令和5年我が家の元旦

皆さま明けましておめでとうございます。

二日の日の出



1月1日(日)午前7時前に今年も初日の出の遥拝のためウオーキングに出発。

東の空はうすぼんやりと赤く染まりつつあったが、上空は厚い雲が広がっていた。

今年はカミさんは膝が痛いと日の出ウオーキング欠席で一人で歩く。

初日の出スポットは、東幹線道路沿いの東に向かって丘のように張り出したところだ。

スポットに近づいていくと30人くらい集まっていた。

すでに昨年の時刻を過ぎようとしていたが、太陽は山と山の谷間に居座って昇ってこなかった。

新装なった岡山城 この後行く予定

ちょうど、ウオーキング仲間が坂道を上ってきて、新年のあいさつをする。

彼は「今年は日の出は見えないでしょう」と言った。

彼はウオーキングをしながら公共施設の危険個所ウオッチャーだ。

 

私が

「あなたが指摘していた鉄柱が錆びて大きな穴が開いていた郵便ポストが新品になったね。

郵便局に注意していた功績は大ですよ」と称賛すると、

「時間がかかったけれどやっと直った。

この先のカーブミラーも鉄柱が腐ってぐらぐらしていたので市に通報したら、これはすぐ直してくれた。

逆に、放置していたら事故が起こっていても仕方のない状態だったと感謝されたよ」

と満足げだったが、気が付いて行動を起こすことはたやすいことではないと思った。

 



彼と別れて、日の出をあきらめながら帰宅していたが、途中この団地のシンボル的な小山の裾を通ったので、上に登ったら日の出が見えるかもと斜面を登って行くと老人が木の枝にぶら下がっていた。

近づくとこの方もウオーキング仲間の一人だった。

彼は

「先日鉄棒で懸垂をしたら一度も体を引き上げられんで、時々、ここで懸垂をしている」と言った。

「子供の頃は得意じゃったが、全然できんでショックでなあ」といってやって見せてくれた。

今は3回程度はできるようになったというので、私もやってみたが、顔を枝まで近づけるのがやっとで、両腕が痛くそれ以上は断念した。

 

帰宅すると、カミさんは部屋の中を動いていたら膝の痛みは治まったと、毎年行く元日の後楽園無料開放には行けるというので、車に乗り込み出発する。

後楽園入口



午前8時30分過ぎ後楽園到着。

岡山後楽園は、江戸時代岡山藩主池田綱政が土木事業の天才家臣津田永忠に命じて1687年に着工、1700年に完成した。

金沢の兼六園、水戸の偕楽園とともに「日本三名園」と称されている。

3年にわたるコロナ禍の影響が色濃く、元日入園料無料にもかかわらず、入園者は少ないように感じる。

本日無料の看板


コロナ前には元日の朝の8時過ぎ、朝早くでも大勢の入園者でにぎわっていた。

また、中国からの訪日客も観光バスで到着していたが、ことしは当然ながらそれもない。

園内に3か所ある茶屋も1店はまだ開店していなかった。

錦鯉の群れ


園内を一周して、岡山城方面への出口近くにある茶屋で休憩、園内を流れる小川には錦鯉が群れている。

私はお抹茶セット、カミさんは甘酒を注文していただいた。

園庭を眺めていたら、そういえば今年はお正月恒例の丹頂の園内散策が中止になったとあったと言うと、すかさずカミさんが鳥インフルエンザの影響でしょうと言った。

そのことも入園者が少ないことと関係しているかもしれない。

何しろ大空を舞う丹頂の姿は、初春の風物詩としてこれ以上はないものだ。

丹頂目当てに多くの人が集まっていたのだ。

 


園内から岡山城が見える。昨年11月にリニューアルなった岡山城天守閣は何だか少し背が高くなったように見えた。

黒塗りの下見板に金箔瓦の意匠が映えて、すっきりと美しい。

後楽園から眺める岡山城 下の方に茶屋も見える



帰りはイオン系の大型スーパーに寄る。

元日の夕方にやって来る娘一家4人とのディナーは焼肉と決まっている。

宮崎産黒毛和牛肩ロース500gと鹿児島産黒豚ロース500gを用意しているが、孫たちも高2と小6になり少し足りないかもしれないので、黒毛和牛三角バラカルビ500gを追加。さらにクロマグロ中トロ刺身を買う。

 

それにしても、この田舎でも人気のスーパーの初売りのなんと人出の少ないことかと、インフレや少子高齢化、雇用環境の悪化などつい地方経済の深刻化と結びつけてしまう。

 

