路傍に残る石造物

f:id:inoko2019:20191128144732j:plain


ウオーキングを始めてから20年近くなる。

1日1万歩を目標にして、毎日歩いている。

 

整備された住宅団地の歩道沿いには昭和50年代からの並木が整い、春の新緑、夏の木陰、秋の紅黄色葉、冬木立などの四季折々の環境を歩く。

時々は周辺に残る古代吉備王国の古墳群の中を歩く。

細い田舎道の路傍にはいろいろな石造物が残っている。

 

ウオーキングで会話を交わすようになった夫婦が、路傍の灯篭を古代山陽道を旅する人達を照らしたのだと教えてくれた。

灯篭には文化8年という年号が認められた。

f:id:inoko2019:20191128142125j:plain

当地に残る灯篭の年号を調べてみたところ、多くが文化文政期に奉納されていた。

文化文政期(1804年~30年)と言えば徳川家斉の時代にあたる。

幕藩体制の財政危機が進んでいたが、一方で商品経済が進展し生活は奢侈になり町人文化が栄え化政文化とも称されたとあった。

 

そのような華やかな文化の伝播がこの地にもあり、灯篭の寄進が盛んにおこなわれたのではないかと想像した。

ただ、中世、蒙古襲来以降、備前を通るこの地の山陽道のルートは、現在の国道2号線沿いに変更されたとあり、当地に残る灯篭が旅人の足元を照らしたケースは少なかったのではないかと想像した。

 

また、当地には大きな川がなく、ため池が沢山ある。

池と言っても、大きいものでは周囲2キロメートルの規模のものも残っており、今では格好のウオーキングコースとなっているが、池にはほぼ決まったように小さなお地蔵さまが祀られている。

f:id:inoko2019:20191128142038j:plain

貴重な水への感謝の祈りとも、池への投身者や事故した死者への回向の意味とも聞く。

 

さらに歩いて発見した道しるべには「だい志みち」と優しい文字が彫られていた。

いつの時代に置かれたものかわからない。

多分、この道の先にお大師様が祀られていたのだろうと思った。

f:id:inoko2019:20191128142219j:plain

 

路傍に残る石造物は100年や200年では絶えることはない。

歴史を伝えてくれる身近で貴重な存在だと思う。

 

ランキングに参加しています。気に入っていただけましたら、

↓をクリックして、応援してください。


全般ランキング