今回の姉弟旅行は生まれ故郷にさよならを言う!

備中松山城

今日から2泊3日で姉弟旅行。

ただ、今回は生まれ故郷に帰る最後の旅と銘打って、いつものように4人姉弟と弟たちの連れ合い2人の6人だ。

一番若い弟は74歳、弟の妻は71歳、一番上の姉が87歳、次姉が83歳、私が77歳、妻が76歳。

6人乗りレンタカーを弟が運転する。

姉たちは千葉からやってきて、岡山に着いた後、先年亡くなった義兄の姉の墓参りに行くので、本日は夕方、岡山駅に全員集合の予定だ。

 

午後3時ころ、弟から電話あり。

もうすでに今夜一緒に泊まるプラザホテルにチェックインしたという。

気が早いが落ち着かないのだろう。

まだ、姉たちからは何の連絡もなく、私たちは、電話があり次第、集合場所を決めて向かう予定だと伝えた。

と言ってもなかなか来ない電話を待つ身には、落ち着いていられなくなり、午後3時40分のバスに乗って、岡山駅に向かった。

4時30分過ぎに駅二階にある待合ベンチに座り、連絡を待った。

5時10分過ぎに姉から連絡が来た。

岡山駅に到着して、まだ早いだろうと勝手に思い、喫茶店に入ってお茶しているところだという。

先に電話するべきだったと恐縮した言葉を連ねて謝っていたが、すべては年のせいだからと怒るつもりはない。

 

お店の名前を聞き、迎えに行く。

弟に姉たちの到着を連絡し、タクシーでホテルに向かった。

ホテルにチェックインして、全員集合。

今夜は岡山駅西口近くにある「Ryoutei」という居酒屋で会食をする。

 

少し休憩して、再びタクシーに分乗して、「Ryoutei」に向かった。

「Ryoutei」は基本コース9品に飲み放題が付いて5200円、料理の品数を加えて6000円、7000円と高くなるが、我々高齢者には基本コースで十分な品数。

もちろん高級料亭のような珍味や料理人のプロの技や味を堪能するような種類のお店ではない。

が、完全個室制で、ゆったりとして自分たちの世界が確保されるのがいい。

アルコールや飲料はタブレットで注文するシステムだ。

ただ、料理がベルトコンベアーで運ぶように出てくるので、食べるのが忙しい。

2時間があっという間に過ぎた。

姉弟の話は孫たちのことが中心だ。

長姉のところの今年生まれたひ孫の女の子の話に移った。

明日からの生まれ故郷への旅のため、今夜は大人しくそれぞれの部屋に引き上げた。

 

翌朝、午前6時前に起床。

6時過ぎにウオーキングに出発。

後楽園の外周を流れる旭川の東側河川敷を歩く。

大勢の人達が歩いていた。

後楽園の外周とは言うけれど、後楽園は元々は旭川の大きな砂州の中に園庭を築庭するとともに、非常時のための田畑や茶畑なども備えたのだと聞いたことがある。

水戸の「偕楽園」、金沢の「兼六園」とともに日本三名園の一つと称されている。

 

東側河川敷は支川を真ん中にして幅100メートル以上ある。西側から歩いて東側に渡る橋を渡って一周し土手の上に登ったら、ちょうど姉たちがやってきた。

いつもはもっと早くから歩くと思っていたので声をかけなかったが、今日は遅くなったと言った。

昨日の強行軍が響いているのかもしれないと思った。

「折角だからお供します」と言って、一緒に再び来た道を引き返した。

ハトとカモが仲良く朝食

途中、カモとハトが仲良くえさをついばんでいる光景を見せると、80媼は子どものように喜んで写真を撮った。

え付けをされているわけではないのに、傍を通っても全く逃げない。

人間を恐れない。

こんなカモやハトは初めて見たけれど、姉たちは「岡山の皆さんに優しくされているのねえ」と持ち上げてくれた。

 

今朝は9階レストランで朝食。

80代の姉たちは和食。

70代の若い4人は洋食。

カミさんはエッグベネディクトを大変楽しみにしていた。

私は初めて食べたが大変おいしくいただいた。

弟はレンタカーを取りに行ってくると先に席を立った。

いくつになっても弟は弟、力仕事や運転などは弟任せ、頼りになる。

 

午前9時チェックアウト。

弟が借りてきたレンタカーはトヨタシエンタの6人乗り。

少し小さかったが、これは私が希望した。

何しろお墓参り、田舎道の狭隘な道もあり、運転のうまい弟だけれど無理はさせられないと思ったのだ。

まず一路、私たちの両親や幼くなくなった兄姉の眠るお墓に行く。

お墓は母が亡くなったときに故郷から私の居住地に移したのだった。

あれからすでに30年以上たつけれど、お葬式もお墓事情も様変わりした。

小さなお葬式や墓仕舞いが一般的になりつつある。

 

母は生前、岡山駅から気軽にお墓参りできるところにお墓を作ってほしいと願っていたけれどこういう、姉弟仲良くの墓参を父も母も喜んでくれただろうと思った。

 

といいながら、お墓参りをそそくさと済ませて、さあ、これから故郷、広島県東城に向けて出発となった。

まずは一路高梁市へ。

 

山陽自動車道山陽インターから山陽自動車道〜岡山米子道の高速道路を走る。

高梁市では要望の多かった備中松山城に登る。

私は30代の頃相当上まで車で登った記憶があったが、現在は山の中腹の第一の関門所で監視員に止められて、2/3のところにある最終駐車場への順番待ちをする。

そこで10分ほど待って、監視員からゴーサインが出て4台ほどの車が最終駐車場に登って行った。

山登りだから80代媼は大丈夫かなと見ていたら、何と87歳の長姉が一番元気だった。

 

もちろん弟は最盛期はフルマラソンを3時間を切る記録で走っていたアマランナー。

姉たちも4,50代にはホノルルマラソンなども走った健脚なのだ。

ただ、血のつながらない我々の連れ合いたちはばてていた。

うちのカミさんはのろい足が倍遅になっていたし、一番若い弟のカミさんは弟に手を引かれて登っていた。

 

松山城の現在の城主三毛猫の「さんじゅーろー」が籠の中で寝ていた。

猫城主サンジュウロウ

猫好きの姉たちはここでも大喜びで寝ている「さんじゅーろー」をなでなでしていたけれど、注意事項に感染予防のため「ふれあい禁止」とさせていただきますとあった。

松山城では姉たちが早々と天守閣のてっぺんまで上がっていた。

血のつながらないお嫁さん二人は登城を断念したのかと思っていたが、後からカミさんから、松山城には登ったけれど天守閣のてっぺんには登らなかったと聞いた。

 

松山城を巡って、お昼は高梁観光センター駐車場の中にある日本蕎麦「方谷庵」を予定していた。

お勧めの美味しい蕎麦だ。

けれど、あいにく今日は休業日だった。

次に候補に挙げていたお店も休店日。

どうも高梁の町は木曜休業のようだった。

 

開店中のお店を探しているとお好み焼きの五万石というお店があった。

松山藩が5万石だったので名付けたのだろう。

もうこれっきゃないということで、飛び込んだ。

私はお好み焼き定番の豚玉、カミさんはお店お勧めのインディアントマト焼きそばを注文した。

後から、お店の評判を見たら、高梁でお勧めの店ナンバーワンのお店だった。美味しいお好み焼き、焼きそばを頂きました。

 

それから一路私の生まれ故郷の広島県東城に向かった。

 

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