2024年お正月の始まりは激動の日本を予感させたけれど、能登半島のみなさん!何とか平穏な日常を取り戻してほしい!

ウォーキング中三日月を撮った


コロナがようやく沈静化してきたと思っていたら今年の元旦、午後4時10分能登半島は大地震、津波に襲われ、多くの方が亡くなられ、いまだに数百人の行方不明者の捜索が続き、数万人の避難民、その上、道路網が寸断され、救助物資も救援隊も遅れている。また、雨、雪が続く中、水道電気の復旧も遅れているという。

阪神大震災や東日本大震災、熊本地震などと比べて、すでに一部で指摘されているように、様々な障害はあるものの、何だか救援、支援体制が大がかりでないような気がしてならない。

 

と何もできない後期高齢者はテレビの前で映像に見入るだけ。

そういえばカミさんは岡山に本部のあるAMDAに募金をしていた。

AMDA(アムダ)は1984年に設立された国際医療の特定非営利活動法人で、自然災害や戦争による避難民への医療救援緊急活動に駆けつける。

阪神・淡路大震災でも現場に一番乗りした。

岡山県民の誇りでもある。

といっても老人ができることと言えば、これぐらいしかない。

カミさんは以前から、アムダからの要請があれば、ささやかな募金活動に協力している。私も東北大震災の際は、福祉団体の一員として、募金活動やボランティアの現地派遣活動を続けたけれど、もはや、できることはささやかな救援募金しかない。

申し訳ない、無力感だ。

 

そして2日午後5時50分ごろ日本航空機516便が羽田空港に着陸しようとした際に、海上保安庁の航空機と接触し両機が炎上し、海上保安庁の乗員6人のうち機長を除く5人が死亡した。

JAL機の乗員・乗客379人は脱出シュートを使って、奇跡的に全員無事救出された。

海上保安庁の航空機は能登半島地震の救援物資を搬送する任務遂行中だったという。

海上保安庁の乗員の方々の死亡は誠にお気の毒ではあるが、日航機の全員救出は何と言っても不幸中の幸いだった。

 

テレビで見た、まるで映画のワンシーンのようなライブ中継を何がどうなっているのか、これはダメだと一瞬、神も仏もないものかと見ながら思ったが、危機一髪助かったのだ。

希望を捨ててはいけないのだとも思った。

その意味でも頑張れ能登!

院展の入場券



1月3日 恒例のデパートの初売りに行く。

デパートの初売りは2日からだけれど、今年は子や孫が2日に来るので3日に出かけた。

と言っても何を買うわけではない。

毎年2日から開催される院展を鑑賞する。

院展・日本美術院展覧会は公益財団法人日本美術院が主催する日本画の公募展覧会だ。再興院展は1914年以来続く日本美術院による日本画の公募展とあった。

毎年9月の東京展を皮切りに、全国10か所の都市を巡回し、岡山の院展は毎年1月2日から始まる。

岡山県人はこれも自慢の一つだ。

全国規模の美術展が毎年お正月に定例開催されているのです。

まさしく岡山のお正月は院展で始まるのです。

院展で印象に残った作品  村上裕二 「先生といっしょに」

素人の私がこんなことを言っては噴飯ものだけれど、ここだけの話、最近の院展は平山郁夫や松尾敏夫や後藤純男などの巨匠が去る中、のびやかな雰囲気が感じられてとっつきやすいように感じられた。

そして、今では普通のことのようになってきた写真撮影可もうれしい。

 

さてこの間も、能登半島大地震は余震が続く中、懸命の救援活動が続けられており、被害を受けた当事者の皆さんは命を奪われたり、九死に一生を得た方も、家を破壊され、水も電気も欠乏状態の避難所生活を余儀なくされ続けている。

今の私に何ができるかと言っても、ほとんど何もできない状況は本当に申し訳ない。

 

今、ガンの末期症状に苦しむ友人がいる。

年賀状に絶不調とあった。

年賀状を今年度でおしまいにするとあの元気な男が書いてきた。

しないでもいい電話をかけてしまった。

電話に出て、電話で声を聞けたと喜んでくれたが、かける言葉が見つからなかった。

こうした場合、当事者の皆さんにどんな形で接すればいいのかと反省、反芻した。

 

さて、6~8日の3連休には、藤井聡太王将に挑戦する岡山出身の棋士菅井竜也八段との王将戦第1局や高校男子サッカー決勝戦、岡山就実高校女子バレー決勝戦が重なり、テレビにくぎ付けだった。

男子サッカーの昨年優勝校岡山学芸館高校は3回戦で名古屋高校にPK戦で残念ながら敗れた。

その代わりに春高バレー(全日本高校選手権)では岡山就実高校女子バレー部が決勝進出した。

昨年コロナ陽性者を出して全国大会を断念した就実高校が、今年度全国高校総体、国体と合わせた3冠を目指した下北沢成徳高校(東京)を破った。

全試合ストレート勝ちの完勝だった。

特に守りのバレーに強さを見た。

久しぶりに感激のもらい泣きだった。

 

