路傍に咲くイオノプシジウム(ヒメムラサキハナナ)
最近閣議決定という言葉がやたらと使われているような気がしてならない。
閣議決定について調べてみると
「政府の意思決定をするための会議を閣議という。首相及びすべての閣僚の意思決定手段の中で最も位置づけが高いのが閣議決定である。」とあった。
コメンテターの川村晃司氏が
「安倍政権の閣議決定の数は歴代の政権に比べても明らかに多い。
乱発気味と言ってもいいほどです。
粗製乱造のきっかけになったのは平成25年7月1日(集団的自衛権は憲法9条の下で容認される自衛の措置)の閣議決定でしょう。」
と書いていた。
実際に首相官邸ホームページを見ると分かる。
官邸ホームページには平成24年からこれまでの閣議決定が公開されていた。
ただ、ここにすべての閣議決定が載せられているのかどうかはわからない。
何しろ今を時めく内閣府の情報提供だからどういう基準で公開されているのか、分からないからだ。
ただ、安倍内閣は平成24年12月26日に発足しており、平成24年のほとんどの閣議決定は前内閣の民主党野田政権当時のものだから、その資料と同一に並べての安倍内閣の年間閣議決定の数は普通は同じ物差しで公表されていると考えて差支えないだろう。
25年(第2次安倍内閣)44件
26年44件
27年41件
28年57件
29年48件
30年66件
令和元年56件だった。
こうしてみると確かに平成24年と平成25年以降では倍増どころか3倍増を超えるほど閣議決定が増えていることがわかった。
そもそも閣議とは前述したように「政府の意思を決定するための全閣僚の参加による会議」であり、その政権の基本的、絶対的にゆるぎない方針への全閣僚の統一した意思決定である。
その意味で平成17年8月小泉首相当時、郵政解散で閣議決定に従わなかった島村宣伸農相を罷免したケースや普天間基地移転の対応を巡り、平成22年5月、当時の鳩山由紀夫首相が福島瑞穂行革相を罷免したケースなどは内閣方針に従わない閣僚を罷免して内閣の方針を貫くという意味で大変分かりやすい閣議決定だと思った。
こうしてみるとつい10年程前には緊張感のある毅然としたやり取りがあったのだ。
然るに安倍政権の閣議決定には内閣の政策遂行のための最高の意思決定とはとても言えない、取るにたらない閣議決定が乱発されているのだ。
例えば、「首相はポツダム宣言を読んでいる」(h27.6)という閣議決定は共産党の志位委員長に「ポツダム宣言を読んでいるか」と問われ、安倍首相は正直に「つまびらかには読んでいない」と答弁した。
憲法改正論者がポツダム宣言を読まずしてという批判もあろうが、読んでいないものは読んでいないと答えたのだろう。
そして得意の修飾語を付けて「つまびらかには読んでいない」と答えたことは私はそれはそれで評価するのだけれど、後からこれではまずいとアドバイスしたものがいたのだろう。
まるで茶番だ。
また同様に島尻沖縄北方担当大臣が歯舞を読めなかったことに対して「島尻沖縄北方担当大臣は歯舞の読み方を知っていた」(h27.2)と後から閣議決定をしたのだという。
開いた口が塞がらないというのはこのことだ。
「森友学園の国有地払い下げ」問題の時もわざわざ「政治家からの不当な働きかけはなかった」(h30.3)などと証拠も挙げずに閣議決定をしたし、同じように「首相夫人は私人である」(h30.3)と閣議決定して,今回の「桜を見る会」の問題では「私人」が招待客を推薦するのかと私物化問題にかけて追及されているのだ。
昨年9月の小泉進次郎環境大臣の国連気候行動サミットでのセクシー発言も、閣議決定という内閣の最高の意思決定が必要なのか、いささか疑問に感じてしまう。
こうしたことが枚挙にいとまがなく続く安倍内閣にお願いしたい。
「閣議決定」という黄門様の印籠を持ち出して権威付けを行うことで、煙に巻いたり、有耶無耶にさせたりするのではなく、誠実でシンプル、誰にでもわかる説明をしてもらいたいものだ。
特に国家の大事については、当然、内閣だけで決定して良しとすることは許されないだろう。
国会に諮り正々堂々と論議し決定するべきだと考えるのは私だけではないだろう。
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