カミさんはおせちづくりはもうできないと言いながら、年末からブリの照り焼き、黒豆、数の子、栗きんとん、だし巻き、筑前煮などを作った。

初日の出遥拝~後楽園散策~元旦夕食の買い物をしてやっと帰宅。

時刻はちょうど正午前、ようやく食事にありついた。

カミさんと息子と私の三人の静かな元日の食事。

息子は仕事の関係で、午後4時までは自宅待機で禁酒という。

 

ということで我々夫婦ふたりでワインハーフボトル、缶ビール2本、加えて私は日本酒を1合少々飲んで出来上がって、ひと眠りしたら午後4時30分頃、娘一家がやってきた。



将棋を覚えた6年生の孫は、やってくる前に「おじいちゃんのところに将棋盤あるかなあ、持って行こうか」と言っているけれどと娘からLINEがあった。

将棋盤を持たずに将棋初段は取れないよと言っておいた。

やってきて初めて出した縦一尺二寸(約36.4㎝)横一尺一寸(約33.3㎝)の将棋盤と駒台と彫り駒を見て孫はすげえと感嘆の声をあげた。

孫に好評の将棋盤


早速、孫との将棋が始まった。もちろん、飛車角、桂香6枚落ちで試しにやってみたが、碁でも同じだけれど初心者は音のする方に附いて指してくる。

でも6枚落ちだから、際どくなり、孫に勝ち筋もあったけれど、じいさんの勝ち。

 

次は銀も落として8枚落ち。

流石にこれは孫が勝って喜んだ。

でも翌日再度挑戦してきて、6枚落ちで1勝1敗となった。

なかなか見込みはあるけれど、じいさんが生きている間に平手で指すことができれば無上の喜びだけどそれは無理だろうと思う。

私も親父とは1万局以上指したけれど、じいさんとは指したことがない。

じいさんとの将棋、思い出してくれるだろうかとまんざらでもない。

 

午後7時過ぎ新年会が始まった。

1.5㎏の肉と野菜は1時間ほどで平らげた。

センリョウ?マンリョウ?



ウクライナで暮らす人々には申し訳ないけれど、何としてもロシアとの戦争に勝利してもらいたい。

そして、平和な生活をもう一度取り戻してほしいと願うばかりだ。

私たち日本人も今の平和を何としても守らないといけないと、平和な生活が今あることに深く感謝した令和5年元旦の一日だった。

 

今年もよろしくお願いします。

 

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東京散歩 麴町~乾門~靖国神社辺りを歩く

11月28日(月)朝はウオーキングがてら見つけたカフェ(EXCELSIOR CAFFE エクセルシオールカフェというそうだ)で私はハムレタスサンド、カミさんはチーズワッフルサンドのモーニングセットを食べる。

ホテル一帯を一周する。

 

交差点では児童送迎ボランティアのお年寄りが学童の通学を旗を持って見守っている。

日本全国どこでも見る朝の光景だが、同年配者としてその精神に頭が下がる。

なんだかんだと大きなことを言ってもそうした精神に欠けているといつも反省しているが、ボランティア活動に捧げる勇気と精神の発露がないのだと思う。

 

それから荷物を整理して午前9時チェックアウト。

スーツケース二個は宅急便で送る。

4200円ほど。

高齢者にはこの費用負担も必要経費だ。

通り抜けに向かう人々



リュック一つ背負って、今日は昨日歩くことができなかった乾門通り抜けに再挑戦。

有楽町線で有楽町駅に行き、坂下門に向かった。

月曜日の朝、もう大勢の人が詰めかけている。

流石は東京だと再び思いを巡らせた。

 

大勢の警察官や宮内庁職員や都庁職員、アルバイトも含めてだろうが、厳戒態勢を敷いている。

皇居の中を巡るのは2度目だ。

現役時代、東京であった研修の一環で案内してもらったことがある。

カミさんのおばあさんも皇居の掃除、草取りの奉仕団の一員として、上京していたという。

 

坂下門の入り口では検温、消毒、勿論マスク、一通りのコロナ対策があった。

坂下門を抜けて少し進むと宮内庁があった。

宮内庁


なかなかお目にかかることがない官庁の建物をパチリ写真に収める。

人の気配を感じない、宮内庁はひっそりと建っていた。

 

今年の紅・黄葉は冷え込みが少なかったからか、雨が少なかったからか、日照の問題があったのか、乾門の通り抜けに限らず、どこの紅葉も例年と比べて、色彩が今一つ地味で感動を与えてくれることが少ない。

イロハモミジだろうか


そういえば一昨日会った弟も神宮外苑を歩いたが、まだ早いのか大したことはなかったと言っていた。

だんだん足がくたびれてきた。

乾門を出た時は疲労感の方が気になっていた。

 

