このところ農水省や総務省の官僚幹部をめぐる接待事件が立て続けに明るみに出た。
一つは河井元法務大臣夫妻の公職選挙法違反事件に関連して発覚した、吉川元農水大臣の収賄容疑と吉川元農水大臣とともに農水省の課長以上の7人が鶏卵大手「アキタフーズ」から一人当たり2万円以上の接待を受けていた事件である。
ただ、河井事件が明るみに出ていなかったなら決して表面化しなかったのだろう。
水面下ではどんなことが進行しているか分かったものではない。
また総務省では菅首相の長男が勤める放送関連会社「東北新社」から10数回の会議出席や接待を受けていたことが、文春砲の記事で発覚した。
文春砲のニュース元は何だったのか。
タレコミがなければ、どんなに見張っていてもなかなか足取りを追えるものではないのではないか、またあの音声の出どころはどうだろう、どうやって録音したのだろうとゲスの勘ぐりも興味が尽きない。
私は地方行政に30数年携わった。
最初の職場は福祉行政の毎日、カバンを肩から下げて現場を歩いた。
残業は年間20時間弱で、特別な業務のための残業代で、日常業務の遅れはサービス残業だった。
そんな職場に10年以上異動の声もかからず、半ば専門職になったような気分でいたけれど、40過ぎてから建設部門に異動になった。
その部局では誰もが何の制約もなくほとんど自由に残業をしていた。
ただ、残業手当が出る職場に移ったけれど、管理職手当をあてがわれる身となり、どんなに遅くなろうとも残業手当は頂けなくなった。
そういうめぐりあわせになっている人生とあきらめたが、一方で、また、私の知らない世界を知ることになった。
それは当時盛んに行われていた官官接待だった。
福祉現場から道路や河川の改修・新設を要望する課に異動したのだった。
役所の中にこんな仕事をする課があるのか、初めて役得というもの知った。
国・県・市それぞれのレベルで行われる陳情活動と懇親会が概算要求時、予算要求時、個所付け要求時、お礼など時期ごとに何度も繰り広げられた。
ホテルのレストランや高級料亭などで、もちろん民間の接待には及ぶべくもないが、薄給の身にはうれしい時間となり、首長や助役、幹部職員とも身近に接するようになった。
罪悪感など当時は全くなかった。
むしろ、陳情時期には全国の自治体は旗やのぼりを立てて、お祭り騒ぎで名産品を官公庁に持ちこんでいた。
こうした中、平成10年1月大蔵省官僚によるノーパンしゃぶしゃぶ接待事件」が発覚し7名の官僚らが逮捕起訴され、当時の大蔵大臣と日銀総裁が引責辞任する事態に至った。
この事件以降、官々接待は急速に下火になった。
陳情活動は主に職場での資料配りが中心となり、会場を設定しての説明会も、説明が終ると役人たちはそそくさと退席した。
地方においても、官々や官民の懇親会はすべて自費の会費制になった。
今でもこの方法が常識となっているとばかり思っていたが、国においては、すでに忘却の彼方になっていたのかと今回、あらためて国と地方の違いを知った。あれから20年経つ、10年ひと昔という言葉もあるが、国の方ではとっくに忘れていたのかと振り返った。
それにしても、総務省幹部の「利害関係者にあたる放送事業者とは思わなかった」とか、体調不良を理由に突然辞任した山田前内閣広報官の「お会いする方がどういった方のご子息であるかとかは、お付き合いに関係がない」とか「(長男の同席について)私にとって大きな事実だったかというと、必ずしもそうではない」という発言は納得できない。
菅総理の長男を「正剛様、正剛様」と様付で呼んでいたことからも大事な人という認識がうかがえた。
高級官僚が見知らぬ人たちの中にのこのこと出ていくことなどあろうはずがないではないか。
そんなことは官邸以外の日本国民の誰でも知っている常識だ。
高級官僚たちはこの国は首相官邸に守られているのだと胡坐をかいている。
安倍政権に引き続く、こうした政権の強権化は何としても食い止めなければならない。
これでは太平洋戦争へ突き進んだ戦前の日本と同じ運命をたどるだろう。
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