ロシアのウクライナ侵攻は1年を過ぎても先の見通しは立たない。
ロシアとしては、ウクライナはかっての同胞とはいえ、属国ほどの意識しかなく、プーチンは当初、3日もあれば片が付くと高をくくっていたという。
確かに、ウクライナのゼレンスキー大統領の不屈の闘志と国民を統率する強いリーダーシップ、そして演劇人として育てたパーフォーマンスと巧みなプレゼンなどで国民のみならず、世界の民主国家や国民そして虐げられた立場に立つ人々などの共感を得て、驚異的な戦いを続けているのだ。
私は団塊の世代だ。
我々の世代は戦争を知らない子供たちとして、反戦反安保、正義感がキャッチフレーズで、日米安全保障条約改定では、反米思考に共感する一員だった。
それは、世界の警察官として君臨するアメリカの強大さと差別的な日米安保条約の内容と戦争への傾斜に懸念する考え方からだった。
ただ、アメリカ側からしてみれば、なぜ、日本国を守るためにアメリカ人が命を懸けて戦わなければならないのか、戦う側からすれば、どれだけ金をかけて守ってやらなければならないのか、少しぐらいの不平等があったとしても目くじら立てることではないではないかという気持ちはわからないでもない。
ただ、当時のアメリカ合衆国は世界の警察官を自らかって出ていたのだ。
ソ連を中心とする共産主義との対立が沸騰し、冷戦に進む過程では、日米安保体制は必然だったともいえる。
こうした状況を、太平洋戦争を帝国陸軍の将校として戦い、戦後は公職追放となり、生活苦にあえいだ父は、よく「寄らば大樹の陰よ」と言った。
小心な私ではあるが、父のこうした言葉に反発した。
父が言うには、強いものにはあらがっても無駄だ、という一点だった。
父は太平洋戦争はどう抵抗しても勝てるはずのない戦争だったとよく言った。
連合艦隊司令長官の山本五十六も、初戦の奇襲作戦で勝利を上げることはできても、短期決戦に勝利し停戦講和を結ぶことを目指していたという。
アメリカと日本の国家の彼我の国力差(国民総生産)は日本の12倍。
石油の生産量は700倍、銑鉄生産量15倍など、ほとんどすべてにわたって、その力の差は歴然としていたのだ。
こうした観点から、現在、戦われているウクライナとロシアの戦いを見ると、落ちぶれたとはいえロシアのエネルギー資源や食料生産量は強大であり、生きていく最低限度の物資は保有しており、戦いのための継戦能力は十分なものがある。
まして、現在の戦いはすべてウクライナ国内の限定戦を余儀なくされており、ウクライナ国内の主要都市の多くは焦土と化すか占領地として支配されているのだ。
これを覆し勝利し、有利な停戦に持ち込むことができるというのはどうすればよいのか、誰しも答えが出ない状況に追い込まれていると言っても過言ではない。
恐らく、ロシアにクーデターが起こってプーチンを倒す勢力がいたとしても、民主的な勢力として平和を希求し、ウクライナ戦争の非を認め戦後賠償を償うような勢力の実現はまったく現実的ではないだろう。
この5月、6月にはウクライナの反攻が始まると言われているが、完全な勝利を得ることの難しさだけが頭をめぐる。
西側陣営のほとんどの人々がこの無謀なロシア・プーチンの戦争に対して、理の通る解決に導きたいと願い、今のところ可能な最大の支援を続けているが、さらなる長期戦が続くとき、いずれ支援を続ける国家間の体力を超えてしまい、支援策が尽きてしまうことは想像に難くない。
恐らく、今年中に、ウクライナにとって劇的な勝利が明らかにならない限り、明日から始まる広島でのG7でどのような一体的、全面的ウクライナ支援を宣言しても絵に描いた餅に終わる可能性が高い。
プーチンはその状況が来るのをほくそ笑んで待っているに違いない。
「それみろ、寄らば大樹の陰で、生きていればいいものを」と。
そして、このような理不尽なことが許されていいのかと多くの人々はこの戦争を傍観しながら思いをはせる。
泉下で眠る父はどのように言うのだろうか。
やはり「寄らば大樹の陰だよ。仕方ないよ」と言うのだろうか。
とここまで書いてきて、ウェブニュースを見たら、ゼレンスキー大統領がG7広島に来日するというニュース飛び込んできた。
ゼレンスキー大統領のこの行動に、西側支援国家はいよいよ抜き差しならぬ状況に追い込まれていく。
役者はそろったけれど、戦地では死者が累々と積みあがっていく。
「どうする家康」ならぬ
「どうする西側支援国家」だ。
「どうする正義」だ。
「どうする、どうする、どうする」神はいないのかと叫びたくなる!
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