本格的な春が待たれるこのごろ
新型コロナウイルスの恐怖が世界を席巻している。
今日の表題をコロナ襲来と命名したのは、ある日突然太平の眠りを打ち破るような外敵が現れて、その時代時代の人間たちが慌てふためく歴史的な事件を思い出したからだ。
その一つは1200年代、鎌倉時代の蒙古襲来が思い浮かんだ。
突然、大陸からやってきたモンゴル帝国の大船団に鎌倉幕府は上を下への大騒動になったに違いないが、蒙古軍の2度の来襲は幸運にも神風が吹き荒れて、大船団を壊滅させたのだ。
もう一つは幕末の黒船来襲だと思う。
嘉永6年(1853年)7月浦賀沖に現れたペリー提督率いるアメリカ艦隊は4隻からなる船団で、旗艦は黒塗りの外輪船で帆と外輪と蒸気機関で航行したという。
人々はその様子から「黒船」と呼んだという記事があった。
ペリーは開国を促すアメリカ大統領の親書を手渡し開国を求めたが、幕府は「将軍が病気のため決定できない」と一年の猶予を要求した。
ペリーは「一年後に再度来航する」と告げて去ったのだ。
翌年嘉永7年1月(1854年)一年を待たずペリーは6隻の大船団で再び浦賀にやってきた。
アメリカ合衆国の圧倒的軍事力の前に、3代将軍徳川家光以来200年以上続いた鎖国政策が終わりを告げたのだった。
そして今回のコロナ襲来もダイヤモンド・プリンセス号というクルーズ船でやってきた。
島国日本ではいずれの危機も船でやってくるのだった。
グローバル時代を象徴するように、この船の船籍はイギリス、運営会社はアメリカ、発着地は日本と別れており、法的な権限や管理責任などの解釈が船の位置などで変動するなどややこしく、責任体制の有り様なども各国の思惑が透けて見えていた。
ただ、乗客の大多数が日本人であることや、クルーズ船が日本の港を発着し日本に戻ってきたところでは何といっても無下に帰港を断ることはできないことは当然のことだ。
日本政府は当初からこのダイヤモンド・プリンセス号からコロナウイルスを拡散させないことの一点に絞った対策をとったのだと思った。
対策と言っても、当初は乗員乗客をプリンセス号に閉じ込めて、コロナウイルスの出方をうかがい、陽性が判明した患者だけを下船させ病院に収容する方針をとっていた。
これは武漢をシャットアウトした中国政府のやり方を踏襲したといってもいいだろう。
多分、人口1100万人の武漢よりも3千数百人のプリンセス号の封じ込めの方が与しやすしと考えたのだろう。
ただ、相手が上手だった。
「頭かくして尻隠さず」の例え通り、プリンセス号で発症を確認した時点で、プリンセス号の乗客乗員だけを徹底的に絞り込んでもコロナウイルスを制圧することはできなかった。
何しろ日本各地に来る来日中国人は約1千万人(2019年1月~12月)にのぼる。
飛行機など他の手段で来るコロナ陽性者が全国に散らばっていたのだった。
武漢の発症事例から3か月、プリンセス号から2か月経って、いろいろなことが分かってきた。
- 高齢者・持病のある人が重症化する
- 子供を含む若年層に発症者が少なく、重症化も少ない
- 国はPCR検査をなぜ積極的に進めなかったのか
- 発症者がゼロか極端に少ない地域があるのはなぜか
- 医療用マスクが極端に不足するに至ったのはなぜか
などコロナウイルスそのものにも、また国の対応、対策にもわからないことが多い。
いずれにしても、ここ2~3週間でコロナが抑えられるのか、はたまた拡大を続けるのか明らかになるという中で、国民は固唾を飲んで注視している。
安倍政権の行く末も決めかねない事態なのだ。
蒙古襲来は神風が吹いた。
暖冬が一挙に進めばウイルスはまさに神風が吹いたごとく沈静化するのか。
はたまた、黒船来襲のときのように、右往左往しながら時代が取って代わられるのか。
それほどに重大な局面なのだと思う。
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