それから武道館の横を抜けて田安門から市ヶ谷駅の方向に歩いていたら、新しく整備されたスポット公園があった。

スポット公園の高灯籠


立ち止まって眺めていたら、若い男性が近づいてきた。

千代田区の公園担当の職員と名乗り、この公園についてアンケートしているので協力してほしいと言われた。

断ることが苦手な小生はいつもの通り、アンケート用紙を受け取り回答を書いて渡した。

まあ、同じように地方公務員をしていた身を考えれば拒むわけにはいかない。

 

靖国神社


しばらく歩いていくと靖国神社があった。

昔、旧日本陸軍少佐だった親父と弟3人で参ったことを思い出した。

反戦平和主義者のカミさんにお参りしていくかと問うと、素直に同意した。

神社神殿で手を合わせて、ウクライナ勝利を祈願した。 

 

町中華の焼きそば


ちょうど正午、歩いて来るときに見つけた神社前の町中華で五目焼きそばを食べる。サラリーマンや職人風の人が次々にやってきて人気店だった。

でも味はノーサンキュー。

化学調味料主体の味付けで、後味の悪さが口の中に長く残った。

町中華は難しいとちょっと後悔した。

 

それから市ヶ谷駅から山手線で浜松町に行こうと歩いた。

この辺は何度も何度も歩いているはずなのに、一向に目指す市ヶ谷駅に至らない。家の外を掃除していたじいさんに聞くと、「市ヶ谷、とんでもない遠くに来ている」と大仰に声を発した。

靖国神社からそう遠くないところにいるはずなのになあと内心不満だった。

じいさんはそこの先を右に歩いていくと半蔵門線があるからそれに乗るといいと教えてくれた。

私たちのそばにいたおばあさん二人も半蔵門線の駅を探していたようで、じいさんの声を聞いて同じ方向に歩いて行った。

半蔵門線で永田町乗り換え、有楽町線で有楽町へ、山手線で浜松町、そしてモノレールで羽田に到着したのは午後1時30分過ぎだった。

羽田空港から一路岡山へ


荷物がないのですぐに保安検査場に行き、搭乗口に急いだ。

帰りの岡山便はわずかに空席があったが、まさに、全国旅割様様だった。

 

 

今年1年間、当ブログをご愛読いただきありがとうございました。

今年は再三再四襲ってくるコロナ禍の中、ロシアのウクライナ侵略戦争、イランヒジャブ女性急死事件から波及した抗議行動者に対する死刑執行など不条理で許し難い強権主義が世界を覆いました。

 

新しい年はこうした困難な問題が一つずつ良い方向に向かうよう願い、本年のブログ仕舞とさせていただきます。

 

来る年もよろしくお願いします。

 

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久しぶりの東京散歩  国立博物館から神田藪へ

国立博物館 表慶館 


昨日は岡山朝一番の飛行機で上京して、二泊する麹町の東京グリーパレスに荷物を預けた。

それから近親者10人ほどで義兄の一周忌法要と納骨式に藏前のマンション型納骨堂で執り行い、仕上げを懐石料理今井総本店で食べ、その後平均年齢75歳を超す姉弟6人で神谷バーでの二次会と相成った。

 

神谷バーは太宰治などの著名人で有名なところだということだが、私は初めて聞く名前だった。

ただバーという名称ではあるが、我々が行ったのは二階のレストランだったようだ。

料理の種類も豊富で客席も広く、大勢のお客さんでにぎわっていた。

有名な太宰の写真は一階で撮影されたらしい。

それにしても今の若い人たちは礼儀正しいお酒の飲み方だ。

それに引き換え昭和時代のじいさん婆さんはよく飲む。

神谷バーでも馬刺しを肴にワイン一本空けた。

ほとんど私一人で平らげた馬刺し



さて翌日は日曜日 今朝はホテルのモーニングを食べる。

このホテルは長いこと定宿のようにして使ってきたが、品数も少なくなり、内容も貧弱になったように思った。

 

今日は上野の国立博物館に行く。

ちょうど国宝展が開かれているが、事前予約は売り切れて入場はできないようだけれど常設展は見ることができるだろう、それに西洋美術館のピカソ展に行きたいというカミさんの希望もあった。

市ヶ谷の駅から秋葉原に出て上野に行った。

上野公園の人混み



いい天気、上野公園は大勢の人であふれていた。

自分のことは棚に上げて「これではコロナは収まるまい」と思った。

国立博物館での特別展には何度か来たことがあったが、常設展を鑑賞するのは初めてのような気がする。

国宝展の窓口とは別。

 

入口で常設展は65歳以上は無料と知ったが、カミさんは証明するものがないという。私は免許証を提示したが、カミさんは免許証を返納してしまったので、用意していないという。