それから、王将戦。

将棋歴70年、将棋初段でAI将棋と戦う私はスカパーで観戦した。

挑戦者の菅井8段は岡山市出身の棋士。

私の主治医は菅井8段が小学生のころ患者として受診していたと自慢する。

そうしたふるさと棋士の菅井8段だが、今回の将棋は藤井8冠王将に歯が立たないというような一方的な将棋で投了した。

 

今年のお正月、日本の激動を予感させるような出だしになったけれど、安心平和な日常が戻ることを祈念します。

 

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初夢!高齢化と少子化社会への異次元の政策提案はどうでしょう!

 

後楽園のサザンカ

明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

 

2023年12月24日付朝日新聞3面には65歳以上の介護保険料の高所得者層の引き上げという記事と2023年に国内で生まれた日本人の子供が推計で72万6千人程度になることが分かった(団塊の世代が生まれた1947年~49年では毎年250万人超だった)という記事が並んでいた。

また、前日の23日の記事では2050年には東京都以外の46道府県で75歳以上の総人口が20%を超えると報じていた。

少子高齢化社会が急速に進行していることが分かる。

 

12月22日閣議決定された「こども未来戦略」にざざっと目を通してみた。

それによると「2022年に生まれたこどもの数は77万759人となり、統計を開始した1899年以来、最低の数字となった。

1949年に生まれたこどもの数は約270万人だったことを考えるとこどもの数はピークの3分の1以下にまで減少した。

少子化のスピードが加速している。

出生数が初めて100万人を割り込んだのは2016 年だったが、2019年に90 万人、2022年に80万人を割り込んだ。

このトレンドが続けば、2060年近くには50万人を割り込んでしまうことが予想されている。

そして、少子化は、人口減少を加速化させている。

2022年には80万人の自然減となった。

今後も、100万人の大都市が毎年1つ消滅するようなスピードで人口減少が進む。

現在、日本の総人口は1億 2,500万人だが、このままでは、2050年代に1億人、2060 年代に9千万人を割り込み、2070年に8,700万人程度になる。

わずか 50年で、我が国は人口の3分の1を失うおそれがある。」

と指摘している。

後楽園入口の門松



岸田政権はこうした人口減少と少子化対策として、「異次元の少子化対策」と銘打って得意のスローガンによる打ち上げ花火を上げたが、この政権は掛け声倒れが多い。

今回も、「こども未来戦略方針」を6月に発表後、相当な日数が経過したけれども、項目や目標をあげるだけで、詳細な説明や財源の具体的な説明がないと批判されていた。

今回は「方針」をとり「こども未来戦略」と決意を示したということなのだろうが、私には官僚による決まり文句てんこ盛りのレポートという程度にしか伝わってこなかった。

一番の問題は財源があまりにも不透明だからだ。

新たに必要となる財源は年3兆6000億円程度と言われている。

 

岸田首相はその財源については「徹底した歳出改革」で捻出するという。

けれど、何をどうするのか、具体的な捻出方法や金額の内訳などの説明は少ない。

徹底した歳出改革は民主党政権でも行財政改革の徹底した事業仕分けを振り回したが、削減目標の3兆円には届かず約1兆6千億円だったと2009年11月27日付朝日新聞デジタルにあった。

また足りない分を主に企業や保険制度加入者からの支援金制度で賄う方針だというけれど、これがまたわかりにくい。

何度か読み返して私なりに解釈したのはこうだ。

 

「こども未来戦略」の中の3つの基本理念の第一に挙げている「若い世代の所得を増やす」ことが実現すれば、企業や保険制度加入者からの保険料収入が増加する。

この増加分を支援金として使うというものではないかと解釈したのだが、素人にもわかる説明がされていないので、私などはまるで捕らぬ狸の皮算用とはこのことではないかと思ってしまう。

新春の岡山城

 

さらに、首相はこれまで「実質的な追加負担は生じない」と繰り返してきた。

でも国民の追加負担なしに、新たな制度設計はどうやってできるのだろう。

またぞろ、国債発行による借金政策かと疑ってしまう。

国債発行だって実質的には国民が負うことになる借金ではないのかと思わざるを得ない。

実際に「こども未来戦略」のⅢ-2「加速プラン」を支える安定的な財源の確保のなかの④では2028年度にかけて安定財源を確保するまでの間に財源不足が生じないよう、必要に応じ、つなぎとして、こども・子育て支援特例公債を発行する。

と書かれており、このことはまさしく借金で賄うということに他ならないのであり、わかりやすく(借金)と明確にすべきだと思う。

 

一方、国保から切り離された高齢者医療制度や介護保険制度の保険料の引き上げは今、高齢者間での話題の中心になっている。

でもここは高齢者が協力せざるを得ないではないかと私は思う。

孫・子の世代のために一定の収入以上ある高齢者層の負担増は致し方ないと思う。

 

