台風19号襲来に思う

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東北旅行から戻った途端に、中部地方から東日本は今年最大規模の19号台風の襲来に見舞われた。

 

先日通った宮城県多賀城市の浸水状況がテレビに映し出された。

私の場合は危機一髪を潜り抜けたようだったけれど、被災された皆様方には心よりお見舞い申し上げます。

 

地球温暖化の影響は年ごとに現実のものとなっているような気がする。

テレビニュースでは「命を守るために」という伝え方にインパクトがあった。

1都12県で大雨特別警報が出た。

こうしたことを聞きながら、日本列島への台風襲来と災害の状況はどのように変遷したのかということが頭をもたげた。そして調べてみた。

 

まず昭和20年代、30年代は大きな台風が来ると、死者・行方不明者は500名を超える犠牲者が出ていたことがわかった。特に今回19号台風と比較された昭和33年の狩野川台風は死者・行方不明者1269名。

昭和34年の伊勢湾台風は5000名を超える犠牲者を出していた。

 

昭和30年代と言えば、まだ戦後復興期の手前にある状況であり、道路、河川、海岸など国土保全の整備が不十分な状態だったのだろうと思う。

昭和40年代に入ると、500名を超える犠牲者を出す台風・豪雨災害はなくなっていた。

 

阪神大震災東日本大震災など地震津波による災害を除き、最大なものは昭和47年7月豪雨で死者行方不明者447名を出す災害だった。

私はこの年、就職したのでよく覚えている。

岡山県内の国鉄伯備線も数か月にわたって不通になった。

 

昭和57年の長崎豪雨では死者行方不明者299名という大災害となった。

そして、同月の台風10号でも死者行方不明者数95名を出した。

 

昭和60年代から平成時代に入ると、多分、国土保全の整備が確実に進んだのだろう、死者行方不明者数が100名を超す台風や豪雨災害が影を潜めた。

平成29年まで調べた限りでは死者行方不明者数の最大は平成16年台風23号の98名だった。

やはり、国土整備が進んだなあと日本国の安心、安全を喜んだ時代があった。

 

ところが、平成30年7月、西日本豪雨にやられた。

岡山県ではこれまでほとんど聞いたことがなかった、二階天井まで浸水する災害に見舞われた。

死者行方不明者数232名(広島県114名、岡山県64名、愛媛県27名など)という大災害になった。

 

そしてその年9月の台風21号は大阪や神戸では過去最大の最高潮位を記録し、最大瞬間風速は全国100の観測地点で観測史上最大値を記録したという。

死者は14人と比較的少なかったが、大阪府兵庫県和歌山県などを中心とした大停電や高潮による関西国際空港機能のマヒなど新たな課題が顕著になった。

 

今年千葉県を襲った15号台風は大規模停電や屋根を吹き飛ばす暴風が話題になった。

 

19号台風(死者行方不明93名10月16日現在)は広域で記録的な大雨、暴風雨、河川の氾濫などをもたらし、大規模停電、水道破損、下水流入、高層マンション対策、地下構造物対策等々新たな都市防衛課題も顕著になった。

 

いずれにしても、地球温暖化による大規模災害の深刻度が一層重症化する中で、従来型の対策では到底対応できなくなる時代が到来した。

もう手遅れかも知れないけれど、改めるべきこと、進めるべきこと、止めるべきことをしっかり議論すべき時が来たのだと思う。

 

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