翌日は午前6時前に起床。
いつもより1時間ほど遅くなった。
それからいつものようにウオーキングに出かけた。
まず、松江城まで行ってみようと向かった。
宿の近くに堀川遊覧船の乗り場があった。
カミさんは2度乗ったことがあるそうだが、私は乗った記憶がない。
遊覧船乗り場を通って県庁方面に歩く。
松江城は県庁の北側にある。
松江には旅行や出張で10回以上来ている。
けれど、最後に来たのは再就職先の出張の時だから12年も前だ。
松江城にも3~4回上っている記憶があるが、どのような経路を通って登ったか思い出せなかった。
大手門から天守閣の下まで登って行った。
それにしても国宝松江城は、城郭や櫓が残る美しいお城だと改めて思った。
松江神社や興雲閣などを通って降りていくと島根県庁の北側に出た。
近いと思って歩いたコースだったが、いつも通り1時間近くのウオーキングとなった。
朝は私もシャワーを浴びて汗を流した。
さて、朝食だ。
この系列のホテルは夕食はやっていない。
朝食だけというのも一つのコンセプトだと思う。
とくにこのホテルの周りは夜は6時ころから居酒屋、蕎麦屋、和洋中の食堂がたくさん並んでおり、ホテルが夕食を巡って競合することはないとスパッと切り捨て、朝食に特化する姿勢はなかなかの経営方針ではないかと思った。
そして、メニューの種類の多さと美味しさも十分に満足できるものだった。
その上、チェックアウトは13時30分、ゆっくりホテルライフを楽しんでくださいと客の心理をつかむ見事なまでの自信が見て取れた。
ただ、私たちは8時30分にチェックアウト。
これから松江しんじ湖温泉駅から一畑電車に乗り出雲大社に詣でる。
以前テレビの鉄旅でタレントが一畑電車で旅していて、今回が最後になるだろう、一畑電車に乗ってみたいと思った。
ホテルからしんじ湖駅まで500メートルくらいと勝手に思っていたけれど、実際に歩いてみると20分以上かかったので、1キロくらいはあったようだ。
午前9時、すでに夏の強い日差しを浴びて日傘をさしているとはいえ、カミさんはすっかりくたびれていた。
何とか9時16分発、電鉄出雲市行に間に合った。
出雲大社には川跡駅で特急に乗り換え出雲大社前駅に到着する。
1時間ほどのローカル民鉄電車の旅だ。
陽射しが当たらない席に座った。
正面に宍道湖が見える。
宍道湖がこんなに大きな湖だということに初めて気が付いた。
車窓から人が住まなくなった廃屋を何度も見た。
客はそれほど多くはない。
それでも日中も一時間に1本は走っている。
朝夕は2本走る場合もあるようだ。
これなら何とか住民の足として使える。
私の故郷の廃線問題を協議する芸備線は1日3本ほど。
列車を走らされても乗る人がいないと言われても一日3本では住民の足としては使えないというのが実際だろうと思ってしまう。
10時18分出雲大社前駅に到着した。
出雲大社には3度か4度目だ。
壮観な堂々とした景観に感動した記憶があったのだが、今回参拝して、はて、こんなに小ぶりだったかしらと記憶の頼りなさを不思議に思った。
それはカミさんの印象とも合致していた。
年を重ねて、神社仏閣の数も多く見てきた。
この違いは年輪を重ねてきたことなのかと思った。
出雲大社で孫たちに「えんむすび」と「学業成就」のお守りを買った。
参内を終えて、参道を歩いていた。
出雲市駅へのバスは1時間に1本、先ほど出たばかりで1時間待ちだ。
横道のタクシー駐車場にタクシーが1台止まっていた。
急いでタクシーのそばに行くとドアが開いた。
女性の運転手は親切だ。
降りてきて、キャリーケースをトランクに積んでくれた。
出雲市駅までというと大変喜んだ。
数分で着くだろうと思って「何分くらいかかる」と聞いたら、20分はかかるという。
そんなに遠いのかと初めて知った。
でも出雲の女性のやさしさ、感じよさをしっかり知ることができた。
岡山から来たと言って、吹奏楽コンクールのことを話した。
中学校の部では島根県の中学の2校が全国大会に出場すると話すと島根大学教育学部に特音のコースがあった伝統で特に中学校の音楽は強いと説明してくれた。
運転手さんが岡山出身のシンガーソングライターの藤井風の大ファンということで話が盛り上がった。
タクシー代3000円強は予定しない予算超だったけれど、いい思い出となった。
特急やくもは出雲市駅始発。
1時間に1本出ている。
8分前に到着。
カミさんが切符を買い、私が駅のコンビニでサンドイッチとビールを買って、ようやく間に合った。
初めて新型やくもに乗車したカミさんは満足げだった。
確かに新型やくもは座席はすべて指定、座席はゆったり広い。
車いす席も1列車に2席備え、トイレも車いすごと入れる。
ユニバーサル仕様だ。
倉敷駅から外国人が大勢乗ってきた。
車掌が飛んできて、英語で受け答えしていた。
特急列車で特急券や指定席券がいると説明して、超過料金を徴収していた。
インバウンド時代、英語は必須なのだなあと改めて時代の変化を見て聞いて知った。
久しぶりのショートトリップだったが、いろいろ感じることの多い、旅ができた。
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