異次元の少子化対策を掛け声倒れに終わらせないためには異次元の確実な財源確保策がなければ絵に描いた餅に終わってしまう。

そこで、退職老人が考え出した異次元の財源案である。

 

少子化対策の夜明け


‥‥それは相続遺産の考え方を変えるべきだと考える。

異次元の遺産相続制度の導入だ。

これまでは、遺産と言えば、我が妻や子に、妻や子がない場合は、兄弟やその子供たちまでも追って相続人を探していたが、こうした旧態依然とした遺産継承法はやめにしなくてはならない。

少子化から多子化、人口増を目指すなら、子育て関連費用を完全に無償化するくらいの異次元策でなくてはならない。

もっとも、国としてもこれまでと比べて大幅な子育て政策(こども未来戦略)を発表したけれど、指摘したように、確たる財源があるわけではないのだ。

確実に存在する遺産という財源を次の世代の持続可能な人口増、多子化社会を実現するするために使うことを高齢者をはじめとする国民全体に、丁寧にしっかりと説明することだと私は確信する。

 

我が子に遺産を残すのではなく、子孫に遺産を残すという考え方を徹底するのだ。

まあ、遺産を100%取り上げるというのでは無茶に過ぎるかもしれない。

細かい制度設計や法律論は優秀な官僚が考え出してくれるだろうから、要は、遺産をわが子や孫に使うか、子孫世代に充てるかの選択について国民の議論を調整できないかと考えて初夢としたのです。

 

子供は社会全体で育てる、そのためには死んでいく多くの老人が社会のために、この未曽有の危機に最大限協力することだと思うのです。

 

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大相撲 錣山(寺尾関)親方が亡くなった

両国国技館

 

 

 

 

私たちの少年時代の遊びと言えば、相撲と野球だった。

相撲は物心ついたころ、幼稚園に入る前後にはもう相撲狂で、幕内以上の力士のブロマイドを新聞紙に貼って眺めていた。

母が東京生まれ、東京育ちで大の相撲好きだったことも影響していたのだろう。

 

当時の横綱は千代の山、鏡里、吉葉山だった。

大関に三根山、大内山、松登がいたことを思い出す。

私は横綱吉葉山のファンだった。

色白の美男力士だった。

病気や怪我などで故障休場が多く、大関になって全勝優勝し、横綱に昇進したが、優勝はこの一回しかなく、4年間の横綱在位では休場も多く、一度も優勝できなかった。

ただ、4年間の兵役に就き、戦傷を負い、復員後大相撲に戻り、横綱にまで昇った吉葉山には、そのマスク、容姿などもあいまって、多くのファンがあった。

 

そして、もう一人、私の中に強く記憶に残っている力士と言えば鶴ヶ峰(元井筒親方)だ。

言わずと知れた寺尾の父親である。

眉目秀麗、端正な顔つきで、寺尾は父親似だ。

鶴ヶ峰はもろ差しの名手、もろ差し名人と謳われた。

もろ差しとは相手の左右の脇下に両腕手を入れてまわしを取り前に出る。

鶴ヶ峰はこの相撲で技能賞を10回も受賞している。

 

小学校4年生のころまで、鶴ヶ峰のもろ差しをまねた私の相撲は連戦連勝だった。

鶴ヶ峰も息子の寺尾、逆鉾も最高位は関脇まで上がっており、相撲一家と呼ぶにふさわしい活躍だった。

 

鶴ヶ峰の三男錣山親方(寺尾関)が12月17日亡くなった。

享年60歳。

相撲取りは寿命が短いとよく言われるが、それにしても短すぎる。

井筒3兄弟の次兄逆鉾関も58歳で亡くなり、長兄の鶴嶺山関も60歳で亡くなっている。

寿命が短いという遺伝子なのか、関取の寿命が普通人と比べて短いというのは、無理やり身体を大きくするための大食や激しい格闘技という職業病でもあるかもしれない。

この記事を書くにあたって、来歴などを読むと実母も43歳で亡くなっていると知った。典型的な短命な家系である。

葉牡丹の季節



しかし、振り返ってみると寺尾という力士は、何とすがすがしい、一直線の相撲取りであったことかと思う。

寺尾と同時代のライバルは小錦(10勝26敗)水戸泉(17勝17敗)、貴闘力(11勝23敗)安芸乃島(18勝22敗)栃之和歌(17勝21敗)となかなか勝ち越せてはいない。

技能賞1回、敢闘賞3回、殊勲賞3回受賞。

 

平成元年1月場所の横綱千代の国と西前頭筆頭寺尾の一戦をユーチューブで見返した。序盤、寺尾の回転の速いツッパリが効いて、千代の国は受け気味に取っていたが、流石、一瞬をついて千代の国の左手が寺尾の右上手をがっちりと掴んだ。

