三度目の無言館展に行きました 岡山県瀬戸内市美術館にて

無言館展入口の掲示物 


6月28日、今日は10時30分過ぎに家を出て、カミさんと一緒に瀬戸内市美術館に行く。

現在開催中の無言館展を鑑賞する。

瀬戸内市立美術館はかつて交易などで賑わい、今は日本のエーゲ海としてオリーブ園とヨットハーバーで人気の瀬戸内市牛窓にある。

 

無言館展を鑑賞するのは、三度目になる。

 

最初は2006年か07年だったか、岡山駅西口の岡山市デジタルミュージアム(現シティミュージアム)で見た。

太平洋戦争に召集された戦没画学生の遺作展だった。

太平洋戦争に従軍した親に育てられた我々がまだ現役だった時代で、直接の戦争は知らずに育ったが、その影響は間接的に肌で知っている最後の世代であり、そうした人たちを多く集めた。

 

ちょうど首長が交代した時期で、新しい首長は、この美術館の在り方や名称などについて批判的だった。

私は、無言館展の開催は四国や山陰からも集客してにぎわったことや、中四国の結節点としてのターミナル都市としてこうした展覧会の開催の意味は大きいように思うと、やんわりと反論したことを覚えている。

 

会議が終わって、しばらくして、廊下ですれ違った美術館の職員だと名乗る職員が、美術館の存在を支持してもらったと感謝の言葉を述べた。

もう少し丁寧に対応してあげればよかったと時々思い出す。

私には照れもあったし、主張はしたけれど、首長への反論するような態度に後ろめたさもあったのだと思う。

でも、こうした話がすぐに庁内に流れていることに驚いた。

 

 


二度目は2012年、姉弟会で長野県を旅行した時に、本拠地上田市無言館に行った。

 

本拠地で買った画集と、今回の入館券

 

そして、今回が三度目だった。

 


瀬戸内市美術館は鄙にはまれな、きらりと光る企画展を開催して、隠れたファンが多い。

今回の巡回無言館展もロシアのウクライナ侵攻という暴挙が続く中で、戦争と人間というテーマを切り取ったグッドタイミングな企画だと思った。

ウイークデイ、車がないとなかなか行きにくい場所であり鑑賞者は決して多くはない。それでも、火曜日の昼時、常時40人ほどの入館者だった。

もちろん高齢者が圧倒的に多いのは仕方がないだろう。

入場料は800円だが、65歳以上は700円だった。

最近は高齢者割引サービスも少なくなったが、やはりうれしい。

 

さて、今回は展示物の撮影は禁止だった。

入口のあいさつ文は職員に聞くとOKということで、写真を撮らせてもらった。

先日のポンペイ展では撮影可だったのが懐かしい。

今回は90作品の展示だった。

瀬戸内市美術館は一階の外付けのエレベーターに乗り一気に4階まで行く。

扉には美術館のある牛窓の町のオリーブ園の風景などが描かれている。

4階が玄関になっている。

今回は4階と3階の会場だった。

瀬戸内市立美術館に向かうエレベーターの扉

内部には4階と3階の会場だけを往復するエレベーターもあった。

足腰の弱い高齢者のための仕様となっていた。

 

 

今日も母の教え(展覧会では全部を見ようとしても疲れるだけよという口癖)に従って、心に残る作品を選びながら鑑賞した。

 

まず、小野春男の内面の混沌を想像させる自画像に目が留まった。

 

小野春男は岡山県笠岡市出身の、近現代を代表する日本画家小野竹喬の長男だったことも惹きつけられた理由でもあった。

日本画とは異なるタッチで描かれた自画像を残した意味は深いように思われた。

 

それから興梠武「編みものする婦人」は奥さんの絵と思ったが、メッセージを読むと妹が編み物をする絵だった。

トップの写真の掲示物にとりあげられている。

妹への優しい愛情にあふれた絵が余計に時代の緊張感を投影していると思った。

 

そして、3枚目は市瀬文夫「裸婦」、やはりいくつになっても、女性の裸身は気になるものだ。

ただ、いわゆる豊満や優美などとはかけ離れた女性の裸像を描いていて、それはそれで時代の現実感を映し出しているのだと理解した。

 

そして我々は3階に降りた。

3階の会場に入る手前の視聴覚室ではNHK日曜美術館のビデオを放映していた。

10人くらいの人が見ていた。

我々も空いた席に座った。

 

その中で日高安典「裸婦」についての特別な思い出が語られていた。

あれ、これは展示室にあったものだと思ってしまった。

ビデオではそのモデルになった女性が50年後に無言館に来館し、感想ノートにしたためた感想を館主の窪島誠一郎氏が朗読していた。

その女性は戦没画家の恋人で裸婦のモデルとなった。

画家は戦死し、恋人は戦後も独身で、戦後50年後に自分を描いた絵と再会するというストーリーだった。

私は感激して、確認しようと再度展示室の絵の前に立ったが、ビデオの裸婦とは違う作者の絵だった。

まあ、その程度の平凡、愚鈍な私の鑑賞眼を再確認したのだった。

 

美術館を出たのはもう午後1時を回っていた。

 

スマホでイタリアレストラン・ロッサを見つけて、遅い昼食をとる。

 

ロッサ 入口


人気店のようで、順番待ちの記入表は2ページにも渡っていた。

流石に私たちが入ったときは、待っている人はなく、片付けますのでしばらくお待ちくださいと少しだけ待った。

店内は4人掛けテーブルが8席くらいあり、まだ4組くらいお客さんがいた。

 

ロッサ店内からの眺め


窓側の席から外はすぐ海で、300メートルくらい先にヨットハーバーがあった。

私たちは牛窓マッシュルームと黒ベーコンのマリナーラというパスタと、ピザマルゲリータをシェアして食べた。

 

写真は(rossaushimado.com)からお借りしました。


ゴロンと四つ切になったマッシュルームの歯触りが格別だった。

ソースも大変美味しかった。

コーヒーが付いて、二人で2600円とこれはお値段以上だ。

調度や小物類など、お店のセンスもいい。

海賊の宝石箱かと思ったら、砂糖入れだった。




牛窓に来たらまた行こうと思った。

 

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