ただ、顔を見れば65歳以上かどうかはわかる。

係員は「今日だけは無料ですが、これからは必ず証明するものを持参してください」と厳重に言われた。

先日行った沖縄博物館美術館でも70歳以上は無料だったが、最近は高齢者が多くなり高齢者の無料サービスは少なくなっているような気がする。

常設展の観音像 詳しい名称は忘れた 一緒に写しておけばよかった



常設展は思いのほか見ごたえがあり、すっかりくたびれてしまった。

美術館でも博物館でも歴史あるものや芸術性のあるものはエネルギーを吸い取られるのか、疲れてしまう。

と言いながら国立西洋美術館「ピカソとその時代」を鑑賞した。

どうも凡人にはピカサの絵を理解することが理解できない。

美的にも芸術性にも私の感性ではとてもついていけないのだ。

ピカソ展より



ただ、気が付いたことがある。

以前、美術館や博物館ではほとんど写真撮影禁止だったが、国立博物館ではほとんどフリーだったし、西洋美術館では特定の展示物以外は許可されていた。

そういえば、今年行った京都でのポンペイ展でも撮影は許されていた。

いつごろからこのような変化が出てきていたのか、これはいい変化だと思った。

 

さて、上野を後にしたときはすでに1時を回っていた。

今日は神田に出て、お昼は神田の藪でお蕎麦を食べる計画だ。

神田の藪は以前、弟と一緒に行ったが、あいにく、火災で焼失し、再建中で食べることができなかった。

その時は、以前から時々利用していた九段一茶庵に変更したが、私の好きだった一茶庵も今では閉店してしまった。

神田藪 外観 待ちながら選べるようにメニューが掲示してある



1時30分過ぎ到着した。

午後1時を過ぎているのに10人くらい並んでいた。

10分以上待って入店した。

 

せいろうそば


私は冷せいろうそば2枚、カミさんは1枚頼んだ。

お帳場のようなところに立つ、お女将さんみたいな方が注文が入るたびに独特の口調で、注文の品を繰り返していた。

蕎麦もそばつゆも、こびることのない、これが老舗の味だよと教えてくれる。

値段などを考えると少しお高くとまりすぎかなとも思った。

でも美味しくいただきました。

 

神田藪蕎麦を出たのはもう午後2時をだいぶ回っていた。

これからは特に予定もなく、皇居乾門の通り抜けにでも行ってみようと神田から有楽町に出て皇居方面に歩いた。

午後3時を回っていた。

坂下門に向かって皇居外苑を歩いていたら、プラカードを持った女性が今日の通り抜けは終わったと教えてくれた。

 

有楽町駅に戻っていたら、無料シャトルバスが走っていた。

現役時代、何度か利用したことがある。

10分前後でやってくる。

東京のど真ん中で無料バスとはどういう資金でやっているのだろう。

これが東京だといつも思う。

 

有楽町線で午後5時ころ麹町のホテルに戻った。

今夜はホテルで夕食だ。

7時過ぎに地下にあるレストランに降りて行った。

ドアが閉まっていた。

中で職員がいすや机を片付けていた。

「今日はレストランはないんですか」と尋ねると

「日曜日はやっていません」と素っ気なく当然のように言われた。

日曜日は休業?

都市型ホテルのレストランが日曜日休業とは利用者が少ないのだろうが、このクラスのホテル業界の経営悪化を垣間見た気がした。

 

それではと、外に出て食べるところを探したが、日曜日に夜開いている店が少ないことに気づかされた。

こうした変化は恐らく長いコロナ禍の影響なのだろうと思った。

まあ仕方ないかと今夜もコンビニで、お弁当やサラダ、つまみ、ビール、ワインなど買って部屋飲みだ。

コンビニのセルフレジ

それにしても、東京のコンビニのセルフレジには驚いた。

地方ではスーパーはセルフ化が進みつつあるが、コンビニでは私の田舎ではまだ見ない。

そして、コンビにスタッフの外国人化が進み、日本人は何処に行くのかと思った。

 

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最終日は首里城の復興状況を見学。無事レンタカーを返せてホッとした。(新発見、再発見沖縄旅行最終日)

火災を免れた守礼門



金曜日 6時30分過ぎ、山田温泉で朝風呂。

出がけに、受付の女性(昔風に言えばら番台の女性)に、「毎日朝晩入ってよかった。満足したよ。ありがとうね。」と声をかけた。

 