千代の国の右手は寺尾の左手をつかみつつ、そのまま右手を寺尾の頭に移動させ、頭を押さえながら前に出て少し強引に右上手投げを放った。

その瞬間に寺尾の右足が千代の国の左足首にかかり、千代の国は尻から土俵に落ちていた。

見事な勝利だった。



一方、私は引退後、時々NHKの大相撲解説をする錣山親方の寸鉄人を刺す辛口な解説に魅かれた。

最近では、弟子の阿炎の相撲に対して、

「下に落ちて、それからですよ。今のままでは(ダメですよ)」という意味のことをはっきり言い放ったことを覚えている。

名解説者だと好感を持った

 

さらば!土俵の鉄人寺尾関、錣山親方。

阿炎を育て上げるのを見たかった。        合掌

 

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今、地方公共交通の足・バス、タクシー事業に異次元の変化が起きつつある その肝は使いやすい、使いたくなる交通網の再構築だ

小学校の生け垣を利用した年末恒例のイルミネーション「光の実」

JR各社の地方赤字鉄道路線の存廃を協議する「再構築協議会」の設置が検討される中、地域交通の在り方をめぐって、様々な試行が急速に展開されている。

 

旧国鉄、現在のJR各社の鉄道線は新幹線をはじめ、本線と支線によって全国に張り巡らされてきた。 しかし、道路網の整備、モータリゼーションの発達や人口の急速な減少などから、特に地方ローカル線の乗客数は著しく減少している。

 

 私の生まれ育った芸備線東城~備後落合間の運行は1日3往復のみ。 収支率(費用に対する収入の割合)は0.4%、100円を稼ぐために25,000円がかかるという。

それでも廃止反対の声も強く残っている。

昔は鉄道沿線を並行して走るバスの姿も各地で見られたが、最近では、大都市においても鉄道と競合するバス路線は減少していることはテレビ東京の「路線バスの旅」を見ていればわかる。

「路線バスの旅」では、もう一つ、県境をまたがるバス路線が何と少なくなっているかということにも気付かされる。

真庭市のコミュティばす『まにわくん』



地域交通の衰退は、前述したように道路網の整備、モータリゼーションの発達や人口の急速な減少などが基本的な原因と考えられるが、もう一つ加えるならば、あの平成の大合併により、一定の中枢管理機能を備えた市町を一つの都市に統合したため、従来持っていた中枢機能がそがれたことも大きい。

合併して中枢機能を拡大した都市はそれほど大きな影響を受けていないが、そがれた市町はみるみるうちに衰退していったということだ。

 

こうした中で、地域交通の在り方について考えてみた。

まず、1日3便~数便などという鉄道路線を頼りにする妄想はやめるべきだ。

ひたすら、自己満足の感傷に浸っているようにしか見えない。

冷静になって合理的に考えるならば、これだけ整備してきた道路網やモータリゼーションの発達を基本に据えた地域交通網のあるべき姿を検討すべきだと言いたい。

200円キャンペーンのポスター



こうした中で、私の住む自治体周辺の地域交通の施策の展開状況をご紹介します。

私の現在住んでいる自治体では、岡山県下を対象にバス事業について令和5年12月1日から令和6年1月3日まで路線バス運賃最大200円キャンペーン事業を展開している。

一部でも岡山市内を運行する路線バスの全ての便で1回の乗車が最大200円になる。

路線の最長は岡山~真庭市勝山間で通常料金2220円が200円になるというまさに異次元の値引きなのだ。

実施主体の岡山市にしてみれば、クリスマスやお正月に向けて県下から岡山市に買い物に来てくれて賑わうならば、こうした事業を県都として実施するのは県都の役割だと考えたのだろう。 素晴らしい取り組みであり、それでこそ県都だと私は思った。

ハレカハーフのパンフレット



さらに、2022年7月20日から岡山市において実施されている路線バスの運賃が半額割引となる『ハレカハーフ』事業に令和6年2月1日から我が自治体も参加できるというもので、現行370円が190円になる。

ハレカハーフの対象者は65歳以上高齢者と障害者等(身体障害者、療育手帳、障害福祉サービス受給者証、精神障害者保健福祉手帳、特定医療費(指定難病)受給者証)だ。

申請書類には顔写真を張り付けて提出とあった。

そして、我々のバス路線を運営する宇野バスでは、これまで月に1度から2度実施していた無料バスデーを今月17日にも実施するとホームページで広報していた。

 

こうした、矢継ぎ早の地域交通に対する自治体やバス事業者等の支援対策の実施の効果がどう出るか、その評価が次の手を打てるかの分かれ道となるが、先日利用した私や友人は利用者が確実に増加していると意見が一致した。

やはり自治体と事業者間の連携、さらに事業者間の連携協力関係が重要だと思った。

 

