介護殺人事件から見えたもの

ここのところ高齢者による介護殺人事件が続いている。

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11月17日には福井県で、70代の男性と90代の両親の遺体が見つかり男性の妻(71)が逮捕された。

妻は長年3人の介護を続けており、両親も「村一番の嫁」と感謝していたという。

 

12月に入ると公園で亡くなっている女性(88)が発見され、自宅を調べると娘(70)がベッドの上で血を流して遺体で発見された。

警察は無理心中と見ているという。

亡くなっていた女性は寝たきり状態で、母親が介護を続けていたという。

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そして少し状況は異なるが、今年6月に起きた元農林水産事務次官(76)の発達障害で引きこもりの長男殺害事件も長い間かかわり続ける中で、自身が高齢化し、長男から暴力を受ける恐怖に駆られて起きた事件だったという。

 

私自身も事件の当事者たちと近い年齢になり、他人ごとではなくなってきている。

彼らが取った行動について考えてみた。

 

まず、三つの事件とも経済的問題が直接的に起因しているのではないようだ。

最初のケースは会社役員であり、2番目はサービス付き高齢者住宅の入居者であるし、三番目は元農水次官である。

高齢化による介護者・監護者の限界、つまり物理的にも肉体的にも介護や監護の限界点に達して、加害者の中では取るべき手段が殺すことしかなくなってしまったということだろう。

 

従って、事件に対する身の処し方もはっきりしていて、逃げも隠れもしない確信犯なのだ。最初のケースでは加害者の妻は殺害後すぐに親族に殺害したことを電話で伝えたし、2番目のケースも加害者は公園で自死している。

また、3番目の元農水次官も長男を包丁で刺した後、自ら110番通報している。

加害者も覚悟の殺人であり、事件の態様を見ればみんな被害者だったともいえるのだ。

多分、早めに専門家に相談していれば違った解決策も出てきたのかも知れないし、何も解決しなかったかも知れない。

唯一確実な解決方法は殺して終わりにすることだったのだろう。

そして殺すという直接的な思考は、深く関わればかかわるほど、自らの手で終わりにすると考えてしまうことのように思う。

 

かつて、殺人事件を起こした息子を殺して自殺した父親の話を聞いたことがあった。

その父親は、「人を殺した息子の処し方は、このような息子を育ててしまった自らの責任である」と言って息子を殺害し自死したのだった。

 

このような短絡的な考えは法治国家として許されはしないとは思うけれど、こうした覚悟の決断には共感するところがある。

 

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