今回の衆院選挙のマスコミの大方の予想は、「自民単独過半数は微妙な情勢(FNN)」「自民の単独過半数維持は微妙(読売新聞)」
「自民議席減・与党過半数の公算 立憲上積み視野(毎日新聞)」などの当たるも八卦的な言い回しが多いい中、朝日新聞は
「自民単独過半数確保の勢い、立憲ほぼ横ばい」と自民の単独過半数獲得を早くから伝えていた。
11月8日の朝日新聞は総選挙についての世論調査結果を発表した。
それによれば
よかった47% よくなかった34%
自公の連立政権が評価されたから19% 野党に期待できないから65%
特に男性は70%が「野党に期待できない」と答え、女性は60%だったとあった。
そして、支持政党別にみると、自民支持層の69%、立憲支持層の70%が「野党に期待できないから」と回答したとあった。
こうした世論調査の結果をみて、「わが国民、意外と冷静じゃんと」と思ったのは私だけだろうか。
しかし立憲民主党の枝野党首は何を勘違いしていたのだろうか。
戦国時代、毛利氏の外交僧安国寺恵瓊は信長の印象を「高転びに、あおのけに転ばれ候ずると見えし候」と評し本能寺の変のようなことが起こることを予測していたという。
また、秀吉については「藤吉郎 さりとてはのものにて候」と秀吉の天下取りを予測していたという有名な話がある。
立憲の枝野氏の甲高い絶叫演説には、政権奪取できると誤解したおごり高ぶるものを覚えたのは私だけだったのか。
いや、多くの国民が感じたのではないか、選挙結果はその一つの答えでもあった。
そして、立憲には枝野に替える人がいなかったのか、替える勇気がなかったということか。
逆に、自民党は早々と菅を見限り、コントロールしやすそうな岸田に替えて勝利したことこそ、したたかさでも一枚も二枚も上手だったと言える。
立憲民主党が共産党の手を借りればすべてことがうまく運ぶと考えていたなら、甚だしい時代錯誤と言えるのだろう。
という私も、当初は弱小野党がそれぞれにワアワアほざいても何事か進もうか、安倍・菅政権の国民を見下したしたい放題を野党は一丸となって、それこそ小異を捨てて大同につかなければ勝てるわけがないと考えていたが、この選挙結果を見て痛く反省した。
国民の中にこれほど共産アレルギーがあることに、私は全く気が付かなかった。
全共闘世代の私たちはどちらかというと口先だけの民青・共産党集団を日和見主義として嫌っていた。
ただ、今回の状況を私なりに分析してみると、今の若者や中年は日本共産党を忌避しているというよりも、子供の頃から見聞きしてきた、世界の共産主義、あるいは共産党国家のあり様に、ほとほと愛想が付いているのだと思った。
東欧の社会主義国家は1989年11月のベルリンの壁の崩壊、12月にはルーマニア革命により独裁者チャウシェスク夫妻が市民の手により処刑され、チェコスロバキア共産党も倒され、90年9月にはポーランド、91年12月には本家本元のソ連邦が崩壊するなど連鎖的に共産主義・社会主義国家が崩壊していくのを目の当たりにした。
北朝鮮による日本人拉致事件は1977年から83年の間に引き起こされた。
共産主義・社会主義国家のこのような事態や事件が明らかになる中で、共産党の名前を掲げる政党が日本共産党は違うといくら訴えても、なかなか浸透するものでないことが今回の選挙で明らかになったと私は思う。加えて、現在の習近平率いる中国共産党やプーチン率いる統一ロシアの独裁的政権の所業を見れば、素直に共感できる日本人はいないだろう。
もはや共産主義本来の意味をいくら説いても共産党一党独裁による不正や腐敗、弾圧、差別などの歴史が明らかになった現在、共産党という言葉はイメージが悪すぎるのだ。日本共産党も弾圧された戦前から戦後の一時期まで、暴力革命などのスローガンを掲げた時代はあったが、日本共産党がそのような力を行使したことはないし、誠実な党としてのイメージづくりに一生懸命であることは認める。
そして、どのように見ても安倍・菅政権のような強権的傲慢な体質と比較して、共産党が悪く言われる所以はありはしないのだ。
ただ、いつまでもこの名前にこだわっていてはとても党勢拡大は困難だと思う。
もう共産党の名前は返上した方がいい。
日本共生党とか日本誠実党とか名前を変更しなければならない時代になっていることを認識すべきではないかと思った。
立憲も共産も、自民党が菅首相から岸田首相に替えた変わり身の早さに少しは学ばなければならないのではないか。
岸田首相はどうせ安倍・麻生にコントロールされるに決まっていると思っていたが、テレビ画面に映るインタビューなどには彼の対応に誠実さを感じさせるし、第二次岸田内閣に林外相を指名する際には、とりあえず、安倍や麻生にお伺いを立てながら、自ら選んだ林を外相に据えるというしたたかな一面を見せて、安倍・麻生にフリーハンドにはさせないという意地を見せたように思う。
このひと「さりとてはの人かもしれない」と小さな期待を抱いた。
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