そして、もう一方、現在盛んに実施している地域コミュニティバスの運行だ。

これは各自治体でそれぞれの特徴、特性を加えて実施されているが、成功事例ばかりではない。

ほとんどカラで走っている路線もある。

私のところで1日2回走るコミュニティバスはほとんどガラガラだ。

高齢化が進んではいるものの、まだまだ車を手放す人は少ない。

それに、1日往復70便近く路線バスが通る場所にコミュニティバスが必要なのかなと思う。

恐らく為政者は公平を旨としているのだろうが、それは考え過ぎだ。

ワクワクタクシー券 



また、タクシー事業に関しては「がんばろう赤磐WAKUWAKUタクシー券配布事業」として

  ・令和5年度に75歳以上となる方

  ・令和5年1月1日以降に母子健康手帳の交付を受けた方

  ・身体障害者手帳を所持する方

  ・療育手帳を所持する方・精神障害者保健福祉手帳を所持する方

 を対象者として、一人当たり500円×20枚(10,000円分)のタクシー券を交付するというものである。

利用期間は令和5年9月1日~令和6年2月29日で、まさに至れり尽くせりだ。

 

この施策も車を所有している高齢者にとっては、ほとんど使わずに終わっているようだ。

75歳以上の高齢者と言っても様々である。 障害者と言っても1級~6級まで、障害の程度には大きな差がある。

すべてを公平平等にする必要があるのかと考え込む。

 

いずれにしても、現在、地域交通の在り様をめぐって、様々な取り組みが進められているが、過去にとらわれず、現在の生活の質を向上させる方向で取り組むべきだ。

各社の高速バスと路線バスとコミュニティバス等々の時刻表を擦り合わせる努力はどれほど行われているのだろう。

バスのフリー乗降制はどの程度実施されているのだろう。

 

まだまだ取り組むべきことや改善すべきことが多くあるように思えるのだ。

 

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麹町~武蔵小金井~麻布台ヒルズを歩くー東京散歩 食べ歩き 飲み歩き(その2ー

江戸東京たてもの園の農家


日曜日、午前7時前に起床して、ウオーキングに出かける。

今朝は弟夫婦の泊まっているホテル周辺まで歩いた。

これまで何度も迷ったこの麹町界隈の路線を頭に入れた。

すこし小雨が降ったりやんだりしていた。

 

異常に多い警察官に何事かと思った。

でも、それを尋ねる勇気は出なかった。

いつものウオーキングのように会う警察官一人ひとりにおはようございますと挨拶をした。

元気に挨拶を返してくれる人もいたが、おおむね小さな声だった。

途中のファミリーマートでサンドイッチと牛乳を買う。朝食はこれで部屋食だ。

 

ホテルに戻ってカミさんに何か事件でもあったのか警察官が異常に多いと報告すると、カミさんはすぐに「イスラエル大使館があるからじゃないの」と言った。

忘れっぽくなって認知症を心配しているカミさんが、しっかりと覚えていた。

それを聞いて納得した。

今はロシア×ウクライナ戦争よりも、イスラエル×ハマス戦争がクローズアップされているのだった。

ここは日本の中で、もっとも戦争に近い場所だったのだと思った。

 

朝食後、午前9時30分過ぎ出発。

今日は武蔵小金井にある江戸東京たてもの園に行く。

カミさんは古い建物の屋根の恰好や梁・垂木の構造などに興味があるみたいだ。

建物内部の立派な梁やたるき

私は関心がないのだが、主体性がないのでついて回る。

ホテルから歩いて市ヶ谷に出て中央線に乗る。

スマホで武蔵小金井には中央快速が停車することが分かり新宿で乗り換える。

武蔵小金井から西武バスに乗って5分と書いてあったが、もう少しかかった。

小金井公園内に展示されている蒸気機関車と客車



江戸東京たてもの園は、東京都江戸東京博物館分館で都立小金井公園の中にある野外博物館。

小金井公園の中には蒸気機関車と客車なども展示してあった。

たてもの園の入場料は65歳以上は200円だった。

65歳以上の証明にカード類を探していたら、係員の女性が目ざとくJAFのカードを見つけて、JAFの会員なら40円引きとなりますと言ってくれたので、我々夫婦は一人160円で入園できた。

三井邸客間




江戸東京たてもの園には、江戸~明治~大正~昭和時代の建造物が30棟くらい移築保存されていた。

農家には囲炉裏があり、地元の人が火を起こして、囲炉裏を使う様子を実演していた。こうした市井の建造物をそれぞれの地元に1軒ずつ残していくことは難しいけれど、こうして一か所に集めて行政が保存管理すれば後世に残っていくだろうと思った。

囲炉裏

それにしても30棟を丹念に見ていたら日が暮れてしまう。

5~6棟見て我々は退散したが、外国人の皆さんが熱心に見学していたのには驚いた。日本人でもあまり関心を示さない、古い建造物。

その上、何か大きな記念碑的な物でもないものに、一体何が知りたいのだろうかと、そちらの方が知りたくなった。

すでに午後1時を過ぎていた。

 

