どもたちが成長して一家族あたりの人数も減少し、転勤などで空き家になっている家も多くなってきていた。
校庭にあふれるほどだった小学生も、最盛期に比べると数分の一になった。
これは確かに地域が衰退していると見ることもできるが、その見方は表層のみを捉えていると私には思えるのだ。
子供の登校時に横断歩道に立って安全を守る交通当番は、なかなか大変だったとカミさんは振り返る。
私はタッチしていないがなんとなく想像できる。
それを今は、児童から言えば祖父母に当たる年齢の老人たちが買って出ている。
仕事を持つ母親が増えた今、とても有意義なことだと思う。
働き盛りの人ばかりだった以前はこうはいかなかっただろう。
住宅団地が成熟して、リタイアした人も増え、他人のために自分の力を活かせる状況が生まれたのだ。
毎朝のウォーキングで豊かさを感じることもある。
団地内を貫く遊歩道や、幹線道路の植え込みのちょっとした空き地をきれいに整備したり、花を植えたりしている人がいる。
その花々を見ることは、ウォーキングの大きな楽しみだ。
アダプト事業として、市から請け負っている人もいるようだ。
まもなくあじさいが見頃を迎えるだろう。
昨秋見事な花を咲かせていた皇帝ダリアは、花が終わった後きれいに片付けられ、今年また芽を出して、もう支柱を立ててあった。
その成長を毎日楽しませて貰えそうだ。
初めて見る花の名が、「セリンセ」だと知ったのも、遊歩道の植え込みだった。
我々世代が消滅したあとのことを考えると、はなはだ心細くなるのは事実だ。
豊かさを感じられるのも今だけかも知れない。
それを今は十分に味わいたいと思うのだ。
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