風呂から帰ってくると、カミさんはこれから洗濯するという。

何もわざわざ最後の日に、それに間に合うのかなと思ったがここのセルフランドリーは乾燥機がガス式で早く乾燥するのだそうだ。

帰りの荷物に汚れものが入ってないと、それだけで快適とか。

5日間を過ごした部屋ともお別れ



朝食は、メインダイニングのフォーシーズン。

今朝は子供連れが比較的少なく、メインダイニングらしく品が良くて高級感があって落ち着いて食事ができた。

4泊5日沖縄の旅最終日で観光は首里城周辺に絞っているためチェックアウトの11時までホテルでのお土産の買い物や荷物の整理など割合ゆったりした時間を過ごした。

もちろん洗濯も余裕で終わった。



それから沖縄道を首里城公園に向かった。

今日は2019年2月に姉弟会で訪れ、その年の10月31日に火災により焼失した首里城への再訪だった。

この11月3日に起工式があったばかり。

首里城正殿の様子 工事用の建物に覆われて復興状況がよくわからない

 

火災のすごさを示すの龍の口ひげ

ウロコや眼はこんなになっていた




首里城地下駐車場に車を停めて、火災からは逃れた守礼門をくぐり首里城復興モデルコースを歩いた。

首里城正殿をはじめとする建築物のほとんどを焼失し、工事現場を遮蔽する囲いとお城の石垣だけが目につく。

首里城の城壁 やはり世界遺産の城の中では随一だ


今回の沖縄旅行は世界遺産の5城のうち今帰仁城、中城城、首里城を見た。

中城城の城壁に感嘆したけれど、首里城に来て改めて城壁を見ると、さすがは首里城だと思ったものだ。

規模と言い、造形美と言い、やはり首里城にはかなわないのだと知った。

建物が焼失し、城壁を眺め、城壁に上って、改めての再発見だった。

 

お昼は首里城駐車場と同じ建物にあるレストランで、私は首里城定食1250円、カミさんは長命そばセット1050円を食べる。

首里城定食 ジューシー(炊き込みご飯)もついて大変おいしかった

カミさんが食べた長命草そばセット。そばが固くて長すぎてイマイチだったらしい。



食後は首里城から車ですぐの沖縄県立博物館・美術館を見学する。

常設展は70歳以上は無料がうれしい。

豊富な収蔵物の展示を鑑賞していたら、半分も見ないうちにタイムオーバーというよりも、くたびれてしまった。

でも、もう一度来る機会があれば、今度はしっかりと見たいと思った。

ここはモノレールでくることができるはずだ。

 

お土産1 空港で買った本貫花という沖縄和菓子



それからナビに従ってレンタカーを返しに行く。対向車線から向きを変えるのに少々手間取ったが何とかたどり着いた。

出発の際、対向車線からUターンは絶対にしないようにと注意を受けていた。

カミさんによればガソリンは満タン返し、ガソリンスタンドはこの店を少し行き過ぎたところにあると説明を受けたらしいが、生来いい加減な性格でレンタカー会社の前に停めて、カミさんに聞きに行かせたら、二軒ほど先だという。

よく見れば、看板が見えていた。

ガソリンスタンドのスタッフが、広い道に出なくても店の敷地を横切って裏からガリバーさんに行けますよと教えてくれた。

老人に親切な沖縄の人のやさしさをここでも感じた。

お土産2 ホテルで買ったパイナップルケーキ

無事、満タンにしてレンタカー会社にたどり着くと店長や担当者が店から出て迎えてくれた。

やはり、心配してくれていたのだろうなと感謝した。

車の点検も済んで、店長に「これでレンタカーの旅行は終わりにしますよ。」と告げると、店長は笑いながら「また使ってください」と言った。

 

店の車で空港まで送ってもらった。

運転する若者が「今日は真夏のように暑いですよ」と言った。

このレンタカー会社でも沖縄の人の良さを再発見したのだった。

お店の人の話では70歳以上のレンタカーの原則貸し出ししないというのは沖縄のレンタカー会社の中でもここだけということだったので付け加えておきます。

お土産3空港で買った泡盛



午後4時30分過ぎ那覇空港到着。

まずは、荷物を預け、それから冷たいものをとかき氷を探したが、見当たらずソフトクリームを食べる。

流石に沖縄でもかき氷は終わり近くになっているのだろう。

それからお土産を探してあちこち歩いた。

 

フライトは午後6時45分。

待合室の椅子に掛けていたら眠ってしまった。

やはり年を取った。

飛行機は帰りも満席。

午後8時30分過ぎ岡山空港到着。

夜の高速道路を避けて地道を通って帰宅した。

 

息子は夕ご飯を食べたところだと言いながら、まあ沖縄旅行の土産話を聞きましょうと言って、晩酌に付き合ってくれた。

 