武蔵小金井駅まで戻って食事場所をスマホで探して、駅前のイトーヨーカドーにあった蕎麦処「いなたや」に行く。

カミさんはかつ丼蕎麦セット、私は親子丼蕎麦セットを食べた。

2時30分過ぎ、武蔵小金井から今、盛んに宣伝している麻布台ヒルズに向けて出発。

 

 

日比谷線神谷町で降りて地下道を歩いて、麻布台ヒルズ森JPタワーのフロアーにたどり着いた。

係員がパンフレットを配っていた。

人々はどこか行く当てがあるのだろうか、それともとりあえず歩いているのだろうか、何だか皆さん見物がてら歩いているように見えた。

とりあえず外を歩いてみようと、やっとエスカレーターで3階分上がって行って、1階フロアーの玄関にたどり着いた。

外に出て見上げると、周りは巨大なビルばかり、その中に3棟のとりわけ大きいビルが目についた。

たぶんあれが1居住区10億~100億円と言われる居住棟かとシャッターを押した。

麻布台ヒルズ 

 

我々は特にどこに行く当てもなく、初物にありついたことに満足して、再び神谷町駅から日比谷線に乗り、有楽町駅に出て、有楽町線で麹町に帰り着いた。

 

今夜はいつものように部屋飲み。

成城石井でポテトサラダや麻婆豆腐など買い、セブンイレブンに寄りお寿司やビール、ワイン、日本酒など買いこんでホテルに戻った。

いざ、部屋飲み宴会なり。

 

月曜日 今日の朝食は外でモーニングを食べようということになりウオーキングを兼ねて出かける。

今朝もホテルの周囲は警察官であふれていた。

ホテル前にイスラエル大使館があり、その前には24時間体制で警察官が常駐し立衛している。

厳戒態勢


また前の道の東側の交差点の進入箇所にはアコーディオンの門扉を置き、警察官が立哨し、入ってくる車を停め許可した車だけを通していた。

しかし、いわゆる公道を何の告知もなく警戒のために遮断することはできるのか、法的根拠はどこにあるのかと疑問を持った。

けれど、その疑問を聞くことは小心者にはできなかった。

 

そのバリケードの交差点を渡って市ヶ谷方面に少し行くと、しゃれた喫茶店があった。上島珈琲店だった。

今朝はここでモーニングすることにした。

 

上島珈琲のモーニング

スクランブルエッグとハムと野菜サラダと少し溶けたバターがのった小ぶりの食パン1枚とブレンドコーヒー930円だった。

スクランブルエッグの上品な味わいが秀逸だった。

子供のころスクランブルエッグが嫌いだった。

ふっと臭う卵のにおいが嫌いだった。

そんな昔話をカミさんに話すと、彼女は昔の鶏の飼料には粉にしたイワシを混ぜていて、その匂いがしていたのだと教えてくれた。

 

お店のメニューには和風だしを使っていると書いてあった。

いずれにしても、こんなに美味しいスクランブルエッグに出会ったのは初めてだった。店内にはジャズが流れていた。

大変幸せなモーニングのひと時だった。

ちょうど、目の前に小さな公園があった。

公園の入口に「番町の森」という看板があった。

つわぶきの花が咲いていた。

大都会の何気ないポケットパークは落ち着いてオシャレだった。

 

ホテルに戻って手荷物以外のものをスーツケースに詰めた。

宅配で送る。

旅行するときは、高齢者はできるだけ荷物を持たないことにしている。

9時30分過ぎチェックアウト、羽田に向かった。10時30分頃羽田に到着。

 

お土産など買って11時過ぎにあずみ野でざるそばを食べる。

そばの香りは少ないが、しっかりした腰のあるそばで美味しかった。

 

12時05分に定刻に離陸したが、到着は15分遅れた。

私はすぐにウトウトして気づかなかったが、岡山とは反対方向に向かって離陸し房総半島近くまで行って大きくターンしたそうだ。

到着後、タクシー会社に電話して、タクシーの待つ駐車場に向かって無事帰宅した。

今夜は冷蔵庫のシュウマイや角煮、羽田で買った鮭ルイベ漬けで一杯飲んだ。

帰宅して飲む一杯がまたうまかった。

 

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東京散歩 食べ歩き、飲み歩き(その1)

一路羽田へ

朝5時50分、予約したタクシーが迎えに来て、岡山空港へ向けて出発。

いつもはマイカーで行くのだが、住んでいる自治体では、先日、75歳以上の高齢者に一人1万円(500円券x20枚)のタクシー利用券を配布した。

これは75歳以上の高齢者の運転事故防止や免許返納の推進を促すとともに、タクシー運転手の不足や利用者不足から低迷している市内のタクシー業界支援のためもありこうした施策を講じたのだと理解したが、近隣の75歳以上の高齢者のほとんどは、まだまだ、車を運転しており、タクシー券の利用促進と言っても使うのに苦労している。

