先日来、故郷に残る実家の処分に悩まされている。
20年近く前に、貸してほしいと言われて、何か切羽詰まった40代の夫婦に家を貸した。長男であるが、実家に戻れない訳ありの夫婦だった。
私たちは他県に住んでいて、隣近所と仲良くして、家をきちんと管理してくれさえすれば、家賃はいいですよと気楽に貸した。
借り受け人も穏やかで世話好きで、話しぶりから誠実な人柄が伝わってきた。
その後、町内会の世話役にもなりご近所を支える力にもなってくれた。
貸した直後に、隣人から住宅を売ってくれないかと申し出があったが、両親が苦労して手に入れた住宅である上に、貸したばかりであることからお断りした。
ただ、時代は急速に変化した。
高齢化の進行、人口減少、平成の大合併、高速道路網の整備等々で商店街はシャッター通りとなり地方は疲弊するばかりだった。
この田舎町でもバブル期にはわが家が1000万以上の値が付いたと父は自慢していたけれど、今や見る影もなく衰退している。
町並みはかってとほとんど変わらず残っているのだが、日中でも通りに人を見ることがないのだ。
こんな時代を20年前には予想だにしなかった。
こうした中で、居住者に無償で家を譲ってもいいと何度か提案したことがある。
でも、いずれ実家に戻りますからと言って受けてくれなかった。
夏の終わりに居住者はわが家を退去した。
それからひと月もしない間に、隣人から隣家を取り壊すという通告があった。
長屋に近い形態のわが家が半裸にされる。
これは何か手を打たないといけないが、このような状況では新たに入居者はいないし、買ってくれる人ももちろんいない。
あらためて振り返ってみると、時代を読む先見の明の大切さを痛感する。
こういう時代を予見しなければならなかったのだと、今にして思うが後の祭りだ。
自宅の解体、跡地の管理をシルバー人材センターに頼むか。
しかし、その先はどうなるのだろう。
ここで先見性をひねり出すのがこの反省の記なのだが、今や先見性はどう転んでも出てこない。
同じところをぐるぐると回っているだけだ。
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