本当に、もうレンタカーを使っての旅行はおしまいにしないといけない。

 


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残波岬灯台の帰りに道に迷う 夜はルネッサンス芸能部による琉球の宴

残波岬灯台


沖縄の旅四日目の朝食はオールデイダイニングのセイルフィッシュカフェ。

このレストランは気取りなく、バイキングの種類も豊富で、何を食べようかと食材への好奇心や味わいをそそられる。

 

一回り、二回り、三回りしてテーブルに着くと、先に取った料理が冷めているのが残念。

何しろ手袋やマスクをはめたり、外したりも厄介なことだから、一度に持ってこようとするので冷めてしまうのだが、そうしたことが残念だ。

憎むべきはコロナだ。

でも、なんだかんだと言ってもルネッサンスの料理は美味しい、合格点だと私は思った。

部屋からの眺め 安い部屋だが一応オーシャンビュー



今日は午前中は朝寝をしたり、ホテル内外を散策して土産物を選んだり、のんびりゆっくり過ごした。

これぞホテルステイだ。

 

昼は、朝利用したセイルフィッシュカフェで無料ランチを食べる。

私はカレーライスや焼きそば風のものを食べた。

 

午後から、昔風雨の中を訪ねた残波岬灯台に行ってみた。

ホテルから近い場所にある。

あの時は風雨が強くて、灯台は閉鎖されていた。

今日は穏やかな日和で、灯台のてっぺんへ上ることにした。

こんな階段を登ります。



一緒に上ったのは中国語をしゃべる二組のカップル。

多分今の時節柄では台湾からだろうと思った。

女性は二人とも妊娠しているようだったが、かの国の人は元気で好奇心旺盛だ。

エレベータでもあるのかと思っていたら、そんなものはない。

歩いて上るのだ。

 

入館料は参観寄付金として300円を払う。

「なんだ、エレベーターがないんか」と言葉が口をついて出た。

受付の女性が慌てて「料金返しましょうか」と問うた。

私も慌てて「いやあ、登ります登ります」と急な階段を登って行った。

ここでも沖縄人の親切心を垣間見た。

沖縄の素朴な味を再発見。

 

灯台てっぺんからの眺め


灯台の高さは海面から44メートルとあった。

最上階から沖縄の海を眺めた。

それにしても日本人は根性なしだ。

この程度の高さを大儀がるのかと外国のカップルを横目で見ながら思った。

 

残波岬灯台からはナビに琉球村を入れてみたがうまくいかない。

以前行ったことがあるので、何とかなるだろうと、適当に目的地を入れて発車オーライしたが、気が付くとナビは山の中を指示して走っていた。

 

山道を走っていき「多幸の山学校」という看板を見ながら先に行くとますます道は狭隘になって行った。

少し広いところがあったので、そこでUターンして引き返した。

駐車場に戻ってからよく見ると、ナビには一里塚というのを入れていたようだ。

そして細い旧道の山道を走っていたらしい。

ナビを盲信してはいけない。過去のおぼろげな記憶を妄信するのはもっといけない。

再発見だ。

 

引き返して広い道を少し走ると右折して琉球村という表示があったが、高齢者は流石にくたびれてそのままホテルに帰還したのだった。

琉球の宴のポスター



今夜はルネッサンス芸能部によるショーを見ながらの夕食だ。

その前に、JTBラウンジでのおやつの時間。

今日はシュークリームとチョコレートケーキを食べた。

毎日、美味しいケーキが食べ放題無料で食べられてお得感は高い。

もちろん、そういう費用も計算されての旅行費用になっているのだろうが、単純な私などには満足感の方が高くなるのだ。

 

 

部屋に戻って、これも朝晩の習慣となった山田温泉の入浴だ。

これも「いい湯だな」と鼻歌が出るほど、ちょうどいい湯だ。

極楽極楽のホテルステイ生活を実感する。

 

五穀豊穣を祈る神様ミルク神、milkではなく弥勒菩薩にちなんでいるそうだ



今夜はセイルフィッシュカフェでの最後の晩餐。

ルネッサンス芸能部による「琉球の宴」というショーを見ながらの夕食だ。

飲み放題にワインは別途ボジョレーヌーボーのグラスワインを頼んだ。

そして飲み過ぎた。

ボジョレーを飲みながら


ワインと生ビール3杯と泡盛2杯は少々過ぎだ。

ディナーショーは無料だが、アルコール類は〆て5300円。

これを先日ノークリーニングでもらった館内利用券と地域クーポンで払った。

地域クーポンはまだまだ残っている。

なかなか使い出がある。

 

部屋に戻ってから、でも最後の夜だしと部屋に残っていた缶ビールも飲み干して寝た。


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中城城訪問で沖縄の世界遺産城群を全制覇(新発見、再発見、オキナワ終活の旅パート3)