地方では車がなければ生活が成り立たないのも確かだ。

それでも、免許返納者や運転していた主人が亡くなった家もあり、車がない世帯では、買い物に行くのも、医者に行くのも、院外処方が多くなった薬をとりに行くのも大変なことは理解できる。

だから、何も全世帯にタクシー券を配る必要はないのではと思うが、公平に取り扱わないと選挙に影響するからと為政者は苦心するのだろう。

 

ということで今回我々夫婦は、岡山空港まで片道8000円超の料金を支払って行き帰りをタクシー利用したのだった。

 

出発の40分前に岡山空港到着。

ANAのチェックインカウンターでスーツケース2個をスーパー宅空便で送る。1個2000円。

保安検査所では行列に並んで30分以上かかった。

岡山空港でこんなに混雑したのは初めてだ。

景気は回復しているのだろうか、日本はやはり豊かなのかなどと反問する。

手荷物検査を受けて搭乗ロビーに入ると搭乗手続きが終わろうとしていた。

飛行機は15分遅れで離陸したが、順調に飛行して羽田空港に到着した時は遅れを取り戻していた。

 

羽田空港で朝食をとる。

私はとろろご飯うどん定食、カミさんは天ぷらうどん定食。

お店を探していたら時間がかかって食べ終わり、モノレールに乗った時は9時30分を過ぎていた。

浜松町から地下鉄大江戸線大門駅まではちょっと時間がかかった。

今日は蔵前で義兄の3回忌がある。

午前11時からだから時間はたっぷりとあると油断していた。

しかし、乗った電車は清澄白河駅どまりで、ここでも時間をロスした。

ようやく会場にたどり着いたときに午前11時を過ぎていた。

 

皆さんすでにスタンバイしており、早速、法要室に案内されて法要が始まった。

お坊さんは30歳前後、浄土真宗のお経を誠実な口調で唱えてくれた。

1時間ほどで、法要の儀式は終わった。

東天紅から不忍池、スカイツリーを望む



会食は上野の東天紅。

迎えのバスに乗り込んだ。

東天紅は不忍池の真ん前に建つ、4階建てのビル全部が中華料理の東天紅というスケールで、ちょっとびっくりした。

上野中華料理と検索すると「東天紅」が出てきて、中華料理・高級と出ていた。

4階の個室会場からは東京スカイツリーもまじかに見えた。

料理はコロナの影響か各自に小分けにして出てきた。

お味は調和的、どなたのお口にも合う、品の良い中華料理だった。

逆にいえば、個性的ではなかったように思ったが、これだけ大きな中華料理店になると、できるだけ万人向きにならざるを得ないのだろうと思った。

 

各自が義兄の思い出話などをした。

私は中高時代の羽目を外した思い出話をした。

ごく愛嬌のつもりで話したが、どうも今の若い人たちには通じないのか、その話にはブーイングが相次いだ。

もちろん今の時代に照らしたらとんでもないことだが、当時は若者だからと笑って容認されていたことはいっぱいあった。

でも年寄りのそんな思い出話は聞きたくないのだと、ようやく理解したのだった。

今年は長くバラも咲いている



会が終わって、我々姉弟とその連れ合いは、二次会の場所を探していて、通りすがりのコーヒーやワインを提供する、ちょっと怪しげなお店に入った。

黒人のスタッフが二人いた。

数組のお客さんもいたので、変なお店ではないだろうと思った。

男たちはワインを飲み、女性陣はコーヒーやジンジャエールなどを飲みチーズをつまんだ。

この店はまだ現役で働いている弟が気を利かせて払った。

店を出たところで80代の超元気高齢者の姉様たちと別れた。

今夜は、偶然、私たちも弟夫婦も麹町にあるホテルをとっていたので麹町まで行き飲み直そうと言っていたが、電車から降りると双方、疲れてしまって、あっさり各々のホテルに戻ることで合意した。

私の晩酌セット



ホテルに着くと、朝岡山空港で預けたスーツケースが到着していた。

私は初めてだがカミさんは以前このサービスを利用したことがあるそうだ。

前もってホテルに送る方法もあるが、岡山―東京は今は二日かかる。

事前に準備しなくても、当日空港で預けるというサービスはとてもいいと思った。

チェックインしてから、大相撲千秋楽を見ていたら眠ってしまった。

午後7時30分過ぎに起こされて、ひと風呂浴びてから地下のレストランに行った。

午後9時で終了ということで、ざっと見まわしたところ、客は私たちを入れて3組ほどだった。

カミさんのちょい飲みセット


私は晩酌セットと生ビール、カミさんも生ビールとピザなどを取って夕食とした。

旅に出て、飲んで食べる。

これが旅に出る私の目的です。

 

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人口減少~児童減少 異次元の少子化対策は既成概念、固定観念を取り除いて、親や子の視点から取り組むべきだ!

