一昨年、故郷の実家を解体して更地にした跡地を年に一度、所有者としての責任上確認のため帰郷するようになった。
山陽自動車道~岡山米子道~中国自動車道と高速道路で2時間ほどで故郷へ帰ることができる。
昭和30年代、人口2万人超、小学校の校歌は「学び子すべて千余人」と歌った故郷はすっかり寂しくなってしまった。
今では1万人を切っているだろう。
あの平成の大合併はいよいよ、地方を崩壊させたように思う。
街中を通っても人の気配がほとんどない。
こんな街に誰がしたと町を出て行ってしまった老人が言っても無責任だとは思う。
解体した我が家だって、昭和の時代、いや令和に入るころまでは、数百万で売ってほしいという話もあったけれど、今やタダでもいらないと言われる。
こんな時代が来るなんて、何と希望的楽観主義で生きていたのだと嘆いても後の祭りだ。国への相続土地国庫帰属制度を利用して子供たちに負動産を残さないようにしようと整地した土地を眺めながら考えたのだった。
隣近所の幼馴染に顔を出して、近況報告と昔話を1時間ほどした。
それから、本日宿泊する湯原温泉に向かった。
午後4時頃湯原温泉の旅館に到着した。
ロビーは外国人男女2人が受付をしていた。
男性の方がたどたどしい日本語で、受付をしてくれた。
横に立った外国人女性がいろいろ助言指導していた。
そうしながら女性は男性のことを「まだ見習いなんです。早くできなくてすいません」と、なかなか流ちょうな日本語で話した。
去年いた人とは違ったので、カミさんが聞くと、去年の11月から働いているという。去年は10月末に泊まったから、そのあと入ったようだ。
外国人をフロントに立たせるとは、話題性を狙ってのことなのか、それとも左様なほど人手不足なのかと様々に想像した。
4階の部屋は畳部屋にツインベッドだった。
昔風に旅館に布団では高齢化時代には適応できないことと、布団の上げ下ろしなどに従事する職員の不足、もちろん経費削減もかねて、これが一石二鳥なのだろうと思った。
それにしても経費節減努力は素晴らしいというか、極限を追求しているように思えた。例えば、入浴の際のバスタオルやタオルは部屋備え付けのもの一組を繰り返し使う。
別にタオルが必要な時は1回100円承りますとなる。
また、ルームキーは昔ながらのカギを使う。
我々の部屋は畳にベッドだったが、布団の場合は、コロナ対策のために布団の使用はお客様でお願いしますとあった。
テレビの画面は26型くらいで10畳の部屋には小さすぎたし、岡山県内では地上波7局、BS波8局が受信できるが、BS波は受信できず、地上波もテレビ東京系は受信できなかった。
また、トイレは洋式にリニューアルされていたが、我々の部屋は中程度の宿泊費だったので、便座にヒーターがなく、県北のこの温泉場では飛び上がるように冷たかった。
もちろん、リモコンもなければ、洗浄便座でもなかった。
昔のことを思えばなんとぜいたくなことをと言われるかもしれないけれど、旅行者としては宿泊先には、自宅以上の設備が欲しいと思ってしまう。
カミさんによれば、高い部屋は暖房便座になっているし、外にあるトイレは暖房仕様になっているということだった。
とにかく涙ぐましい努力が見て取れ、苦情など言っては気の毒な状況と察した。
到着後、お茶を飲んでから5時前に温泉に行く。
今夜は男性は大浴場、女性は中浴場。
中浴場は大浴場の半分ほどの大きさで、一日交代で男女が替わる。
大浴場には5人ほど先客があった。
皆さん、同じ団体客のようだった。
だいたい後期高齢者のよう。
お湯は熱くもなくぬるくもなく、ちょうどいい塩梅でゆっくり入浴できた。
岡山県が誇る美作三湯(湯原温泉、奥津温泉、湯郷温泉)の湯は流石に柔らかく、心地よい。
でも、この県北の名湯も、かっての勢いはなくなり、寂れてしまっている。
あらゆるところで地方が取り残されていることを実感する。
私の実家ではないけれど、希望的楽観主義は捨て去らないといけないのだと改めて思った。
部屋に戻って、交代でカミさんが温泉に入った。
午後7時頃、食事会場に行く。
7~8組の泊り客が食事をしていた。
私たちは今夜は紅ズワイガニの鍋やカニ酢、刺身など、久しぶりに美味しいカニを頂いた。
ここから山陰海岸は1時間ほどで行く。
毎日仕入れに行くのだと仲居さんの話だった。
生ビールとお酒3合ほど飲んだ。
近年、温泉で養殖しているというエビのてんぷらも出た。
昨年は揚げたてでおいしかったが、今年は少し冷めていてイマイチだった。
翌朝、6時頃温泉に行く。
一人だけ先客があった。
私は昨夜、身体を洗いひげをそっていたので、今朝はゆっくり入浴した。
7時頃、ウオーキングに出かけた。
湯原温泉をとり囲む山々は紅葉は遅く、まだまだ青かった。
湯原ダムの堰堤に向けて歩いた。
と言っても、5~6百メートル。
途中に有名な河原の露天風呂「砂湯」がある。
作業員が掃除をしていた。
戻ってきたときには作業は終わっていたので、砂湯を見学したが、冬に向かう露天風呂は湯量が少なく、枯葉などが浮いており、これで、入る人がいるのだろうかと心配になった。
帰りかけた時若者が一人、浴衣に羽織を着て、タオル袋を提げてやってきた。
私は宿の方に引き返しながら振り向くと、若者も砂湯に入ることは断念したようで、引き返していた。
冷たい霧雨の降る中、乏しい湯量の露天風呂に浸かる勇気は出ないだろうなと思った。
紅葉がないまま秋が終わるような気がした。
朝食は8時から。
ここの旅館はいろいろと工夫と節約をして懸命の努力が見て取れるが、食事は夕食も、朝食もバイキングはなくシティングで落ち着いて食事ができる。
メインは鮭の塩焼きに湯豆腐、特別な料理はなかったけれど、朝食だからおいしく食べられればいい。
部屋に戻ってゆっくりコーヒーを飲んだ後、本日二回目の温泉に入った。
誰もいない、湯舟を独占できた温泉は本当に贅沢この上ない。
10時30分頃、チェックアウト。
宿賃は二人で29800円、5000円超お酒を飲んだので、〆て35000円ほどだった。
鄙びた昔ながらの温泉地で、平日にゆっくり湯治する。
「いい湯だな」と鼻歌がでる。
退職老人の特権を謳歌したのでした。
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