謎のワラビ売り

 

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バラ咲きインパチェンス

娘がまだ小学生の頃だから、もう40年くらい前になるだろうか。

 

ある時、チャイムの音にドアを開けると見知らぬ女性が立っていた。

「わらび いりませんか、おいしいわよ。」

ちょうど農作業の帰りといったいで立ちで、わらびのアク抜きの仕方などを丁寧に教えてくれた。

「茹でたりしちゃだめなのよ。米の研ぎ汁を煮立たせて、ボールに入れたわらびの上から欠けるの。冷めるまで待つと上手にアク抜きできるから。」

 

その訛りのない言葉と相まって、ちょっとした迫力のようなものが感じられたという。

 

その後もその女性は、時折やってきた。

あるときはわらび あるときは大根。

ネギのこともあった。

「ま、夏ネギだからね。でもその辺で売ってるのよりは、おいしいわよ。」というのが口上。

 

いずれも新鮮で、高品質、しかも一束100円を超えることはない。

一束といってもスーパーの3倍くらいの量があった。

 

いつしか我が家では、この女性を「謎のわらび売り」と呼ぶようになった。

 

どこから来るのか、どんな経緯で蕨を売るようになったのかわからないところが、「なぞの」と名付けた所以だが、その『謎』というネーミングにはもっと深いワケがあった。

 

ある日のこと。

冬の日はもう暮れて、あたりが薄暗くなっていた。

娘が、明日のピアノのレッスンに備えて、泥縄で練習していた。

その時は何を売りにきていたのだろうか。

わらび売の女性が、娘のピアノを聞いてひとこと。

 

「お嬢ちゃん?」

「はい」とかみさん。

「プロ目差してるの?」

いいえ

「趣味程度?」

ええ

「そう、そのほうがいいわね。」

 

一体この女性は?と思ったが、妙に説得力があったそうだ。

 

生活のために山の蕨をとってきては売り歩く女性と、ピアノについて一家言ありそうな女性。それが同一人物だというのだから。

 

かくして、『謎のわらびうり』のひそかな呼び名は、我が家で定着していった。

 

 

そしてその『謎』がますます深まる事態が訪れた。

ある時から、「謎のわらび売り」がパッタリと、姿を見せなくなったのだ。

 

特に何か、きっかけがあったわけではない。

始まりが突然だったように、なんの予兆もなく、いつの間にか姿が見えなくなってしまった。

 

『謎の蕨売り』、最近来ないね。

そう言えばそうだね。

どうしたんだろうね

 

わらび売が来なくても、生活に支障があるわけではない。

時折思い出しては懐かしみ、それにしてもなぜ?と不思議がったりする。

 

「もしかして、あの人は高貴なお生まれの方だったのでは?」

と言い出したのはカミさんだ。

だって、言葉遣いがこの辺の人とは全然違っていたもの。

お嬢ちゃんなんて言い方はしないよ、普通。

 

そう言われればそうだ。

ピアノの件にしてもしかり。

 

親の反対を押し切って駆け落ち婚。流れ着いたのが、この地。

わらび売は世を忍ぶ仮の姿。

突然じいやが現れて、

「お嬢様こんなところにいらしたのですか。おいたわしや。

お父上は病のため、明日をも知れぬ身。今までのことは、水に流して許すとおっしゃっています。

さあ、爺と一緒にお帰りください。」

などと言って連れ戻されたのかもしれない。

 

 

いや、あの人はかぐや姫だったのかも。

天上からお迎えがきたのだよ。

どことなく、この世のものと思えない風情だった。

と、妄想は果てしない。

 

わらび売りのアドバイスを受け入れたわけではないが、娘のピアノは趣味止まり。

その子どもたちは、初めから趣味で楽しむ程度と謳ったレッスンに通っている。

 

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