令和4年大相撲初場所も終盤戦。
大相撲は私が生まれて初めて熱中したジャンルだ。
小学校に上がるか上がらない頃だった。
当時は、横綱千代の山、鏡里、吉葉山、大関は大内山、三根山を覚えている。
幕内力士のブロマイドを集めて、横綱以下番付表の通り新聞紙に貼って友達に自慢した。
小学生の低学年の頃、我が町にも地方巡業で大相撲がやってきた。
江戸っ子の母は相撲に目がなかった。
私と弟の手を引いて相撲見物に連れて行ってくれた。
土俵は高校の運動場に作られた。
私たちは土俵から15メートルくらい離れたところに陣取った。
私は吉葉山のファンだった。
吉葉山は美男力士だったが、けがや病気続きで、休場ばかりしていたような記憶がある。
それから覚えているのは小兵鶴ヶ嶺の鮮やかなもろ差しになって戦う相撲だ。
この技能派の相撲にすっかり魅了されて、子供同士の相撲でもよく真似をした。
私は鶴ヶ嶺の熱烈なファンになった。
もちろん、熱戦はラジオの実況中継だった。当時の相撲解説者は歯に衣着せぬ玉の海と、弁舌さわやかな神風が二枚看板だった。
ただ辛口では北の富士より玉の海が、また、滑らかさでは舞の海より神風の方が上だったように私は思う。
鏡里と大内山の相撲はどちらが勝ったか覚えていないが、母が斜め先の観客を指して、「よっちゃん、よっちゃん、あの人が双葉山よ」と教えてくれた。
大きな背中と横顔を見たが、紛れもなく69連勝の大横綱双葉山だと思った。
そして、大相撲は栃錦×若乃花(栃若時代)から大鵬×柏戸(柏鵬時代)、北の湖×輪島(輪湖時代)と二強時代が続いたが、その後はどちらかと言えば千代の富士、貴乃花、朝青龍、白鵬時代と続き、今や照ノ富士時代に突入して一強時代が続いているように思う。
さて、今場所はようやく、御嶽海が先行したが、木曜日・12日目に大栄翔に敗れて期待を裏切りつつある。なかなかモンゴルパワーに追いつけそうもない。
ところで、いつごろからか、もう一年以上前になると思うが、弟から土俵下に妙齢の美人がいると教えてもらった。
なになにと土俵以外の場所に視線を向けると向正面の左右赤房下・白房下の2列目のところが定位置のようだ。
時々勝負審判の近くにも座っている。
正座で背筋をピンと伸ばしている。
惜しむらくはマスクで顔全体が見えないことだが、さわやかな視線は美人に間違いないだろう。
毎場所毎場所追っかけのように土俵下に陣取る彼女は何者かと想像力を膨らませる。
ただ、今日の土俵下には彼女の姿が見えなかった。私の知る限り、彼女の姿を見ないことはなかったのだが、どうしたのだろうと心配になる。
白やグレーの肩からフリルのついた服をよく着ている。
関心のある方は探してみてください。
とそんなことの方に集中していたら照ノ富士も小結明生に負けてしまった。
追伸
謎の美人が気になってブログを上げるのを一日待っていたら、本日は赤房下の二列目に気品を漂わせた姿がありました。
初場所も今日は横綱照ノ富士、関脇御嶽海の両者ともに圧勝して11勝2敗で並んでいる。残り二番の取り組みが楽しみになった今場所の相撲の時間だ。
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