67歳の義妹が難治性のガンで亡くなった。
昨年の夏、初めての従姉妹会の集まりには参加したが、体力の低下や軽い認知症状も目立ったため、姉が病院に付き添って受診した。
彼女は医師の説明を聞き終わると即座に、何のためらいもなく、緩和ケアを希望した。
医師は医学の可能性にかけてみないかと治療を勧めたが、まったく動じることなく治療を拒否した。
ある意味見事な決断だった。
ターミナルケア病棟には約6か月間に2度入院した。
最初はお試し入院で病院側が患者にこの病棟での過ごし方などを知ってもらうことに狙いを置いているようで1週間ほどの予定だったが、結果として1か月の入院となった。
最初はお試し入院で病院側が患者にこの病棟での過ごし方などを知ってもらうことに狙いを置いているようで1週間ほどの予定だったが、結果として1か月の入院となった。
2度目の入院は、退院後一か月もしないうちに訪れた。
病状が悪化する中で、病状の経過観察と回復状況に主眼が置かれた。
いよいよ病状が悪化してからは、個室に移った。
稀少なガンの症例であったからか、部屋代を免除してくれた。
稀少なガンの症例であったからか、部屋代を免除してくれた。
そしていよいよ回復困難と誰の目にも分かるようになったが、それでも年末のクリスマス会には、得意のピアノ演奏までできて、本人は大いに満足していた。
それを過ぎると意識障害など急速に病状は悪化していった。
最後の1か月は医療用麻薬を使って痛みをコントロールし、24時間投与となり、量を増やしながら、死期を待つといった状況だった。
医師はほぼ正確に死期を予測した。
患者は死の恐怖もなく死に向かっているように見えた。
医師や看護師はベッドの傍で見守る家族に、患者の意識はなくなっても、聴覚と触覚は残っているので、楽しい思い出話や歌など歌ってあげてくださいと言った。
言われた通り、代わる代わる身体をさすったり、手を握ったりした。
患者は死の恐怖もなく死に向かっているように見えた。
医師や看護師はベッドの傍で見守る家族に、患者の意識はなくなっても、聴覚と触覚は残っているので、楽しい思い出話や歌など歌ってあげてくださいと言った。
言われた通り、代わる代わる身体をさすったり、手を握ったりした。
振り返ってみれば彼女自身は自分の人生に満足できず、様々な葛藤の中で家族ともぶつかり合い、ストレスの多い人生だった。
でも最後に出会ったホスピスでの生活は、心から安住できたのではないかと思った。
でも最後に出会ったホスピスでの生活は、心から安住できたのではないかと思った。
ケア病棟のスタッフは徹頭徹尾、死にゆくものを受け入れて、支えてくれた。
ベッドの傍には二人の娘と二人の姉妹が寄り添い、義妹は静かに、誠に平安の中で逝去
した。
ベッドの傍には二人の娘と二人の姉妹が寄り添い、義妹は静かに、誠に平安の中で逝去
した。
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