フォーシーズン入口付近


水曜日 朝食はメインダイニングのフォーシーズンで頂く。

 

今日も子供たちがにぎやかだ。

なかなか、じっくり、ゆったりとしたステイホテルのモーニングの気分にはなれないのが残念。

だが、さすがはメインダイニングの料理だ。 とても美味しい。

フォーシーズンの朝食 お皿もおしゃれ


Teppanブレックファーストと銘打ったここのビュッフェはアイランド型のキッチンの周りをカウンターが囲み、目の前でパンケーキやフレンチトーストを焼き上げてくれる。

メニューも豊富で、エッグベネディクトやハーブ入りの自家製ソーセージ、温野菜、クリームチーズ、ミネストローネなどもあった。

3連泊以上の宿泊客や、上層階の宿泊客はクラブサビーメンバーとしてここのモーニングを追加料金なしで、食べることが出来る。

 

山田温泉やコーヒー、ジュース類無料のクラブサビーラウンジも自由に利用できた。 オットマンに足を預けてぼんやり海を眺めるのは最高の気分だ。

 

さらに今回はJTBで予約したので特典としてJTBラウンジが利用できた。

コーヒー、ジュースに加えて豊富な種類のケーキ類が無料、そして午後4時から6時までワイン、ウイスキーなども飲み放題で、毎日美味しいケーキを堪能した。

クマノミ号はこのあたりから出航する 向こうに一昨日行った炭火焼レストランが見える

今日の午前中はコーラルアドベンチャークルーズ船「クマノミ号」でサンゴの海を泳ぐ魚たちを水中展望室から鑑賞する。

以前は宿泊者は無料だったが、今回は私たちの場合、クマノミ号50%引きで、一人1250円だった。

クマノミ号から熱帯魚を鑑賞

前回は、乗船客全員(40名)が一度に展望室に入れたが、今回はコロナ対策で半数ずつに分かれての鑑賞だった。

磯遊びの様子・ちいさなエイ岸辺に泳いで来て子供たちと戯れた

クマノミ号をはじめヨットや水上ボートなど様々なアクティビティが用意されていて、宿泊者を飽きさせないサービス満載だ。

 

昼は和食「彩」で無料ランチを食べる。

うとぅいむちランチ 奄美大島の鶏飯のような感じのご飯のセット

ただ、無料だからではないだろうが、席について30分以上待たされたのはいったい何だったんだろうかと少々腹立たしかった。

おまけにご飯も汁もぬるくなってしまっている。

ここも人手不足なんだろうか。

円安で減ったというが、アジア系、アフリカ系の外国人労働者がかなり仕事をしていた。

 

 

午後からは世界遺産の中城(なかぐすく)城跡を訪ねた。

中城城 正門への道

 

沖縄の世界遺産となったお城(グスク)は、首里城、中城城、座喜味城、勝連城、今帰仁城の5城だ。

今日の中城城を訪ねれば、沖縄の世界遺産5城をすべて制覇したことになる。

 

中城城に登るには徒歩とシャトルバスがあった。

もちろん我々高齢者はシャトルバスを選択した。

シャトルバス 護佐丸号

 

ここのシャトルバスは無料だった。

沖縄記念公園でも県立沖縄平和祈念公園でも有料だったので、素直にうれしかった。

高齢者の運転するシャトルバスで城内に入るところまで、数分間乗車した。

 

バスから降りると、無料ボランティアガイドが二人連れの旅行者に説明していた。

我々もその中に入れてもらって、ガイドの話を聞いた。

壮大な中城城正門の城壁


この中城城跡は首里城は別にして、今まで見た中では一番城壁が立派に残っていた。

ガイドによれば、沖縄戦の時、海上から何千発もの艦砲射撃があったが、城壁は80%以上残ったということだった。

要点をわかりやすく、気さくに説明していただいた無料ボランティアガイドさんだった。

 

そのガイドさんの勧めで、帰り道にある中村家住宅を訪ねた。

戦前の沖縄の民家の特徴をすべて備えているというので興味を持ったが、行ってみると休館日だった。

庭に回ると、池のあたりに薄紫色のきれいな花が咲いていた。

多分ベンガルヤハズカズラだと思う。

中村家住宅に咲くベンガルヤハズカズラ

 

今夜は前回姉弟会で行った栄料理店を再訪しようと計画していたが、電話してみるとすべての時間帯がすでに満席で予約はできないと断られてしまった。

それで、昨夜味をしめた部屋飲みを今夜もしようということになり、スマホで調べて美里生協を見つけて車を走らせた。

ここの生協でも昨日同様、お惣菜各種大変充実していた。

 

