生まれ故郷にさよならの旅(続編)

ホテル玄関広場の山桜


それから一路私の生まれ故郷の広島県東城に向かった。

高梁からは国道180号線を北上する。

国道180号線は高梁川と伯備線に挟まれている。

岡山県北の交通の結節点新見市を通過。

ここは岡山から米子・松江方面に行く伯備線と津山・姫路方面に行く姫新線、東城・広島方面に行く芸備線が走っている。

といっても芸備線の新見(正しくは備中神代~備後落合)~備後落合は廃線の協議が進んでいる。

新見から東城間も中国自動車道は使わずに懐かしい下道を通って行った。

東城の街に入るととりあえず変貌した街の様子を車で走った。

姉たちにとっては母の葬儀以来、ほぼ30年ぶりだろうか。

 

我が家は先年解体撤去したので、その跡地を訪ねた。

少年時代の我が家の何と小さかったかと今更の感慨だった。

それから本日の宿泊地帝釈峡休暇村にチェックインした。

 

ホテル前

 


ホテルの玄関に5~60名の男女の高校生の一団が入って行った。

「あー今夜は高校生と一緒か」と少しうっとうしい気持ちがよぎった。

高校生たちは統制のとれた二列縦隊で整然と進んでいた。

フロントに入り高校生たちはすれ違うたびに口々に「こんにちは」と元気な声をかけてくれた。

久しぶりに礼儀正しく挨拶ができる若者たちの声を聞きながら清々しい新鮮さを感じながら挨拶を返した。

高校名を聞くと地元の油木(ゆき)高校とすぐに答えた。

今日は宿泊研修なのだろう。

こうした場合は食事はバイキングで仕方がない。

混雑解消対策に、入浴も食事も一般客との間に時間設定が配慮されていた。

でも我々が食堂に入ったときは旺盛な男子高校生はまだ食事をしていた。

我々6人は食堂につながるホールを案内していただき、高校生や一般客とは独立したところで食事ができたけれど、バイキング料理を取りに行って戻るには少しだけ遠かった。

それでも、後期高齢者の先頭と思われる2人の姉はかいがいしく料理を運んでいた。

私は高校生が並んでいた、石灰岩ラーメンを順番で食材をすくって運んだのが失敗だった。

取り過ぎて、それだけでお腹がいっぱいになった。

もちろん、そのほかの料理も少しずつ食べた。

ここはこんにゃくの産地でこんにゃく料理が多い。

隣に座った長姉がもう食べられないと言った広島牛のステーキひと切れをもらって口にした。

なかなか美味しいステーキだった。

その頃にはビール2ジョッキ、日本酒の三銘柄のセット2杯ずつ飲んで出来上がった。

でも今夜は部屋飲み。

フロントの売り場で地元の超群4合瓶や缶ビールなど買った。

幹事部屋に戻る途中、広間では高校生が夜間講習を受けていた。

我々は恒例の高齢者の2次会となった。

 

翌朝も休暇村一帯をウオーキング。

桜は散り始めから六分散りで、花が小さく山桜かと思いながら写真をとった。

今朝は姉様たちには出会わず、戻ってひと風呂浴びた。

大浴場を独り占めしながら正面に見える桜の大木と遠くの中国山脈の山並み眺めた。

しばし、この地を自転車で往復した少年時代を思い出した。

 

朝食はもちろんバイキング。

今朝は姉様たちはパン洋食風、私たちは和食風、ただ弟は最後にカレーライスを食べた。

弟は毎朝カレーライスを作り、食すというカレー通。

食事にはうるさい方だが、カレーライスは特にうるさい。

食後感を尋ねると即座に「まずい」と顔をしかめた。

桜橋の塗り替え完了

午前9時過ぎチェックアウト。

今日はまず、それぞれの思い出多い「帝釈峡」を訪ねることにした。

帝釈峡の中心地は犬瀬。休暇村から犬瀬はすぐそこ。

犬瀬を起点に20人ほどが乗船できる遊覧船で帝釈峡の湖畔を遊覧できる。

犬瀬には昔はお土産店や飲食店が10店舗くらい並んでいた。

周辺には旅館、ホテルなども点在していた。

駐車場も有料だったように思うが、現状は無料駐車場になっていた。

午前9時過ぎ、人の動きはまったくない。

犬瀬の名物オオサンショウはは健在だった



東城福山間を走っていたニコニコバス(現中国バス)も廃止されており、路線バスの通らない観光地は滅びゆく観光地だ。

我々が滞在中に車は数台通ったけれど、観光客も地元民にも誰にも会わなかった。

桜橋を渡って猿をえ付けしていた猿山に向かったが、山道は荒れてとても登れるようではなく途中で引き返した。

来週には湖水開きがあるというポスターが貼ってあったけれど、人は集まるのか心配になった。(続く)

 

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