三年ぶりの東京千葉方面への旅(最終日)

東京グリーンパレス 写真はホームページよりお借りしました。


ブログ三日目は昨日の東京到着から始まります。

 

今夜の泊まりは現役時代、よく泊まった麴町の東京グリーンパレス。

午後7時前に着いた。

今日は高齢者には少し強行軍でくたびれた。

ホテルの外には出ず、ホテルのレストランでの夕食となった。

 

シャワーを浴びてから地下レストラン・ジャルダンに行く。

おばあさんとやや年下と思われる女性が食事をしていたが、ほかには誰もいなかった。連日の食べ過ぎ、飲み過ぎで今日は控えめにピッツア・マルゲリータ、パスタ、シーザサラダ、ただ赤ワインをボトルで頼んだ。

結構おいしく食べて満足した。

少し足りずにおつまみと日本酒の晩酌セットも追加した。

最近は何処に行ってもまずいものはなくなった。

 

食事をしていると、高齢の男性が入ってきて食事をしていた。

常連のようで今日は酒はいらないと言っていた。

ホテルの夕食時のレストランに客が3組とは、これもコロナ禍の影響だろうが、つくづく大変だろうなと同情心が湧いてきた。

店の出がけに、これから食事をするお客が二組入って行った。

他人事ながら少しほっとした。

番町の森と一帯の歩道



水曜日 今日も午前5時過ぎに起きて、麹町界隈をウオーキング

東京グリーンパレスは現役時代から10回と言わず使ってきたホテルだが、とにかくこの辺は同じような小道が縦横無尽につながっていて、未だにしっかり頭に入っていない。今日はサントリー美術館で大英美術館から里帰りした葛飾北斎展に行くことにしている。

先に鑑賞した弟によれば、地下鉄半蔵門線青山一丁目大江戸線に乗り換え六本木下車と言うコースになるというので、まず半蔵門線半蔵門駅を私の記憶に従い歩いて行った。

私の記憶ではダイヤモンドホテルに泊まった時にすぐ近くに半蔵門駅があったことを覚えていて、そのように歩いたつもりだったが、東郷平八郎記念公園に出てきた。

公園内に公衆トイレがあった。

東京に出てきていつも思うのはほとんどの公衆トイレが近代化され、きれいに清掃されていることだった。

さすがに首都だ。地方ではこうはいかない。

東郷公園のトイレ



ところで半蔵門駅には行きあたらず、市ヶ谷駅に出てきて、これは間違ったと市ヶ谷駅から宿のグリーパレス方向にいつも歩いた道を登って行った。

日本テレビの隣がグリーンパレス。

ただ、かって並んでいた日テレのビルはなく一帯は番町の森という公園に整備されていた。そのまま行くとグリーパレスに曲がる角にインド料理のアジャンタがある。

そして新宿通りに入る手前にウナギの秋本がある。

一度は入りたいと思っているがいまだに実現していない。

 

そのまま新宿通りを渡り、まっすぐ行くと何度か泊まったことがある都市センターが見えた。

このまま行くと赤坂のほうに行ってしまうので、これも違うなと再び、新宿通りに出て四谷と反対方向に歩いていくと、やっと半蔵門線の表示を見つけ、表示に沿って歩くと半蔵門駅の表示があった。

都会の小学校はまだ午前7時前というのに、すでに児童が登校して運動場で遊んでいる姿を見て驚いた。

半蔵門駅に行く途中にあった滝廉太郎居住地あとの碑



ホテルに帰りつくと今朝のウオーキングは7000歩を超えていた。

麹町界隈は、かってのお屋敷町の雰囲気が残り、そうした中で高級マンション、おしゃれなレストラン、老舗の料理店、学園街の喫茶店などいろんな表情があって楽しい。

 

午前9時前にチェックアウト。

下見をしていた半蔵門駅にカミさんを連れて歩く。

そして、弟に聞いた通りに青山一丁目大江戸線に乗り換え六本木には9時30分前に着いた。

 

サントリー美術館東京ミッドタウンの3階にある。

東京ミッドタウンは初めて来た。

調べてみると2007年3月30日開業したとあった。

施設の中核をなす超高層ビルミッドタウン・タワー」は、地下5階・地上54階・高さ248.1メートルで都内で最高層のビルとあった。

2007年と言えば私が退職した年だったから東京が遠くなっていく時代だけれど、でもそれから10年位は年間2回くらいは上京していたが、全く知らなかった。

 

サントリー美術館は午前10時開館。

10分前に美術館に行くと30人くらい並んでいた。

高齢者の中に若い人、中年の人もいらっしゃる。

やはり東京だと思った。

 

今回は姉弟による故義兄を偲ぶ会が主目的ではあるが、3年ぶりの姉弟会、3年ぶりの旅ということで、この際にいろいろと計画していた。

他に用もあり先行して上京した弟夫婦に、上京中の計画を聞くと大英美術館所蔵の葛飾北斎展に行くと言っていた。

それで、姉宅に集まったときにその様子を聞いた。

特に弟のカミさんは大興奮だった。

それで、私たちもせっかく上京したのだからと行くことを決めたのだった。

 

絵画に特に興味があるわけではないが、そうした雰囲気は嫌いではない。

倉敷市には日本初の私立西洋美術館、大原美術館がある。

よく、県外の友人たちに大原美術館を案内するときに私は「大原には教科書に取り上げられている多くの作品がある。親しみやすい美術館なんだ。」と説明している。

 

ただ、私の母は「展覧会なんて、気に入った二つか三つの作品を見て帰ればいいんよ。一つ一つしらみつぶしに見たってなんにも残こりゃあせんよ。疲れるだけよ。」と言っていたのを美術館に入るたびに思い出し、それを実践している。

 

カミさんの希望でイヤホンガイドを借りた。カミさんによれば、今回のイヤホンガイドは田中泯が担当しているが、それはちょっと凝り過ぎではないかとのことだった。

イヤホンガイドが主役になっては鑑賞の邪魔になる。

展覧会場で撮影許可された神奈川沖浪裏は観客が多く上手く撮れなかった

さて、そういう意味で取り上げた私の2点は、「神奈川沖浪裏」と「滝に鯉」だ。

「神奈川沖浪裏」は写真撮影が許可されていた一点。

二日目のブログに書いた大山寺のパンフレットの中に、「波の伊八」は多くの躍動感に満ちた波を彫っており、その波は葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」に影響を与えたとあったことから、その影響を見てみたいと思ったのだ。

しかし、伊八の波の彫刻はいすみ市の行元寺の欄間に残されているということで、私自身は目の当たりにしていないのでわからない。

ただ、葛飾北斎と波の伊八は江戸時代の同時代人で、千葉にも再三出かけていて、直接伊八と会ったという記録はないが、寺などに飾られた伊八の作品は目にしていたのではないかという推察はそれほど不合理ではないだろう。

滝に鯉 葛飾北斎 – 花と動物 滝に鯉 [名品揃物浮世絵9 北斎IIより] - 600dpi | パブリックドメイン美術館よりお借りしました

そして私がひきつけられた「滝と鯉」、流れ落ちる滝の水に身を隠しながら滝を上る鯉と鯉の目力は大山寺に残る2体の龍の目力と通ずる迫力があった。

構図もデフォルメも大胆で相通ずるように思えて、魅せられたのだ。

葛飾北斎の構想力は誠に天才的だが、そのバックに波の伊八がいたことも確信できた。

因みに伊八は1751年(宝暦元年)生まれ、北斎は1760年(宝暦10年)生まれだ。

 

11時30分、サントリー美術館を後にした。

またしばらく東京ともお別れだ。

 

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