「バブルの時代、蕎麦屋三城の思い出」

 

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つゆの晴れ間 ノウゼンカズラ
 
30年以上前、東京に出張した。
麹町界隈での会議で、
近くのホテルに泊まった。
当時普及してきたパソコンシステムやプログラミングに関する研修だった。

私は、今の液晶画面の半分ほどの細長いワープロを買って、資料作りをしていた。
当然現代のような厳重な情報管理はなく、仕事もよく持ち帰って自宅で仕上げていた。
従って、研修と言ってもとても話についてけるような状態ではなかったが、会社も個人も時代に乗り遅れないように参加するという3泊4日の出張で気楽なものだった。
お昼やアフターファイブが楽しみだった。
 
私は無類の蕎麦好きである。お昼にお蕎麦屋を探した。
丁度、ダイヤモンドホテルの向かいに蕎麦屋があった。
「三城(さんじろ)」という店だったと記憶している。
入り口の佇まいは、街のお蕎麦屋さんと変わらない普通のお蕎麦屋さんに見えた。
で、自然に暖簾をくぐった。
 
今でもよく覚えているが、明るい日差しの中から部屋に入ると、中はぼんやりしてうす暗かった。
8人掛けよりももっと大きい四角いテーブルが2つか3つあった。
見ていると客はテーブルの一端にカウンターに腰を掛けるように並んで着座した。
私も、それに倣ってひと隅に腰を下ろした。

何を注文しようかと待っているとどんぶりとお猪口が出てきた。
何も注文してないのだが、まあ郷に入れば郷に従うかと、お猪口をなめた。
やはりお酒だった。
 
大きめのどんぶりの底には野沢菜だろうか、お漬物だった。
「オツだね」と思ったが、これでいくら取られるのか、ちょっと不安にもなった。
 
それからざるそばが出てきた。
メニューは見ていない。
お昼のメニューはこれ一本のようだった。
お会計は1600円位したと思う。
 
2枚食べなくてよかった、2枚なら3000円を超すではないかということを記憶しているから間違いはないはずだ。
しかしこれが東京か、真昼間の仕事中の昼飯だというのに。

落ち着いてみると入ってくる客は欧米人やエリートサラリーマンばかり、そんな難しそうな会話も聞こえて来た。
入るところを間違えたと気おくればかりがどんどん大きくなった。
バブル真っ盛りの東京だった。
 
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