芽を出したきぬさや



9月22日付朝日新聞で「誰でも通園」創設へ検討会 保護者の就労要件問わずという記事が目に留まった。

保護者の就労要件を問わずに保育園などを利用できる「こども誰でも通園制度(仮称)」の創設に向け、こども家庭庁は21日、有識者の検討会をスタートさせたとあった。

 

もう50年以上も前になるが、私は地方都市の地方公務員になった。

最初の仕事は、福祉事務所で生活保護のケースワーカーだった。

ケースワーカーは生活保護現業員とも言う。

生活保護の申請者(要保護者という)の調査と決定、生活保護受給者(被保護者という)の生活指導、就労指導などの自立助長支援のための家庭訪問が主たる仕事だった。

そのほかに福祉対象者の法律である福祉六法(現在は福祉八法)に関する現業業務、いわゆる施設への入園、変更、退園などの調査と判定事務を担っていた。

その関係で児童福祉法に基づく保育園の入園ついての調査決定も担当した。

庭に植えたシークワーサーに実がついた



ちょうど、団塊の世代たちの第二次ベビーブームで、保育園への入園は困難を極めた。家庭訪問して、子供の保育の現況調査をすると、新規入園申請の場合はたいていの母親が子供を家庭保育していて、入園が決まれば職を探すという当然のパターンが多かった。が、保育園の基本的な入園条件は「保育に欠ける」状態にあることを要件としていた。従って、仕事に就いていない状況は一義的には保育に欠ける状態ではないと認定されて、申込者が定員を超過している状態では入園が困難だった。

また、申込者全員への家庭訪問でも実態を把握することが難しく、時間もかかることから数年後に集団面接方式を採用し、調査項目ごとの採点方式で決定する方法を採用した。

 

保育園に入れなかった母親は子供を抱えて、私の机のそばに張り付いて席を立とうとしなかった。

このままでは仕事ができないので子供を置いて帰ると言って泣いた。

定員が決まっている以上、どうすることもできなかったが、一定以上の保育料の支払い能力があり、どうしても働く必要がある人には、私立の認可保育園の園長に電話して、園との自由契約による入園を紹介したこともあった。

そうした方法は暗黙の了解として認められていた時代だったが、最近は定員の数%は公的に認められていると聞いたことがある。

ドウダンツツジの紅葉



2006年と2012年に生まれた私の孫たちも保育園入園の悲哀をなめた。

両親は二人とも共働き、ただ母親は第二子出産に際して育児休暇制度を利用したため、公立保育園に通っていた孫娘は退園を余儀なくされた。

二人目は男児を出生し、育休を終えて仕事に復帰した。

孫娘はちょうど小学校入学時だった。

保育園の園長から正式な卒園式には出られないが、5年間通園した保育園の卒園式の予行演習に招待されて、仮の卒園証書を頂いた。

親や子の視点に立った素晴らしい配慮だった。

 

男孫は両親が正職員の共働きということで採点上は保育に欠ける状態として満点だったが、最終選考の結果は、昨年からの継続児童でないことがマイナスされて、入園保留とされた。

そして3か月間は無認可保育園に通って、欠員ができて入園できたのだった。

 

調べてみると2018年4月より「保育所保育指針」が改訂され、「保育に欠ける子供の保育を行い」という表現から「保育を必要とする子供の保育を行い」という表現に変更されたとあった。

「保育に欠ける子供」から「保育を必要とする子供」への認識と規定の変更に私の新入職員から爺さんになる50年以上という莫大な時間がかかったのだ。

 

今回、私の目に留まった「誰でも通園」という記事は、私の現役時代の苦い経験や孫の時の実体験もあり、ようやく保育園の入園について、こうした常識的な判断が可能になる時代が来たのだと思いが深かった。

でも、それが可能になったのは、急速にやってきた少子化の時代になってやっと「保育に欠ける」などの要件を付すべきではないという政策の転換に結びついたのであり、遅きに失したと言っても過言ではないと私は思う。

 

まだ実がなるナス


異次元の少子化対策という以上、もはや、あれこれの制約を付すべきではない、その第一歩なのだ。

そうした観点から考えると、いつも指摘されるように文科省担当の幼稚園と厚労省担当の保育園などと区別する組織論などはやめにしなければならない。

異次元の少子化対策というならば、こども家庭庁を子ども家庭省に格上げして、すべての乳幼児童を無償で幼稚園、保育園に入園させて、同一の保育、教育が保障される環境を作ることが求められる。

そうして出産、育児、教育などを保障することで人口増加や就労増加、人手不足解消にも資することになるのではないかと思いを強くする。

 

いずれにしても、従来の既成概念や固定観念にとらわれず、発想を転換しなければならないし、国の様々な提案の中にその萌芽が認められる。

その萌芽を異次元の発想につなげて実行することだと私は思う。

 

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