先日カミさんの運転手をして、熊山ふれあいセンターというところで開かれている
「詩誌『黄薔薇』創刊70年 --永瀬清子の創刊から現在まで
という企画展に行ってきた。
永瀬清子は我々が住む町の隣町熊山生まれの日本を代表する女性詩人ということだが、詩というものに疎い私には、あまりなじみのない存在だ。
熊山ふれあいセンターは車で3~40分のところにある。
熊山公民館の裏側にあり、一階がホールと事務室、二階が図書館になっている。
公民館とセンターの間には、清子の作品に登場する植物を植えた「詩の庭」がしつらえてあり、いい趣向だと思った。
約30種類の植物が植えてあるそうで、清子が創刊した詩誌『黄薔薇』にちなんで黄色いバラも植えてあるということだが、あいにく花を見ることはできなかった。
展示は二階図書館に向かう階段の壁面からもう始まり、永瀬清子の足跡をたどるような形になっていた。
この展示にカミさんは足跡がよくわかると好感を持ったようだが、私は大いに不満だった。
何と言っても日本を代表する女性詩人であり、地元の誇りである。
階段の壁や、踊り場に毛の生えたような展示ホールでなくもっと広く立派な展示場で開催できないものかと思った。
展示物は永瀬ファンにとってはおなじみのものだが、こうして大きな写真や現物を見ると訴えかける力は強く、永瀬さんのおおらかで物事にこだわらない気質などもよく伝わってきた。
続いて、近くにある永瀬清子の生家跡に向かう。
ここは永瀬清子生家保存会という団体がクラウドファンディングを利用して資金を集め、保存を果たした。
このことは以前「クラウドファンディング恐るべし」として記事に書いたことがある。
そんなことを思い出しながら細い田舎道を走り、生家跡に到着した。
ここは、月に2回の定例オープン日のほかは予約制で開けているそうで、今回残念ながらスケジュールが合わず内部を見ることはできなかった。
内部は見えなかったが庭や屋敷周りの様子は自由に見せていただいた。
まず、清子の詩にも登場する井戸。
この修復に寄付をした人の芳名録には辻井喬 ねじめしょういちなど高名な方も多く、俗人の私などはこれを見ただけで永瀬さんの偉大さを感じた。
井戸が母屋の中にはなく、いちいち戸外にある井戸まで水を汲みに行く生活というのがしのばれる。
そういえば私の生家も裏に共同井戸があり、水道が普及するまでは水汲みに近所の人が集い文字通り井戸端会議が開かれていたことを懐かしく思い出した。
そして取り壊された蔵のあと。
大口寄付者に宇野自動車の名も見えた。
通称宇野バスのこの会社は、バスファンには人気の会社。
永瀬さんが岡山県庁にある世界連邦に勤めていたころは毎日利用していたと言い、随筆にもたびたび登場する。
その縁だろうか、永瀬清子の二十四節気という企画でバス内にポスターの掲示があり、興味深く見ていたが、それが絵ハガキになったというのでさっそく注文した。
母屋は修復なり、今はサロンも開かれているとか。
また機会があれば訪ねてみたいと思いながら、家路についた。
ランキングに参加しています。気に入っていただけましたら
↓をクリックして応援してください。