午前7時前にウオーキングに出る。
一階に降りるとロビーで、幹事のBちゃんが朝食をとっていた。
昨日は8時15分集合だったので意外だった。
とりあえず、藏前通りに向かった。
確か義兄のマンション形式のお墓が近いのではないか、ちょっと探してみようと思った。
少し歩いてみたが同じような通りが多く見つけられなかった。
ホテルに戻って食事に行くとMちゃんと一緒になった。
義兄のお墓のことを話すと東京・埼玉3人組も以前参ってくれていた。
Mちゃんが、「近いと思うからお参りしようよ」と言ってくれた。
弟に話すと、多分わかると言う。
とりあえず、今日はまず墓参りをしてから計画どおりに行くことになった。
義理人情に厚い5爺なのだ。
チェックアウトしてから弟について歩いた。
今朝一人で歩いた方向と一緒だったが、お墓のマンションに近づいたところで右折したその先に、墓所マンションがあった。
時刻は9時過ぎ、入り口のオートドアは開いてロビーには入れたが、お参りは10時からとあった。
5人並んで頭を下げていたら、職員が出てきて、お参りは10時からで納骨堂に上がるエレベーターは動いていないと説明してくれた。
我々はここでお参りさせてもらったからと退去したのだった。
今日はこれから新橋・代官山にあるNHK放送博物館に行く。
新橋までは地下鉄。
代官山に歩いて登るのは高齢者には大変という配慮でタクシーを利用した。
渋谷にあるNHK放送センターははとバスの東京観光で子供たちが小さいころ見学したことがあったが、NHK放送博物館は初めてだった。
入館料無料が有り難い。
90%は高齢者と言って過言ではないよう。
皆さん色々調べて探してくるのだろう。
10時過ぎ来館者は次々と訪れていて、エレベーターに乗り切れない高齢者であふれた。
見学フロアーは1階から4階。
朝の連続ドラマの展示は懐かしく盛り上がった。
誰かが朝ドラが1年単位から半年単位に変わったのはいつごろかというクイズを出した。「おしん」は確か1年間あったから、それ以降半年単位になったのだろうという答えが大勢を占めた。
調べてみると「おしん」は第31作昭和58年度放送で、NHKテレビ30周年記念作品で1年間放送だったのだと知った。
昭和49年度第14作「鳩子の海」まで1年間放送だったが、昭和50年度からは前期と後期に分けて放送するのが基本となったとあった。
外に出ると秩父バスの大型観光バス3台が駐車場に止まっていた。
昨日まで秩父を歩いていて懐かしかった。
博物館の入場者が多かったのは秩父のじいちゃんばあちゃんのお蔭だった。
バスの表示を見ると年金者連盟と貼られていた。
愛宕山には愛宕山神社がある。
ひと回りすると急傾斜の石段があって、老婦人が息を切らしながら登ってきた。
講談に出てくる間垣平九郎はここを馬で駆け下りたのだろうかとMちゃんと話した。
怖くてとても歩いて降りる気にはなれなかった。
降りていく道を探して歩いて行くと愛宕山下に降りるエレベーターがあった。
ただ、利用者は少なく、我々5人以外に誰も乗らなかったし、1階に降りても待っている人はいなかった。
少し歩いて、タクシーを拾った。
これから銀座にある餃子の「天龍」でサヨナラランチだ。
中華料理店「天龍」は私は初めてのお店だった。
ジャンボ餃子が売りのようだ。
11時過ぎだったが、すでに行列ができていた。
確かにジャンボ餃子は大きい。
普通の餃子の3倍くらいあった。こんな大きな餃子食べられるかなあと思った。
一皿8個あり、2皿とったが、人気があるのがわかる豊富な具材がいっぱい入ってなかなかいけた。
結局もう一皿追加したのだった。
Mちゃんは胃のない腸の胃がひりひりするという。
ビールは刺激が強すぎる。
いつもは日本酒だが、日本酒は置いてないと言う。
それなら紹興酒でもと頼んでみたが、やはりひりひり感は続いて、飲み欲も食欲も低下しているようだった。
問題は試しにと一番安い紹興酒にしたからではないかと幹事のBちゃんは指摘され、上から二番目に高い紹興酒をとりあえず頼もうと言うことになり、グラスを頼んだ。
それでも、Mちゃんはやっぱりひりひりすると言う。
どれどれと私も飲んでみた。
すると、安い紹興酒とは違って、まろやかで断然うまかった。
「こりゃあ、うまいぜ」と幹事のBちゃんにいうと、「確かに」と肯いた。
Mちゃんはもういいと言った。
生来のん兵衛の私たちはすでに酔いが回って、Mちゃんのことはそっちのけになった。
私が紹興酒ボトルでもう一本と言うと、Bちゃんは安いんでいいかなと弱気なことを言った。
私は、「今更、何を、上から2番目だよ」と言い放ったら「ま、いいか」とのん兵衛たちはMちゃんの気も知らずに上から2番目の紹興酒を瞬く間に平らげたのだった。
「天龍」を出てから有楽町駅に向かってそぞろ歩いていくと交通会館があった。
お茶して解散しようということになり小さな喫茶店に入りカウンター席に五爺は並んで座った。
コーヒーを飲みながら、幹事のBちゃんはお店のマダムに荷物になっていた、缶ビール6本を差し出して、
「これもらってくれる。もう重くて困っていたんだよ」となれなれしい口調でお願いすると、途端にマダムの表情や言葉遣いが変わって喜びがあふれた。
私は交通会館に同郷の高校の同級生が居酒屋をやっていることを思い出した。
ちょっと寄って行こうと誘った。
ただ、Mちゃんは流石にここで帰ると言った。
Mちゃんの心意気でここまで一緒に歩いてくれたのだ。
Mちゃんの後ろ姿を4爺が見送るのは初めてだった。
それから、同級生の居酒屋をのぞいたが、留守番の男性が今はお昼はやっていない、女将さんは夕方に来ると言ったので断念した。
それでものん兵衛たちはまだ少し心残りがあり、地下街を歩いていると明治23年創業大衆飲み処徳田酒店を見つけ入店した。
皆もうすっかりお腹もアルコールも出来上がっているのだが、去りがたく、と言うよりも、我々の空港の時間がまだ少しあることを考慮してくれて付き合ってくれたその気持ちに感謝して、ささやかな別れの宴を催したのだった。
瓶ビール大5本、カツオのたたき×2、しめ鯖とわかめ酢の物×3で締めくくった。
飛行機は17時30分羽田離陸。
岡山空港に到着するとロビーには乗り合いタクシーの運転手が横断幕を持って待っていてくれた。
乗客は帰りも私一人だった。
今回も変化に富む、いとこ会男子部の秩父、浅草界隈グルメ旅を堪能した。
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