旭川の土手を走る一本道を、バスは岡山方面に向かっていた。
平日の昼下がり、バスの中は乗客もまばらだった。
心地よい振動に誘われて私はいつの間にかウトウトしていたようだ。
急にバスの中が騒がしくなって目が覚めた。
ぼんやりした頭で聞いていると、バスの後部座席にいた青年が体の不調を訴え急に苦しみ出したらしい。
「どうしたん?痛いん?」
「運転手さん、何とかしてあげて。」
「救急車、救急車。」
時代は昭和から平成へと移った頃。
救急車と言われても、スマホはおろか、ガラケイすらまだなかった。
運転手は次の停留所にバスを停め、停留所脇の食料品店の公衆電話で119番した。
帰って来ると、
「そのままバスで来てもらったほうが早いと言われたので、そうします。」と言ってバスを発車させた。
そう言われてみれば、少し先の市街地にさしかかったあたりに、消防の車庫があり、救急車や消防車が何台か駐留していた。
土手の上の一本道、迎えに行っても救急車に移し替えるためのスペースもないと言われたらしい。そのままバスを走らせたほうが早いという説明は素人にも納得の行くものだった。
平日の昼間というのが幸いだった。
朝夕の渋滞が嘘のように、バスはスイスイ進んだ。
「もうすぐよ。救急車が待っていてくれるよ。」
「頑張ってな。」
と口々に叫ぶ老婦人たち。
バスの中は奇妙な一体感に包まれた。
フルスピードでバスは進んだ。
途中で乗り降りする人もなかった。
いや、降車ボタンを押すのもためらわれるような雰囲気だったのかもしれない。
すぐに車庫で待つ救急車の赤色灯が見え始めた。
「もう着くよ、あんたよう頑張ったなあ。」
「もう大丈夫よ。」
「よかったよかった。」と、一体感はとどまるところを知らない。
無事に救急車に引き継いで、運転手さんも乗客も同じ安堵感に包まれた。
そしてバスは、何事もなかったように走り始めた。
「でも、どうしたんじゃろうなあ。」
「若いのになあ。悪いものでも食べたんじゃろうか。」
「早うようなりゃあええけどなあ。」
日常を取り戻した老女たちのおしゃべりは、果てしなく続いていた。
あれから30年、顔なじみのあの運転手さん会うこともなくなった。
定年退職されたのだろうか。
そして世話好きでパワフルな老女たちはまだ健在だろうか。
あの青年は元気になっただろうか。もう50歳を超えているだろう。
公衆電話を借りたお店は、道路拡張でなくなってしまった。
先日バスに載ったら写真のようなチラシが目にとまり、30年前の出来事を思い出した次第。
ランキングに参加しています。気に入っていただけましたら、
↓をクリックして応援してください。