関西電力金品受領問題から連想すること

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関電会長ら辞任を報じる記事


関西電力の役員ら20人が約3億2000万円にのぼる金品を受け取っていた問題は、ようやく八木会長ら原発関連を担当する役員が辞任をせざるを得ない事態に至ったが、全く遅きに失した決断である。

 

社長、会長のしどろもどろの記者会見を見れば、濡れ手に粟の役得稼業の露見と恥の上塗りとなる弁解に呆れ果て、関西電力の職員の皆さんに同情を禁じ得なかった。

 

しかし考えてみると電力自由化なんて言うものの、電力会社はほぼ独占状態を任され、経営困難になれば電気料金の値上げを申請する。

政府も渋い顔のポーズをしながら、結局、適当な調整の下に一定の値上げを認めるという構図で事業が進むのだから、こんなに気楽な事業は他にはないように思う。

そういう構図の下で、関電と地元のボス、地元自治体の有力者、国会議員や地方議員、地元工事業者などを巻き込んでの大掛かりな贈収賄事件ともおぼしき、金品受領、工事発注問題なのだ。

 

そして、この問題を解明するための社内調査委員会たるや役員の弁解を代弁するばかりの報告書で、地元ボスの強引な金品の押し付けと恫喝に断り切れず、一時的に保管せざるを得なかったとか、この問題が発覚するや受領した一部の金品を返した等、言い訳にならない弁明を取り上げて情状酌量論を展開するなど、まったく出たら目な主張に終始して世の顰蹙を買った。

関電の会長、社長が次期関西経済連合会の有力な会長候補だったというのだから、関西経済界の見識も全くあきれてものが言えない。

 

 

 

 

 

出世の階段を上るということは、単に才覚だけが抜きんでていたのであろうか。

正しいこと、まじめであること、責任感が強いことなど生きていく上で最も基本となることがおろそかにされてはいないかと思う。

 

一方、この事件を想起していくと、東日本大震災で国家破滅の危機に立った原発事業に対する政府や電力会社、それを取り巻く利権団体の存在の意味が連想されてくる。

電力の安定供給や安価な電力の供給、さらに地球温暖化対策などには原発は欠くことができないという主張であるが、この事件の構図を見ると、原発事業の甘い汁に群がる金権構造を手放したくない、欲深な人たちに支配されているのではないかと疑いの念が生じて来た。

 

大体、あれほどの未曽有の事故を起こした原発をかたくなに守ろうとするのがおかしいではないか。

誰のために守ろうとするのか、決して国民の安寧のため、幸せの為に守ろうとしているのでないという思いが深まった。

 

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