先日のブログの中で「だい志みち」の道しるべについて触れた。
今年旅行した五島列島には、空海が日本を出発した日本最西端の地という記念碑(辞本涯の碑)が立っていた。
それは日本のさいはてを去るという意味だそうだ。
当時中国に渡るということは決死の覚悟のことだったのだ。
帰国後、日本各地を巡り真言宗を広めた。
四国八十八か所のお遍路参りを始め、各地に札所巡りが残っている。
ただ、カミさんの従兄弟が永住を決めた岐阜県には真言宗のお寺さんが少なく、岡山からのお墓の移転先が決まらず困っていると聞いた。
話がわき道にそれた。
ところで「だい志みち」の道しるべに沿って山道を登って、少し下がった先には団地を縦断する二車線の幹線道路が走っている。
その道路を渡ったところに再び「だい志みち」の道しるべが現れた。
昔の山道は団地の開発で分断されたのだった。
そして、この道しるべに沿って進むと今度は左と書かれた道しるべがあった。
何だか、宝物を探しているようだった。
左に曲がるとうっそうと茂った孟宗竹の竹やぶがあった。
その中に朽ちかけたお堂があった。
ここが大師堂だと思った。
親切丁寧に案内表示してくれた道しるべの先には、この世から忘れ去られたお堂がひっそりと建っていた。
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