6月5日 今日から三年ぶりにいとこ会男子部の旅である。
9回目になる。
三年前は五島列島3泊4日の旅を楽しんだ。↓
いとこ会男子部五島列島3泊4日の旅 - 退職老人 ここだけの話 (hatenablog.com)
集合は彦根駅。
岡山に住む弟と一緒に12時前に到着。
東京組は12時過ぎに到着した。
コロナで3年間の蟄居謹慎だったけれど、人の賑わいはほとんど日常に戻りつつあるように感じた。
改札口で待っていると東京組のMちゃん、Bちゃんが出てきた。
二人とも変わっていない。
Hちゃんはと問うと、後ろ後ろという。
待っているとHちゃんが杖を持ってとぼとぼと歩いて来たが杖に見えたのはビニール傘を杖代わりに歩いてきたのだった。
足腰がよほどに弱っているようだった。
我々はみんな70代になるが、子供の頃の呼び名で○○ちゃんと呼ぶ。
他人が聞いたら気持ち悪いだろうと思う。
日曜日とは言え、まだコロナ禍の影響が色濃いものと思っていたが、ここでも人出の多さに驚いた。
やはり高齢者が6割くらいと目立った。
我々ももうすぐ後期高齢者に手が届く、れっきとした高齢者であるが、どうも自分のことは除いて、観察してしまう。
幕末超強硬派の大老の城は硬派の城といってよい、威厳と主張を感じた。
天守に上る急階段は現代の高齢者に対する配慮が足りなさすぎるという批判も受けかねないほど屹立している。
いざ戦いとなれば、敵の攻撃を遮る構えなのだということは容易に理解できるのだが、平時にしか生きたことのない我々高齢者は不平たらたらに三層の天守を巡った。
もちろんしっかりした手すりが両サイドに設置されているが、何分にも階段が急すぎて、我らがH君は危険を察知して、早々とリタイアした。
お昼は伊吹そばつる亀庵で私は大根おろしそばを注文した。
赤こんにゃく、近江牛すじ煮込み、ビール中瓶、日本酒などいただく。
それから電車で近江八幡に向かった。
琵琶湖につながる水郷巡りだ。
高齢の船頭さんのゆったりした艪捌き、寡黙な語りがよい。
風に揺らぐ葦の先端に止まっているのがヨシキリ、葦のそばでじっと水郷の水面を見つめているのがアオサギ、水面を潜ったり顔を出したりしているのがカイツブリだと教えてくれた。
5人貸し切りの和船でのんびりと90分間を楽しんだ。
夜は近江牛を食べる。
しゃぶしゃぶ2人前、すき焼き2人前、ロースステーキ1人前、身内ばかりだから一緒に食べるのがいい。
私的にはしゃぶしゃぶがおいしかった。
今夜の話題は我々の曽祖父のこと。
曽祖父は明治時代警視庁の巡査だったことは父母から聞いていたが、そのことについて、本家筋にあたるMちゃんから以前、曽祖父は朝鮮国の官吏だった金玉均が朝鮮政府の転覆事件に失敗して日本に亡命し、日本国内を転々としていた時、小笠原諸島にも渡ったが、その際、曽祖父は金玉均の護衛の一員として小笠原に随伴したようだ。
その時に金玉均から自筆の書をもらって今もあるという話を聞いた。
そのため、雑誌の編集長をしている弟のYが国会図書館にあった当時の警視庁所轄署関係の職員名簿を調べて曽祖父の名前を確認したと名簿のコピーを配った。
ひ孫たちは感慨にふけって名簿を眺めた。それは明治10年の名簿だった。
弟によれば、それ以降名簿記載の方法が変わり、下級官吏の名簿記載がなくなったため、いまのところ、曽祖父がいつまで警察官として在籍していたのかはわからないということだった。
そして、曾祖父母から祖父母、おじおば、いとこ、甥、姪と話は尽きなかった。
その時、Hちゃんの携帯電話が鳴った。
義兄からの電話のようだった。
80代の義兄夫婦の老いの生活の不安な様子をそばで聞く年下のいとこ達。会話を聞きながら、Bちゃんは涙ぐんでいた。
心優しいいいやつだ。
我々も直に、そんな不安な老後を迎えるのだと思った。
ホテルに戻ってからHちゃんの部屋で二次会。10時過ぎに解散。
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