今日の一押しはいかの刺身だった。

通常のイカよりも身に厚みがあったが硬くはない。

ねっとりした重厚感のある食感は、まさにイカの王様のような味わいだった。

 

調べてみると沖縄では11月~3月がアオリイカの旬でイカの王様とあったけれど、果たしてあれはアオリイカなのか、さだかではない。

 

しっかり飲んで、好きなものを食べて満足満足。

 


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再訪 世界遺産 今帰仁城(新発見、再発見、オキナワ 終活の旅 パート2)

一日限定30食の琉球朝食 ハンダマラフテー茶碗蒸しなどなかなかの品数だ

沖縄二日目、朝食は会席料理店「彩(いろどり)」で私は和定食、カミさんは琉球朝食を食べる。

ふっくらほっこりした紅鮭がおいしかった。

朝食後カミさんがフロントで何やら話をしている。

カミさんによれば室内にあるパンフレットの中に、「ノークリーニングサービスのご案内」というのがあった。


シーツやタオル交換を一日おきにすると4泊5日の場合、交換しない日には一日千円の館内利用券が支給されるという。

以前から連泊の際毎日シーツ交換するのは無駄だと思っていたので、渡りに船だ。

二人で滞在中、4千円の館内利用券をゲットできた。

お得新発見だ。

 

今日は前回予定していて行けなかった世界遺産の今帰仁城(なきじん城)に行く。

ここは2度目の訪問になる。

 

行く道中に、以前から気になっていたユニークな景観を見せる名護市役所にカミさんの希望で寄る。

 

1981年建築の名護市役所 名建築として知られるが老朽化が進む

 

3階建ての建物。

遠目にはレンガ積みのようにも見えるが、近づいて見ると、「なんだブロックを積んだ建物か」とちょっとがっかりした。

 

ブロック構造は本体の躯体ではなく、いわゆる建物の形態を飾る建築設計家のデザイン、意匠のようなものだったが、経年劣化して、市役所本体とも近づいて見ると気の毒なような建築物になっていた。

ただ、地方自治体の財政難は深刻だから、私のような旅行者がこのように言うのは無責任すぎる。

申し訳ありません。

 

それから一路、今帰仁城を目指した。

今帰仁城は建築物は残っていない。

砦を守る城壁が中国のミニ万里の長城のような景観を呈している。

今帰仁城入口付近


もちろん万里の長城のように延々と何千キロも続いているのではないが、切り取った風景が、写真で見た万里の長城の一風景に似ているような気がしたのだ。

今帰仁城 城壁の様子


資料館ものぞいて、今帰仁城を堪能した。

 

お昼は先年利用した沖縄海洋博記念公園に車を走らせた。

公園の駐車場に止めて、植物園のレストランに行こうと思ったが、歩きすぎた老人の足には遠すぎて行く気を失い、引き返してローソンでお弁当を買うことにした。

沖縄はローソンが多い。

記念公園のそばにもローソンはあった。

 

私はパスタ、カミさんはタコライスの弁当を買ってローソンの駐車場で昼食をとった。

この自由自在の旅がいい。

 

今夜はホテルステイでのいつもの部屋飲みの日だ。

いつもは道の駅で食材を探す。

ホテルの近くにも「おんな(恩名)の駅なかゆくい市場」がある。

 

朝、出てくるとき、ちょっと覗いてみたが気にいったものがなかったので、名護市内の地元のスーパーを探して行きついたのが生協だった。

生協はわれわれも日常的に使っている。

カミさんは生協のカードを持ってこなかったと嘆いたが、全国一律で使えるのかは確かでないからと慰めた。

しかし名護の生協に入って驚いた。

それは豊富なお惣菜の数々だった。

お惣菜が豊富な沖縄の生協

三元豚のとんかつ、ヒレカツ、鶏のささみカツ、焼き鳥、から揚げ、手羽先から揚げ、コロッケ、沖縄産豚肉ニンニクたっぷり餃子、鶏もも肉と野菜のバジル風味、肉団子(黒酢入り甘酢あん)、なすはさみ天等々、そしてマグロ、鯛などの刺身、各種野菜サラダの中から欲しいものをチョイスした。

 

この豊富なお惣菜は、女性たちが家事をさぼっているからではなく、家族全員が一生懸命働いているからこそ必要とされるのだろうと理解した。

そして、我々はその恩恵に与ることができて、楽しい部屋飲みとなった。

お刺身やポテトサラダ、鶏肉と野菜の炒め物にワインまで入れて3000円ほど。

部屋飲みの際は地元のスーパーがお勧め、再発見だ。

 


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